犯罪の認知度

1.犯罪者出現率の国際比較

 日本は治安のいい国か? 誰もが「イエス」と答えるでしょう。来年に東京オリンピックが開催されますが,治安のよさも招致にプラスに作用したそうです。「落とした財布が,お金を抜き取られることなく戻ってくる。こんな国は,世界中で日本だけだ」。こうアピールしたそうな。

 治安の指標といったら,犯罪者の出現率です。法に触れることをしでかして御用となった人が,国民あたり何人いるか。やや古いですが,UNODC(国連薬物犯罪事務所)の2013年の統計によると,日本の刑法犯検挙人員は32万8113人で,国民10万人あたり256人となっています。

 海を隔てたアメリカでは10万人あたり3582人で,日本の14倍です。犯罪の定義の幅もあるでしょうが,違うものですね。2013年のUNODC資料には81か国のデータが出ていますが,高い順に並べてみると,国による差が大きいことに気づきます。全部を紹介すると煩瑣ですので,上位10位と下位10位をご覧いただきましょう。

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 トップはフィンランドで10万人あたり7815人です。北欧の福祉先進国で「?」という感じですが,犯罪の定義が広く,市民はためらいなく被害届を出し,警察の側は摘発に熱心であるためかもしれません。先ほど比べたアメリカは6位,お隣の韓国は7位となっています。

 下位の諸国をみると,中南米,アフリカ,東南アジアの発展途上国が多し。これらの国の治安がいいとは思えないですが,これは犯罪全体の率で,殺人や強盗等の凶悪犯でみたら結果はガラリと変わります。中米のホンジュラスの殺人発生率は世界一です。犯罪の多くはコソ泥とかですが,こういう軽微なものをいちいち摘発する余裕がないのでしょう。

 うーん,上記の犯罪者出現率が各国の治安のレベル,犯罪の真数を表しているとは考えにくいですね。犯罪の過程は,①当人の生活態度が不安定化する過程,②犯罪の誘発要因に遭遇する過程,③行為が警察に認知される過程,の3つに分かれます。ここで問題にしたいのは,③の認知過程です。

 統計上の犯罪量は,警察の取り締まりの姿勢に大きく左右されます。私服警備員を店舗に多く配置すれば,万引き犯が多く捕まるのは道理。被害者が被害を訴え出るか,警察がそれをちゃんと受理するか,という要素もあります。犯罪統計が実態から乖離してしまう要因は,いろいろあるのです。

2.犯罪の認知度

 当局の統計が,現実に起きている犯罪のどれほどを掬えているか。この点を可視化してみましょう。

 2010~14年に各国の研究者が共同で実施した『第7回・世界価値観調査』では,「この1年間で,犯罪の被害に遭ったことがあるか」と問うています。「ある」と答えた日本人の割合は3.5%で,この比率を2013年の人口にかけると449万952人(a)となります。1年間の犯罪被害者の推定数です。

 上述のように,2013年の日本の犯罪検挙人員は32万8113人(b)。統計上の年間犯罪者数は,推定犯罪被害者数の7.3%となります(b/a)。この数値は,犯罪の認知度の指標(measure)として使えるでしょう。

 日本の統計上の犯罪者数は,推定被害者数の1割にも満たず,認知度が低い印象を受けますが,他国はどうなのか。34か国のデータを計算できましたので,高い順に並べたランキングをお見せいたします。

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 首位はドイツの61.4%,2位はオランダの56.5%となっています。これらの国では,統計上の犯罪者数が推定被害者数に占める割合が半分を越えます。犯罪の認知度が高い社会です。

 韓国,アメリカ,ニュージーランドがこれに次ぎます。最初のグラフによると,これらの国の犯罪者出現率は高いのですが,警察がきちんと摘発しているためともいえそうです。

 下位をみると,発展途上国が多くなっています。南米のエクアドルでは,統計に計上された犯罪者数は,推定被害者数の1.0%でしかありません。当局は凶悪犯罪の摘発に手いっぱいで,軽微な盗みやケンカ等を取り締まっている余裕がないのでしょう。警察も腐敗していて,札束を握らせて無罪放免なんてのもザラ。こういう国の犯罪統計は当てになりません。

 ここまで酷くはないものの,日本もこういうタイプに近いようです。犯罪認知度は7.3%で,目ぼしい先進国の中では最も低くなっています。日本の警察は頑張り屋で,犯罪の検挙率(検挙件数/認知件数)は世界でもトップレベルですので,実際に起きた犯罪が警察に認知されていない(統計に計上されていない),という事情が大きいかと思います。

 万引きなどは,初犯の場合は説諭で済ますことが多し。犯人が身寄りのない老人やホームレスの場合,面倒な保護責任が生じるので,警察も逮捕をためらいがちです。レストランで老人のクレーマーが店長を小突き,店は警察を呼んだという記事を見かけましたが,おそらく逮捕はせず,老人が店長に謝罪して手打ちとなったことでしょう。

