「エルヴィス」に恋をした
今夜、私はエルヴィスに恋をした。
エルヴィス・プレスリーが活躍していた頃、記憶に残っている姿は歌手として復活した晩年の太ったエルヴィスだ。あのチャラチャラした暖簾の紐みたいな衣装をつけて、つま先立ちして足を小刻みに揺らしながら、マイクスタンドを持って右に左に身体を倒して歌う。独特でセクシーなダンスかも知れないが、なんかダメ。そんな単純な理由で好きにはなれなかった。
だが今夜、それを恥じてどれほど後悔したことか。
映画で泣いて、湯川れい子さんのトークショーで泣けて。
駅を降り、外のベンチで風に当たりながら余韻にしばし浸ってみる。エルヴィスの別の一面を知った素晴らしい夜、今夜私は彼に恋をした。
1960〜70年代、音楽業界は黄金期を迎えていた。ジャクソン5、ビートルズ、ボブ・ディラン、レッド・ツェッペリン、ビージーズ、 ABBA、サイモン&ガーファンクル、クイーン、ダイアナ・ロス、カーペンターズ、ベイシティーローラーズ、プリンス、KISS、マイケル・ジャクソン…etc. とてもじゃないが、挙げたらキリが無い。あの時代にロックンロールを生んだ一人が、そう、エルヴィス・プレスリーだ。
エルヴィスをたっぷり味わった2時間39分。湯川れい子さんが言う
「オースティン・バトラーもトム・ハンクスも、エルヴィスとパーカー大佐が憑依したとしか思えない見事さだ」
オースティン・バトラーがエルヴィス?似てないのに? とんでもない、映画の中では見事にエルヴィスだったことに驚いた。
今回の立川シネマシティでは18時の回に、湯川れい子さんとプロデューサー・ディレクターの立川直樹さんのスペシャルトークショーがあり、これがまた神回だった。
この映画で字幕監修され、エルヴィスとは人生で3回も会い、ご自身の結婚証明書の証人としてサインまで頂いたという湯川れい子さん。
今回のバズ・ラーマン監督とオースティン・バトラーの来日の時のインタビューではエルヴィスとなぜ3回も会えたのか、どんな人だったのか、逆に質問攻めにあったそうだ。
だから、逸話の宝庫で語り尽くせぬエルヴィスの話、おもしろいなんてもんじゃなかった。
「そろそろお時間です」
と音楽が鳴ってもまだ語って下さった。
父ヴァーノン17歳、母グラディス19歳で出会ったカップルは貧しくて大変な苦労をした。双子で出産した最初の子は助からず、あとからもう一人生まれたのがエルヴィスだった。エルヴィスが音楽と出会って影響を受けたのは13歳の時にテネシー州メンフィスへ引っ越してから。メンフィスは黒人の労働者階級が多かったため、黒人の音楽を聴いて育った。やがてエルヴィスの音楽が評判となり、デビューする。人気絶頂の頃に徴兵制度でドイツに行くが、その時に最愛の母が亡くなる。母想いのエルヴィスにとって、後に結婚するプリシラが子を産んで母となると、実母と重なるところがあり、プリシラが聖母に思えて指一本触れることができなくなったという。
これが、プリシラにとっても苦悩であり、やがてプリシラは他の男性の元へ行ってしまう。エルヴィスにとってプリシラは生涯愛した女性であり、愛娘リサ・マリー・プレスリーを生んでくれた大切な人だった。
晩年のラスベガスでのショーをやっている頃、家族のいない孤独やさまざまな不信からのストレスで、過食症になり、処方薬の極端な誤用などで、体調が悪く倒れるシーンが出てくるが、「大事なのは今夜その男をステージに立たせることだ」と悪名高きマネージャーの言葉に従い、洗面器の氷に顔を突っ込まされるシーンは本当にあったそうだ。
エルヴィスはいつも首から下げているTCBを握りしめ、祈ってからステージに上がっていたという。
*TCBとは「take care of business」
《米黒人俗》=do the businessとある。「やるべきことを果たす」という意味?
また彼のコンサートバンドの名前でもある。
湯川さんが言うには
「彼はステージの上で死にたかったのではないか」
「神様、僕をお召しください」
と頼んでいたんではないかという気がしてならないと言った。
彼は限界を超えて働かされていた。
1977年8月16日、メンフィスの自宅で倒れているところを発見され、帰らぬ人となるが、その時遺体に駆けつけた親友のチャーリー・ホッジは一晩でエルヴィスの髪が真っ白になったことに驚いて、看護師さんにマスカラを借りて髪と眉を黒くしたという。
後に湯川さんは娘のリサ・マリー・プレスリーとゆっくり話をする機会を得た。
「父の愛情を強く感じて育ち、父を尊敬して、同じ孤独の苦しみを知った子供だったからこそ、彼女はマイケル・ジャクソンと結婚しています」
「最愛の息子さんに自殺されて、ひと頃心配な状態でしたが、最近はやっと元気になったようですよ」
湯川さんの話の中にこんな話があった。これが実際に言ったことなのか、湯川さんがそう感じたのかが、俄かに思い出せないが、
「どうして僕はエルヴィス・プレスリーなんですか」
TCBを握る彼はそこで神の声を聞いた。
『お前には人にエネルギーを与える声を授けた』
逸話はまだまだあったが、瞳をキラキラと輝かせて話す湯川れい子さんが、とってもチャーミングで、彼女はもう何十年もずっとエルヴィスに恋をしているに違いないと思った。
恋はしたけど、完敗だ。
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