家じまい

先月末、伯母の家の「家じまい」をした。
母の姉の家だ。
昭和の高度成長期に、懸命に働いたサラリーマンが
手に入れて、3人の子供たちを大きくした家だ。

その伯父が亡くなって、もう20年近くになるが
伯母は、ずっと独身の長男と2人で暮らしていた。
今年に入り、同居していた長男が脳梗塞で倒れた。
そして退院をして、あっという間にまた倒れた。
2度目は、もう普通の生活に戻れないと言われた。
伯母は介護4になっており、認知症も進んでいて、
到底1人での生活は無理となり、急いで探した特別養護老人ホームに
入居することになった。
ありがたいことに、次男坊の住み処に比較的近い場所にホームを見つけることが出来た。
でも伯母には、「なぜ自分がそこに住むことになったのか?」とか
「毎日顔を見ていた長男はどうしたのか?」などの疑問は無い。
すでに、いろんなことがわからなくなっているらしい。
次男坊も三男坊も、もう別の土地に居を構えており、この育った家に戻り居住することはない。
今後の金銭的な事情もあり、今回家じまいをすることとなった。
元々、物がたくさんある家だった。
あれをどう片付けるのか?
専門業者に発注したら大変な金額になるだろう。
事情を聞いた私と妹としては、お金が出せないのなら、口だけ出すわけにもいかないので何とか休みを合わせ手伝いに行くことにした。

我が家は、一昨年に母を昨年に父を亡くしたが、本人たちの遺品の整理に
費やしたお金も時間も、それほどではなかった。
家は賃貸で広くも無かったし、なによりも私がそのまま住み続けるわけで、処分するのは衣類や介護用品くらいの物だった。
でも新聞やテレビ、友人たちの話から、家を整理することは大変なんだろうと予想はしていたが、家一軒まるごとカラにするのは、まぁー想像を絶するものがあった。
家具や家電などよりも、とにかくゴミが多いのだ。

しかし、ここからが三男坊の出番。
いや、三男坊の親友たちの出番だった。
小学校からの友人たちが、それぞれの役割で大活躍してくれた。
何枚ものカビだらけの布団を「ひでぇーなぁ」と言いながらも
「俺たちみんながお世話になった布団だもんな」とせっせと運び出し、
家具や木くずを片付け、ゴミを出し、それぞれの場所へ処理してくれた。
もちろん無償だ。
「別にコイツの為にやってるわけじゃないから」「伯父さんと伯母さんには恩があるから」と口を揃えて言ってくれた。
とてもありがたかった。伯母に伝わると良いのにね・・・と妹と2人涙した。

伯母本人としては、残しておきたい物もあったかも知れないし、私たちが見ても皆が良かった頃の思い出の品物が確かにあった。

それぞれの母子手帳やへその緒などは、さすがにそれぞれ持ち帰ったが、それ以外、今回は殆ど全てを処分してしまった。いろんな想いにシャッターを下ろし、勢いをつけないと終わらないからだ。出来れば伯母に立ち会って欲しかったけれど、コロナのせいで施設への面会も、もちろん外出も許されない。

息子たちは伯母の認知症が進み、もう何もわからなくなっていると決め込んでいるけれど、本当にそうなのだろうか。自分たちの名前や顔も忘れている時があるからと、そこから先に踏み込もうとしない。確かに親が自分のことを忘れてしまうなんて、とてつもなくショックなことだろうし、切なくやるせないことだろうけど、毎回「初めまして」の人としてでもコミュニケーションをとらないと後で悔やむのではないか。

ちょっと話が逸れたが、今回の「家じまい」。自分の身に置き換えると恐ろしくなった。私は、わりと何でも取っておくタイプの「捨てられない女」なのである。ファンだったアイドルの切り抜き、深夜ラジオの録音テープ、ライブグッズ、お土産にもらった物の数々。まぁそんな物たちは、昔よく「老後の楽しみ~」などと言って残していた物だが、いざ時間に余裕が出来る年齢が近くなっても、そこに手を伸ばす気などコレっぽっちも起きやしない。勢いさえつければ、きっと捨てられるだろうし、人に見られたからと言って呆れられたり、哀れまれたりする程度だ。

しかし、これだけはヤバイ、人に見られたら小っ恥ずかしくて話にならないと言う物も幾つもあるのだ。小学生の頃にもらったラブレターやら詩を書いたノート。その他諸々、自分から発信した物や自分宛に発信されたり表現されたりした物たちである。これは自分がしっかりしているうちにどうにかせねばならない。捨てるのか? 捨てられるのか? たぶん捨てると思う。捨てられるんじゃないかな? まっちょっと覚悟はしておけ。って感じ(捨てろよ!)。

いろんな事情で、終の棲家が信じていた場所と離れてしまうことがある。今回のように、老老介護でどうにもならなくなることもある。話しても何もわからないだろうからと、何も聞かされず長年住んだ思い出の詰まった家を片付けられてしまうことに同情をするのは私の勝手な思い込みなのだろう。

伯母は、息子が倒れたことも、一昨年、妹(私の母)が亡くなったことも、昨年義弟(私の父)が亡くなったことも知らない。息子たちが「知らせてくれるな」と言ったからだ。息子たちの気持ちもよくわかったので言うとおりにした。今回「家じまい」をしたことも誰も伝えはしないだろう。それは幸せなのか?何も知らない方が幸せだと信じるしかない。

様々なことを考えさせられた大きな出来事だった「家じまい」。「断捨離」だとか「生前整理」などと言っていられるのは元気なうちだけだし、身体が動かなくなれば片付けるにも皆に迷惑がかかる。出来ることから覚悟を決めて片付け始めなければと心から思った。

とりあえず、このゴールデンウィークは考えるだけで終わった。動ける身体が欲しい・・・。







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