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コメディアンたつきが生まれた。

 5/29,30にLDS(ライフデザインスクール)の合宿に行ってきた。LDSについては、前回のnoteで触れたので、今回は合宿について書いていく。この合宿では、レクリエーションや、グループでの対話を通して、過去の自分を深堀り、未来の自分はどうなりたいかを考えた。

 LDSに参加したとき、最初の1回目のクラスで自分は、「自分の軸を作って、それに沿って、楽しく生きたい」と宣言していた。だけど、本当は違かった。自分の軸とか根本的にはどうでも良くて、自分はもっと素直に生きたかった。もっとみんなの輪に入って、仲を深めたかった。だけど、それができない自分が寂しかった。中学生の時、周りから目立たず生きようとしてきた多感な自分。高校受験の失敗から、恥ずかしさのあまりに、今までの知り合い全員との関係を断ち切りたかった自分を通して、心に蓋をしていった。これからは一人で生きていく強さをどこか求めていた。
 しかし、この合宿で過去の自分を深堀り、自分はもっと人と仲良くなりたいし、みんなから受け止められたい。そんな気持ちに正直になれた。今まで生きてきて、人生25年も経つが、生き生きと素直に生きていたのは、小学6年生の12歳の自分であった。人を笑わせて、人に笑わせてもらうのが好きで、毎日が楽しかった。そして、今も人を笑わせると最高に気持ちがいい。何度もその瞬間を頭の中で反芻してしまう。それを過去の自分の深堀りをしてくれたメンバーのまふぉんとはるごろう、ファシリテーターのあやめさんに伝えたら、本当は「コメディアンたつき」なんだねと言ってくれた。コメディアン?と思ったが、自分の気持ちが伝わり、それが受け止められた気がして嬉しかった。ここで「コメディアンたつき」の人生が始まった。その夜、自分はみんなに明日は5回ボケますと宣言し、みんなをどう笑わせようか考えた。しかし、結果としてボケは2回で終わった。2日目の山のレクリエーションで、何度も山の神にボケが下りてくるよう祈ったがその願いは叶わなかった。これがコメディアンとしての苦悩かと思った。
 また合宿中、印象に残ったのが山のレクリエーションの一つ目となる登山であった。登山ではLDSのみんなと山登りを楽しむというより、ガツガツと山道を走った。誰が一番に目的地までたどり着けるのか勝負をした。とてもつらかったし、一番を目指していたのに、ジミーとゆうだいに負け、結果3位だったことはとても悔しかった。しかし、こんなに本気で勝負事をして、子供みたいに無邪気に山を走り回ったのは久しぶりで最高に気持ちが良かった。あと、他にも大声を出して、みんなを励ました。こんなに叫んだのも中学の野球部以来な気がする。とても気持ちが良い。
 最後には「道なき道」の山のレクリエーションとして、草木が生え、倒木が横たわる、普通は歩かないだろうといった山道を駆け上がった。これは自分の実現したい願いを大声で宣言してから、駆け上がる。そこで、自分は「素直に生きる」と宣言して、全力で駆け上がった。しかも、その「道なき道」のレクリエーションには2回もチャレンジした。なぜなら1回目はゆうだいとのレースに夢中で、「素直に生きる」ことに対して意識が薄れていたためだ。2回目はゴールが「素直に生きる」ことに対する到達点だと深く思い込んで、駆け上がった。何度もつまずき、転びそうになりながらも目標に向かって、ゴールした。2回目は最後まで「素直に生きる」ことを意識でき、とてもスッキリした。
 
 この二日間の合宿を通して自分は、伝えること、発信することの大切さを知った。一日目、過去の自分を深掘った後、全体の意見をシェアする時間に、自分は人を笑わせることが好きで、コメディアンたつきになったと話すと、みんなが笑って受け止めてくれた。また、明日5回ボケますと話すと、みんなからボケろボケろとたくさん自分を求めてくれた。幼い子供でも知っている「自分を伝えること」の重要性を今まで忘れていた。自分を知ってもらうことの楽しさ、大切さを改めて理解した。LDSでは、みんなが自分に期待してくれる。「たつきはこれから明るくなるから大丈夫。」とか、「もっとボケろ。」とか。みんなが笑って、自分を求めてくれることが嬉しい。その期待に応えたい。そのため、合宿が終わっていつもの生活に戻ったいま、自分を元の自分に戻さないことが大切。戻すのはとても簡単だ。心に蓋をして、下を向いて、声を小さく、自分を隠していれば良い。だけど、そんな自分が嫌だから、寂しいからLDSで変わろうとしている。これからはもっと人に知ってもらえるように、自分を伝えること、人の輪に入ること、自分の好きを伝えることをしていきたい。そして、これから一生「素直に生きる」コメディアンたつきでいたい。

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