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anotherSTORY 〜神聖な場所〜

エミーリオ

昔から狭い空間を好む気質はあった。それは自分でも理解している。裏山に群生していたクスノキの中でもひときわ大きな幹を秘密基地だと言って、兄と弟と食べ物を持ち込んでは夜通し話をしてたこともあった。

今は没落してしまったが、父親は当時50エーカーの領地を所有する下級貴族で、田舎での暮らしではあったが裕福な生活を送っていた。勉学等に力を入れるためにと家庭教師も雇っているような家で、しかし当たり前だがその何もかもがうっとおしいことこの上なかった。

ただ一つ。食生活だけは天国だった。

テーブルマナーを覚えるまでは両親と食卓を共にすることはなく、だからいつも、女中頭のアンナや執事のロイたちと台所のテーブルで食事をしていた。時には台所で準備しているコック長ヴェレットの手伝いをすることもあった。こじんまりとしたキッチンとこじんまりとした食卓。それは妙に気持ちが落ち着く場所でもあった。

広大な領地には広大な農地があり、旬な食材から珍しい果物までなんでも収穫していたし、放牧を営んでいたこともあり、豚や牛肉や鶏も身近な存在だった。それらを調味料という魔法の粉を使って調理する料理長の手腕に、いつも惚れ惚れしていたのが物心ついた年だ。それから暫くしたある日、見事なパンプキンケーキを焼き上げてアフタヌーンテーと一緒に両親に給仕したところ、怒られるかと思ったら大絶賛だったこともあった。

ある日、父親に書斎に呼ばれて渡されたのは、擦り切れた羊皮紙が飴色にまで変化してしまった頑丈な背表紙に挟まれたレシピ本だった。どうやら代々受け継がれてきた秘伝の本らしく、父親は俺にその才能があると譲ってくれたらしいが、自分の家系にそんな趣向があったとは全く気配さえ感じることが皆無だったので、それまで厳格な父を毛嫌いしていたのを猛反省した記憶もある。

その本は、今も俺の料理室の片隅に大切に置いてある。たまに親方が来て見せてくれとは言うが。残念だ。女には触らせるわけにはいかない。これだけは、絶対に。そう告げた時の親方の困ったような表情が、最近癖になりつつあるのが、少し困ったところでもある。

レシピ本を開いて、考える。

さて。今日は、何を作ろうか。この海賊船の中の、小さいが神聖な料理場で。




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