人間にとっての自然

数年前に友達が癌で死んだ。
医者に余命3ヶ月と言われてから数年の後の事だった。
そんなに頻繁に会っていた訳ではなかったけど、久々に会うといつも同じような事を考えていたので、同じ時代の空気を感じながらともに成長している同志という思いがあった。
最後にちゃんと話をしたのは彼がうちに遊びに来てくれた時で、全体的な話の内容は覚えていないけどひとつだけしっかり印象に残っていた。
「残りの人生 俺はもうボランティアみたいな事しかしない。」

最近になってその言葉が突然またストンと降りて来て、一つの答えを導き出してくれた。
大切なのはボランティアという事ではなくて、自分の命を人の役に立つ事に使いたいという人間の本質に、死ぬ前に辿り着いたという事なんだと。
そのメッセージを僕に残してくれたのだ。

僕はこの十数年間ひたすら暮らしにフォーカスして来た。
そもそもは、いわゆる一般的な暮らしの中で上手にやれなくて世の中に絶望し、どうしたら幸せに生きられるのだろうというところから、暮らし方を根本的に考え直していった。
フィデル・カストロに憧れていたので、最初のうちは世界を変えてやるみたいな気分でやっていたのだけど、自分の家族が出来て、より“自分たちにとっての幸せの形”というのを追求するようになった。
その事については本当に良かった。
この世界の中での心の在り方は確立出来たと思っている。
時間はかかったけど随分と遠くまで来た。
もう追手は来ない。

そして今は思う。
自分の命をいかにして自分の属するコミュニティーに役立てることが出来るのか。
常に自分の何を与えられるのかを考えながら生きていきたいと。
暮らしに関する実験なら人一倍やって来たと思ってる。
みんなが仕事して毎日人の役に立ってる間にそればっかりやってたんだから。
その経験をしっかり自分の家族の暮らし以外にも役に立てて行かなければ人間の本質から外れてしまう。

今、世の中の基本となっているギブアンドテイクでは無くて、ひたすらみんなが与え続けるのを喜びとする社会は可能だと今、僕は思っている。
それはきっと人間にとっての自然だから。

最後のメッセージは「与えろ!」だね
ありがとうごろうさん



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