見出し画像

アースデイ東北について

アースデイ東北について、私なりの熱意や想い、出会い、繋がりを記させていただきます。

【アースデイ東北散開について】は、
こちらからご覧ください。
✏︎✏︎✏︎

https://www.earthdaytohoku.com/

2019年のアースデイ。

私にとっては初めてのアースデイ。

私には、「こんな素晴らしい世界が仙台にあるんだ」の感動のみを持ち帰ったような世界でした。

私は、あの日、
とても「俄か」なただの観客でした。

環境のことを考えたフェスティバルは、
大人も子どももきらきらしてるように見えて
ただ、その一つひとつがあの時の私には幸せで、
ふわっとしてるかもしれないけど
私のことを奮い立たせるものでした。

コロナは、私に
「永遠に続くものはない」ことを教えてくれました。

それは、言い方こそ変えれば
「私からいろいろなものを奪っていった」と言えますが、それは、どうしてか、違うと感じてます。

喪失感は無いからです。

2020アースデイの参加について
佐藤さんからお声を掛けていただきましたが、
当日は、延期。
しかし、
オンライントークライブに
参加するお声掛けもいただき、
当日は私を含めた
4人の方たちと、
衣服にまつわるお話をさせていただきました。

あの時間は、
打ち合わせも含めてとても
胸に残るものがありました。

しかし、私が、人前で話をしたり
出店する側になることは
誰もが不思議に思うことでした。

私は、ものづくりをする人ではありません。
食べ物をつくる人でもありません。
音楽や癒し、技術を提供する人でもありません。

何もない人です。

何もない私は
単純に自分の野望や希望、熱を出店しようとしてました。

笑われるかもしれないけど、
初めての出店にイメージはしっかり湧いていたし
自分の希望を受け取ってくれる人がいるだろうという展望がありました。

私が出店しようとしていた内容は、

「自分のクローゼットの衣服たち」。

ただ、これに関して正しくは「売ること」は
考えていませんでした。

私が行うのは「展示」。

「売らない」のに店と呼べるのか?

Fashion Revolution week と結び付けて、
自分のクローゼットの衣服のすべての
タグをひっくり返して展示することは
自分のエゴにならないか?

アースデイ関係各位の方との打ち合わせの際、
私は萎縮し発言できずにいました。

皆さんが日頃から愛して努めてきたものづくりや
慣習、芸術と
等しい価値になるのか。

それが、引っかかっていたからです。

オンライン打ち合わせは終わったのに
オンラインに私はひとり立ち尽くし状態。
不安を抱えていました。

まだ、zoomを切らずに居たところ、
その後も打ち合わせがありネットを繋いでいた
佐藤さんから「どんなことをやるの?」と
聞かれました。

そこで、
「私にとってのサステナブルやエシカルはモノを循環させることだけじゃないです。
だから、売ることだけが価値じゃないと思っている。
お金だけが価値じゃないと思っている。

売らずに価値を届けたい。」

というようなことを話しました。

すると、佐藤さんは

「面白いね。そういうことをできるのも衣服の楽しみだよね。」

と言ってくださり、
何もない私が大口を叩いて臨んだ打ち合わせは
私にとって、大きな価値を生むことになりました。

アースデイ東北の存在は、
私のイメージやビジョンを強くさせるモノでした。

「永遠に続くものはない」と気付いた時、
「終わりがあるものは続いていくもの」だと
気付けた自分にほっとしています。

実現できなかったイメージやビジョンは、
実現できなかっただけで、終わるわけではありません。

終わりがあるから、また始められる。

私に始まりのきっかけをくださった方々、
たくさんの繋がりに感謝しております。

今後、また皆さんの新しい始まりやきっかけに
ご一緒することがあればその際は
どうぞ、私のような「何もない者」を
受け入れてくださればと思います。

最後に。

私にお声を掛けてくださった佐藤さん。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?