 まあ必要な「融通」ともいえますが,中には許し難いものもあります。厳罰に処されるべき重罪が闇に葬られてしまう。その頻度が最も高いのは性犯罪です。

3.闇に葬られる性犯罪

 2013年のUNODC統計によると,日本の強姦罪(現行の強制性交等罪)の認知件数は1409件となっています。人口10万人あたり1.1件です。これが強姦事件の頻度の指標としてよく使われますが,欧米主要国およびインドと背比べしてみると,以下のようになります。

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 欧米では警察統計に記録された強姦事件の数が多く,アメリカは10万人あたり35.9件,イギリスは36.4件,男女平等先進国のスウェーデンは58.5件となっています。一方,性犯罪が多発するといわれるインドは2.6件で,日本はそれより低い1.1件です。

 この数値が,各国のレイプ犯罪の量を正確に表していると信じる人はいないでしょう。被害者が羞恥心や恐怖心から被害を訴え出るのをためらう,被害届を警察が受理しない…。こういった理由から,実際に起きていても統計に計上されていない事件(暗数)が,どの社会にも存在します。日本は,それがかなり多いのではないか。

 ちょっと数字を出してみましょう。2012年1月に法務総合研究所が実施した犯罪被害調査によると,16歳以上の女性の強姦被害経験率(過去5年間)は0.27%で,同年齢の女性にかけると15万3438人。これが被害女性の推計数ですが,2007~11年の5年間の強姦事件認知件数(7257件)よりずっと多くなっています。統計に記録されている事件の数は,推定被害者数の4.7%でしかありません。飛躍を承知で言うと,公的統計の背後には21倍もの暗数があると推測されます。

 インドも,さぞ暗数が多いでしょう。被害を訴え出ても,「よくあること」「捜査してほしいなら金を払え」なんて言われますからね。低カーストの女性などは,ほぼ100%泣き寝入りです。

 伊藤詩織さんの事件が注目されていますが,この人が最初に被害を訴え出た時も,警察に「よくあること」とつっぱねられたそうです。伊藤さんの『Black box』(文藝春秋,2017年)を読むと,警察を動かすのがいかに大変かが分かります。男性警官に事件時のことを根掘り葉掘り聞かれ,被害を受けている体勢を再現させられます。セカンド・レイプ以外の何物でもありません。あげく,被害届を出さないよう執拗に迫られます。

 被害を訴え出るのも勇気が要りますが,警察に被害届を受理させるのも一筋縄ではいかない。日本の強姦事件認知件数が少ないのは,よく分かります。

 スウェーデンで認知件数が多いのは,国家機関として犯罪被害者庁があるなど,被害を訴えやすい環境があるためと思われます。警察官の女性比率も30.0%と,日本(7.3%)やインド(6.6%)よりもだいぶ高くなっています(2013年,UNODC統計)。強姦事件の認知件数の統計に価値判断を加えるなら,逆の見方をしないといけないようです。

 凶悪犯に括られ厳罰の対象となるレイプですが,日本ではその多くが摘発を逃れています。では,どういう事件が闇に葬られやすいか。

 2017年の警察庁『犯罪統計書』によると,同年の強制性交等の検挙件数(犯人が捕まった事件)は977件で,加害者の内訳をみると「知らない人」が44.0%と最も多くなっています。交際相手・知人は29.8%,家族・親戚は8.9%です。

 統計上のレイプ犯の素性はこうなんですが,どういう印象を持たれるでしょうか。通り魔による犯行も多いでしょうが,レイプは親密な間柄でなされやすいので,知人や家族による犯行がもっと多いのでは,と私は思います。

 2017年の内閣府『男女間における暴力に関する調査』では,強制性交等の被害経験者164人に,加害者との関係を答えてもらっています。下のグラフは,警察統計と被害経験者の申告を照らし合わせたものです。

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 分布がかなり違っていますね。警察統計では「知らない人」が最も多いのですが,被害者の申告では10.8%でしかありません。後者では,「交際相手・知人」と「家族・親戚」が多くを占めます。「家族・親戚」は乖離が大きく,警察統計では8.9%ですが,被害者の申告では3分の1をも占めます。

 言わずもがな,実態を正確に表しているのは,被害者の申告のほうです。レイプは親密な間柄で起きやすいと書きましたが,親密な間柄での犯行は隠蔽されやすい。自分の生活への影響を恐れ,被害者も警察に行くのをためらうのでしょう。家族による犯行の発覚度が低いのは,家の名誉を重んじる日本の風潮も関与しているかと思います。

 日本では「家」が重要な生活の単位で,外部との間に高い敷居が設けられています。「家庭の事情」という便利な言葉もあり,これを発せられたら更なる追及はタブー。不可侵の場なのですが,このように閉じた私空間にまつわる闇が深くなってきています。たとえば児童虐待です。

