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2019ベルリン観劇記録(9)『Ein Bericht für eine Akademie』

10月12日

Ein Bericht für eine Akademie あるアカデミーへの報告

原作 Franz Kafka フランツ・カフカ

演出 Oliver Frljić

舞台美術 Igor Pauška

衣装 Sandra Dekanić

照明 Jens Krüger

音響 Hannes Zieger

ドラマトゥルギー Johanna Höhmann


フランツ・カフカの小説『あるアカデミーへの報告』を翻案した上演。冒頭、アカデミー会員と設定されている観客席に向かって前口上が述べられ、ロート・ペーターと名付けられた猿がいかにして言葉、習慣、ヨーロッパの平均的教養を身につけたかを報告する、というもの。「人間らしく」なった現在のロートペーター役は、今年日本でも人気を博した映画『僕たちは希望という名の列車の乗った』(配給アルバトロスフィルム)でエリック・バビンスキーを演じたJonas Dassler ヨナス・ダスラーである。

私が彼を舞台で観たのは、シャウビューネとエルンスト・ブッシュ演劇大学の共同制作公演『Dantons Tod ダントンの死』(2016)が初めてだ。個性が良く表出されたエネルギー溢れる所作と、ドイツ(ベルリン)演劇らしく気持ちの良い全裸っぷりがどうしても印象に残っているのだが、今回の上演でもやはり、脱いでいた。振り返られる過去のロート・ペーターとして登場するAram Tafreshian もネクタイのみの全裸となり、4列目ほどの観客席に割り込んでセリフを言う。当然その列の観客たちは立ち上がらなければ股間が目の前に来てしまうわけで、あたふたと立ち上がる彼らの姿が笑いを誘う。さらに客席の背もたれに乗って立ち上がるものだから、もはや逃げ場がない。

我々は動物園で猿を平気で見ているのだが、状況としてはそれとなんら変わりがない。つるつると毛がないだけで。私が初めて渡独した2011年頃と比べると、私の観劇経験の中でのことではあるが、少しずつ全裸表現が減っている。それでも近年、女性の全裸表現が「当たり前に」見られるようになったのは進歩と言えるだろう。今回観た中では Das Spiel ist aus の冒頭で主演男女2名が全裸で登場したが、例えば2011年に見たシャウビューネのある上演などでは(タイトルなど忘れてしまった)女性のみ肌色のショーツを履いていた。ちなみに『Die sind ja nackt! Gebrauchsanweisung fürs Theater 見ろよ、あいつら裸だぜ! 演劇の取り扱い書』(Peter Michalzik, DuMond Verlag)というような書籍もある。

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『あるアカデミーへの報告』で描かれるのは「人間になること」である。類人猿ロート・ペーターはオーストリア=ハンガリー帝国の上流階級に完璧に馴染んでいた。連れ去られ、檻に入れられた彼は壮絶な努力の後、動物園からショーを経て人間社会の中心で働いていた。同化に当たって彼が支払った高い代償は、自己起源の放棄、アイデンティティの否定、人間の世界は猿の世界に比べより「猿のようだ」という現実だ(...)標準規格化、統合、適応の価値とは?
カフカは彼の物語の中で繰り返し、動物の社会システムへの参加をテーマに取り上げた(...)その背後に隠されているのは、文明適応への疑義である。例え「人間化」することで彼らの根源的なものを失うとしても、完全な人間となるには文明への適応が不可欠なのだ。
であるからして、挑発的な文明批判で知られる演出家Oliver Frljić がゴーリキー劇場における二作目となる上演の基礎に、意味もなく『あるアカデミーへの報告』を選んだのではない。Oliver Frljićはカフカの小説を素材に暴力的な人間化の物語を生み出し(...)自己/他己からの暴力的な強制行為を問うている。(GTのHPより抜粋、拙試訳)



上記ティザー動画では至って深刻な調子だが、実際の舞台は(原作が一人称告白体小説なのだから自明ではあるが)かなり長いモノローグ以外、変化に富んでいる。

後半で明らかになる大掛かりな舞台装置は見応え充分だ。客入れ時からロートペーターがパイプをふかしながら座っているのは革張りの重厚感ある書斎椅子だ。背後の三面はタッパのギリギリにまで届く本棚である。後半、本棚の本が一列ずつ崩れ落ち、かつてロートペーターの囚われていた檻が現れる。その檻の扉を開けて向かった舞台奥に見えるのは、ドイツ連邦議会のミニチュア、演説台、欧州連合の旗、ドイツ国旗。盆が回ると、その議会のミニチュアは檻で、上演中盤に登場した生きた猿が調教師に見守られながら餌を食べているのがわかる、という仕組みだった。

非常に象徴的で皮肉に満ちた戯画的作品で、期待通りに崩れてくれた本棚など舞台美術の展開などはとても私好みだ。しかし、ほとんど傾斜のない客席で鑑賞し続けるのは正直辛く、2時間半を長く感じた。10名ほどは途中で客席を離れていたが、カーテンコールの拍手はとても大きかった。最終的な満足度の高い舞台である。


余談。『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作Das schweigende Klassenzimmer (Dietrich Garstka, Ullstein)は拙訳でアルファベータブックスより刊行されています。


ドイツで観られるお芝居の本数が増えたり、資料を購入し易くなったり、作業をしに行くカフェでコーヒーをお代わりできたりします!