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解決の糸口を見出せていないコミットメントに対する僕の感覚2

昨日は、課題解決や夢達成のコミットメントをするものの、その糸口を掴むまで放置する感覚が僕の中に在り、人としておかしいと感じていることを書いていました。
その続きになります。

※あくまで僕個人のケースですが、
何か約束をしていながら放置しているなんて方がもし他にもいましたら参考になれば、、と思います。

①僕の感覚

放置すると言っても忘れているわけではないのですが
その「解決しなければいけない」ものは時間の絶対的制限が無い、むしろそこに区切りをいれると身体的・精神的な無理が生じてしまい
今の生活スタイルの目標(仕事を質高くこなし、日々精神的なゆとりを維持することで夫婦生活で幸福感を創出する)
を維持できなくなる怖さがあります。

課題解決は十分条件
日々の幸福感創出は必要条件


という感覚です。これは単体で見ればそこまでおかしくはないかもしれません。
が次の段階にいきます。

②なぜこの感覚を人としておかしいと考えるのか。

⇒約束の相手(=まず優先順位1番の妻)にかかわる課題解決を長期間、放置し続けているから。
要は、待たせすぎということです。そして待たせすぎているにも拘わらず、焦っていない。
人としてまずいのはまさにここということになります。
その期間、丸4年。

これがまずいのです。人として。
ただし現実として解決の糸口が見えていないのです。

③コミットメントを達成するために焦るか、できない約束ならしないか

これだけ時間がかかっているのは僕自身のやり方・考え方に問題があるのだと思います。

成長が足りないなら考え方・やり方を変えるか、非現実的なら約束しないかどちらかですが、約束しないということがあり得ないので
前者ということになります。

今の自分ではすぐ達成できないコミットメントにどうアプローチするのか、これがまたさらなる課題となります。
また後日続きを書きたいと思います。

今日もお読みいただきありがとうございました。


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