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笑いについて〜TV編②

皆さん、おはこんばんにちは。
毎日更新とか言っときながら、全然追いついてませんでした。
続けれる時は連続投稿するって感じにします。
では前回の続き〜中学生から10代終わり位までの話を。
年代的には80年代後半〜90年代頭ころですかね。
たけし軍団の番組が落ち着き始めて、天才たけしの元気が出るTVとかが企画で素人高校生がバンバン出始める時(山本太郎とか出てたなあ)、
時系列としては多少前後するんだけども、
夕方には夕ニャンが始まり、オールナイトフジは関西では見られなかったけどなんかヤバい流れがキてるって感じはあって。
それからとんねるずのみなさんのおかげですが特番を経てゴールデンタイムにやって来るんですよ。
深夜枠ではねるとん紅鯨団も始まって、秋元康とかフジTVの制作チーム力とかも含めて、
しばらくの間はその影響力があったかなと。
あくまで一個人の意見だけど、この頃のとんねるずはマジ無双だったと思う。
全国ネットのTVでめちゃくちゃお金掛けてコントやって歌コーナーもあって、小学生の時にもうスターだった人達がやってた番組システムを踏襲しながら新しいカタチを作る空気。ソレをリアルタイムで更新してるのは単純に面白かった。
そしてダウンタウン。まあ近畿圏内は4時ですよ〜だを学校帰ったら見るのはまあもう当たり前だった。
深夜も関西ローカルで色々やっていて、2丁目劇場はちょっとアイドルに近い空気もあったなあ。

ただただ面白い事を若手芸人と素人がTVメディアで作っていくっていう風潮は昔からあるんだけど、
シュールな笑い(この言葉が正しくないのは十分承知。敢えて使う)を皆が見てる時間のTVで枠を取ってやるっていうのはやっぱりダウンタウン以前/以降では変わったなと子供心に思っていた。
そして吉本だけじゃなくて、松竹も時系列少しズレがあるけど鶴瓶の突然ガバチョだったり、上岡龍太郎とのパペポTVや探偵ナイトスクープが始まったり夕方には森脇健児と山田雅人のザマカンとか放送してたんだよね。
そして深夜枠でウンナン・爆笑問題とかがコント番組、笑いの殿堂をやっていて凄い見てた。

でこの時期関西には小劇場ブームっていうのがあって、深夜枠で本当に関西ローカルな小劇団の公演をTVでやってたんだよね。
まあ一番有名なのは中島らもさん率いるリリパットアーミーとかなんだけど、それに飽き足らず当時の読売TVが色んな劇団員を集めて深夜にコント番組を作ってたんです。
どんぶり5656、現代用語の基礎体力、ムイミダスとか他にも。
古田新太や羽野晶紀、升毅や生瀬勝久がおかしなコントをどんどんオチも無ければ、ローカル色丸出しや実験的なコントを毎週見ていた。

まあそこまでいくと学校で全部話がわかる人って居なくなって来て、ゴールデンタイムのお笑いとAM0時位放送まではわかる人とそこから掘ってく人に分断されていくんだね。
それからダウンタウンとウンナンが全国区深夜になってどんどん売れていって、関西では次の世代がやってくるんだけども、吉本天然素材とかだね。
ただ自分だけの感覚でいうと当時天素は何か違和感あって、ああ吉本が儲かる仕組み考えたな、流れを会社が作ってんなって透けて見えたんだよね。
いやナイナイ世代の人達はそんな事ないわって思う人もいるのは分かるし、あくまで俺が感じた事。
それがきっかけじゃないんだけど、そこまで突っ込んでお笑いのTV(特に深夜枠)を見る時間は減った。
小劇団ブームも落ち着いてコアな人は劇場に行くようになったし、一旦飽和したモノがまた別の形になっていってそれぞれ散っていった感があったかなあ。
自分がまた深夜の関西ローカル番組に面白さを感じるのは千原兄弟が2丁目劇場でまた芸人が集まってやり出す頃かな。
ジャックナイフ時代(笑)のジュニアがコイツ来てるな〜って思ったから見始めた。

そもそも10代の大事な時期に他にもエンタメのコンテンツは膨大な量があって、その一部を享受していたのがほぼ当たり前、全体的から能動的に受け取る様に変節していったって話。そんな自覚は誰にでもあるよね。
ヒト一人が生きる時代によって受け取り方は皆違うし、なんでTV、しかも笑いの話をこれだけするかっていうとやっぱり個としての根っこ、原風景としてあるからかな。
一旦ここでお終い。

本当は音楽(これが一番話が長くなる)、ラジオや本、雑誌、漫画、アニメという文化の話だけでも個人の所感で書き出すとどんどん増えるので、
次は映画の話をしましょう。ただし、TVで見た映画の話を。

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