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消費すること。販売すること。

私は、一般的に言う"消費者"であり
職業柄"販売者"でもあります。

販売することは、仕事なので、購入していただく方への敬意と有り難みを感じながら、責任を持って行っています。

一方で、私は、仕事中以外は
消費者です。

販売員は仕事だから責任があるのはもちろん当たり前のこと。

でも、消費者であることに責任がないのってなぜだろう。

まあ、答えは浮かびますよね。

消費することでお金をもらうわけじゃないし
消費の仕方なんて人それぞれでルールなんて無いから。

ところが、ルールが無いと思い込んでいるのは責任が無いと思い込んでいるのは
とても勝手なことだと最近気づき始めました。

モノには、必ず価値が付けられています。

小さいもので言えばスーパーのポリ袋なんかも
今は3円や5円の価値があります。

身近なもので言えばあなたも私も着ている今日の衣服。

トータルコーディネートで○万円。

もしくは、トータルでも○百円。
なーんてことも。

または、全て譲り受けたものだから、実質は無料なんてことも。

あー安く手に入るモノってなんでこんなに欲しくなるんだろう。
と、思うこと増えてきましたよね。

でも、皆さん。

そこの3円のポリ袋もあなたの着ている
お洋服も必ず誰かが作っていて、誰かの手によって運ばれているんです。

つまり、3円のポリ袋にも○万円の洋服にも
手に入れた私たちにはそれをどう使うかの
責任があります。

でもそんなこと言ったって、
高いものは頑張って買うから大切にするけど
スーパーの袋なんて
3円払っちゃえば手に入るから別に捨てても
いいじゃない。

ここで、私は、お金が本当の価値なのか。

という無理難題な疑問にぶつかるんです。

お金が無いと買えないから稼ぐし
寝る間も惜しんであのブランドを買うために
働く。

シンプルに考えてみてください。

私たちは、消費するために生きてるんでしょうか?

私たちは、そこかしこにあるモノを自分のモノにした後の価値をその重さを感じたことはありますか?

自分のために働くことは素晴らしいことです。

ただ、そこに、「消費」への責任が無ければ結局は

自分自身がモノに消費されることになります。

モノの対価は、安易に手に入るかどうかではなく、最終的に消費者になる自分の価値です。

自分が大切に思うモノに対して、その奥にある
作り手の思いに対して、そして、地球環境に対しての責任を果たさなければ、人間は消費され貧しくなるばかりです。

難しいよ、そんなのは。いちいち考えたって何も変わらないよ。

と思うこともありますよね。

でも、人間として生きている以上、働かなければならないのが必然であれば、消費しなければはらないのも必然なんです。

それならば今すぐ、働くことと消費することは
同等の責任を持つ必要がある。


今ある当たり前の環境がモノに消費され壊れていくその前に、あなた一人の考え方で、
自分の消費の在り方を見直してみませんか。  


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