 身体的虐待は外傷から教師等が気付きやすいのですが,性的虐待は発覚しにくい。2017年度に児童相談所が対応した虐待相談は13万3778件ですが,このうち性的虐待は1537件(1.1%)でしかありません(厚労省『福祉行政報告例』2017年度)。「どうして性的虐待がこんなに少ないのか」と,異国の児童福祉の専門家は驚きます。家庭に風穴を開けないといけません。

4.少年の犯罪率が成人より高い謎

 日本は犯罪の認知度が低いのですが,どういう事件が闇に葬られやすいか。前節では罪種に焦点を当てましたが,罪を犯す主体という点でみると,日本の特異性が浮かび上がってきます。

 UNODCの犯罪統計では,成人(Adults)と少年(Juveniles)に分けて,犯罪検挙人員の出現率が出ています。前者は18歳以上,後者は18歳未満人口10万人あたりの検挙人員数です。下の表は,2013年の主要国のデータです。

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 日本は成人・少年とも,欧米諸国より低くなっています。日本の少年は悪い,悪いと言われるのですが,少年犯罪の少ない国であるのは明らかです。

 しかるに,際立って高い数値が一つあります。少年の犯罪率が成人の何倍かという倍率です(右上)。日本は1.24倍で,他国と比して高くなっています。というか,少年が成人よりも高いのは日本だけです。

 適当に抽出した7か国のデータですが,他にもこういう国ってあるのでしょうか。UNODC統計から,77か国の「少年/成人」倍率を計算できます。高い順に並べ,上位10位と下位10位を切り取った結果を示すと,以下のようになります。

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 国によって大きな違いがあります。下位をみると発展途上国が多いようですが,大人がしでかす凶悪犯罪の摘発に忙しく,子どものコソ泥などを取り締まっている余裕がないのでしょう。ゆえに,成人の犯罪率が少年よりもうんと高くなる。先ほどの表でもみたインドなどは,その典型です。

 上位をみると,日本の1.24倍が最も高い数値となっています。比較の対象を広げても,1.0を超えるのは日本だけですね。少年の犯罪率が成人を上回るのは日本だけです

 日本の少年の犯罪率は低く,過去と比しても下がっています。にもかかわらず少年が悪い,悪いと言われ続け,2015年には道徳が教科化されました。もしかすると,少年の犯罪率が成人より高いことに懸念が持たれているのでしょうか。「大人は文字通り『大人しい』のに,少年がワルをしでかす。けしからん」。こういう論法です。

 しかし,そういう見方をとらない論者がいます。私の恩師の松本良夫先生(東京学芸大学名誉教授)です。松本先生は,1999年に「わが国の犯罪事情の特異性-検挙人員『少年比』の異常高に関する考察」という論文を発表されています(『犯罪社会学研究』第24号)。そこでは,少年の犯罪率が高いことではなく,成人の犯罪率が異常に低いことに関心が向けられています。

 少年と成人が同じ社会状況のもとで暮らしているのに,両者の犯罪率が大きく異なるのはどういうことか。わが国では,子どもと大人が社会生活を共有しているのか。子どもと大人の間に断絶ができているのではないか。大人が自分たちのことは棚上げして,子どもばかりを厳しく取り締まっているから,少年犯罪の異常多,成人犯罪の異常少という,国際的にみても特異な構造ができているのではないか。松本先生の言葉を借りると,少年の「犯罪化」,成人の「非犯罪化」の進行です。

 大人の世界では,慣れ合いや癒着などの形で不正が隠ぺいされているのに対し,少年については些細なワルも厳しく取り締まられている,という事態が想起されます。「子どもがおかしい」「道徳教育の強化を!」という道徳企業家たちの声も,それを後押ししていると考えられます。

 わが国は,このような「病理的」な状態になっているのではないか。松本先生は,別の論稿において「わが国の社会病理は,少年犯罪『多』国の病理というよりも,成人犯罪『少』国の病理といえる」と指摘されています(「少年犯罪ばかりがなぜ目立つ」『望星』2001年4月号)。なるほどと思います。

 人口構成の変化により,子どもが減り,大人が増えています。子どもに対する(お節介な)眼差しの量が増えているわけです。このことも,今述べたような事態の進行に寄与しているでしょう。日本では,共に支え合い,共存すべき子どもと大人の間に,大きな断絶ができてはいないか。子どもと大人が互いにいがみ合うような事態になっている,といえるかもしれません。

 日本は統計上の犯罪率は低いものの,当局に認知されないで闇に葬られる事件(暗数)が多い社会でもあります。警察の機能不全,時代錯誤の慣習だけでなく,社会の成員間の断絶(世代対立)という問題も見て取れます。

 今から10年後には,日本は年齢構成の上で完全な逆ピラミッドになります。上の世代が下の世代の重荷でしかなく,前者が後者をいびるだけの国になっているか,あるいは両者がともに支え合うパートナーの間柄になっているか。変な言い方ですが,その度合いは少年と成人の犯罪率の接近度によって測れるかもしれません。

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