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幸せってやつがこんな所にあったなんて

5年ほど前の話しだけど、その一時期の僕は珍しく結構働いていて、それなりに現金収入もあった。その為、例えばそれまでだったら、寒い時期は薪がなくなったらやばいと必死に薪を作っていたのに、薪が無くなったら灯油買ってきてファンヒーター使えばいいでしょって感じになって来て、ボタン押せば部屋が暖かくなるなんて、なんて快適なんだろうとか思いながら、いわゆる普通の生活にはまっていた。

そんなある日、朝から家族で街に繰り出し、昼飯時になって、用事は済んでいたけど、これから帰って食事を作るのも面倒だからどっかで食べて帰ろうと言うことになった。そこで近くにあったのはマクドナルド。腹も減っていたし、もうマックでいいだろ、という感じで中に入った。それまでの僕らは結構食事に気を使っていて、スーパーで買い物をする時にも裏の成分表示を見ながら、あれも食えない、これも食えないなんて思ってたり、週5、6日働いて休みの日は家族でショッピングしてファミレスとかマックとかで食事して、なんてゆう生活はまっぴらごめん、と思っていたので、マックで昼飯を食うなんてかなり久しぶりだった。店内に入りポテトのサイズはどうするかとか、どういう注文の仕方をすると1番得なのかとか、レジ前でかなり盛り上がり、息子の幌もおもちゃ付きのハッピーセットで大喜び。席に着いてフライドポテトを食べながら僕はとても幸せな気持ちになった。改めて、自分は父親になったんだなーなんて思ったりして。 で、まわりを見渡すと店内中なんだかみんな楽しそうに見えた。 - 俺が必死に探し続けていた幸せってやつはこんな所にあったのか。俺が今までずっと避けて、そうなるまいと思っていたような暮らしをしていた人達はこれをやっていたのか。とっくにこの幸せを知っていたんだ。俺がずっと必死になって探してる間に- そう思うと嬉しくて幸せな気持ちと、申し訳ない気持ちと恥ずかしいような気持ちでいっぱいになって、涙が溢れてきた。今まで自分は都会を離れれば幸せになれるかもしれない、食べる物を自分で作れば幸せになれるかもしれない、ツリーハウスがあれば、羊がいれば、あれをやれば、これをやれば、そんな事をずっと繰り返してきた。でも幸せは、カバンの中も机の中も探したけれど見つからなくて、それでも探して這いつくばって、探すのをやめた時にそこにあるような物なのかもしれない。なんでもない、ふとした瞬間の中に。 決まった形があるわけじゃ無いし、目的地でも無い。それぞれが、それぞれのやり方で自分達の幸せをじっくり育んでいるんだ、という当たり前の事を思い知った “マクドナルドの変”


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