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飛田ニケ×O,1、2人(外島貴幸+吉田正幸)

作品をつくるとき、論理が無いのではなくて忘れている。

外島貴幸作品集刊行記念イベント ポストパフォーマンストーク

収録:2023.5.27|元清水屋クリーニング(現 水性)
構成:五月めい
撮影:前澤秀登


美術家・コメディアンの外島貴幸の電子書籍作品集『Takayuki Toshima Selected Works 2006-2022』刊行を記念して、2023年5月に2回のイベントが、東京都中野区のスペース、元「清水屋クリーニング」(現「水性」)で行われました。第1回は、美術分野の識者を招いてのトーク(ゲスト:石川卓磨、上田剛史、田坂博子の各氏)、第2回は、O,1、2人(外島貴幸+吉田正幸)のコント上演を実施しました。
 
トークイベントでは、外島が自身の作品を解説。また作品制作に関連して文学作品を分析し、それらを起点にさまざまな論点が提出され、笑いと美術作品との関係や、作品の形式などをめぐってディスカッションが行われました。その記録「ナンセンス=≠ロジックと形式(フォーム)」は、別途公開予定です。
 
以下は、第2回のパフォーマンスイベントで、コント後に、飛田ニケさん(演出家)を聞き手に行われたトークの記録です。この日、O,1、2人による4つのコント、《コークスクリュー》《パーカー》《カツアゲ》、新作《思い出》が上演されました。

2人の役割を固定せず、ときに入れ替わることが特徴的なコントを展開するO,1、2人。トークは、《コークスクリュー》で登場する回転するパンチの用い方をめぐってはじまり、O,1、2人のコントのキーの一つである抽象的・論理的なテーマのつくり方や、その位置づけなどが紐解かれ、身体・言葉・美術や、社会的な力学との距離にも話題が及びました。


意味が遅れてやってくる

飛田 主に演劇の分野で活動しています。外島さんとは昨年、2022年に読書会や座談会などをして、そのかかわりで今日、呼んでいただきました。見たものの感想を言うのが苦手で……(笑)。ちょうど昨日、女性の俳優と話をしていて、ハラスメントがたくさんあるという話になり、それを思い出しました。そこでは、なんらかのパワーバランスがあってその場で萎縮してしまったりということはあるけれど、殴れば解決する、みたいに物理的な手段を浮かべて、気持ちの上では解決させているということで意見が一致しました。この話とは逆に、いま見たコントの《コークスクリュー》は、唐突に殴ったり、殴られたりすることがあるわけですが、その後に社会的な意味が生まれる、社会的な関係に組み込まれる、そういうことを扱っているように感じました。
 
外島 そうですね。今日、最初に演った《コークスクリュー》は2012年くらいのネタですか? そんなに経っちゃいましたか……。
 
吉田 そうですね。そんなに経っちゃいましたね。
 
外島 まあそんな過去の作品なのですが、このときは、通常コントはひとまずシチュエーション、社会的な関係性を設定してつくる、というのがあると思いますが、逆に、行為をした後にシチュエーションが変わっていく、そういうことをしたらおもしろいんじゃないかと考えてつくった作品です。場面転換の仕方としてはアッサリとしていて、殴ったら場面が切断され、変わるわけです。コークスクリューというパンチはひねりを加えながら殴る技なので、ついでに展開もそこでひねられ、捩れながら進行していけばいい、そういうイメージが僕のなかでありました。
 
飛田 基本、一貫して外島さんが吉田さんを殴る、そこだけは入れ替わらない。
 
外島 O,1、2人の場合、「コントのなかで役割を固定させない、役割が入れ替わる」ことがあっていい、というかよくやるんですけど、それをやりすぎると微妙な感じ、作為的になることがあり、《コークスクリュー》ではそこはあえて固定していました。パンチをするわけですが、お笑いの「ツッコミ」も、殴ったり、はたいたりするという行為であって、その点から言うと、最初の飛田さんの「殴れば解決」みたいな話も、「ツッコミ」と無関係ではないですよね。ボケをツッコミが殴って終わらせるという慣習的なことも、たしか若干意識していました。
 
吉田 漫才の形式にものっとっていた?……「いい加減にしろ、もういいよ」みたいな感じの別れでもある。
 
外島 そう言えないこともないんですけど……なんというか、漫才、コントを終わらせるためにツッコミを入れる、というのは物理的な行為でもあるけど、同時に、一般的には芸の時間の切断であって、それが最終的には社会的な着地として機能していますね。つまり、一般的な常識に着地させてひとまずお客さんを安心させるというか。それが悪いとも思っていないのですが。シンプルな身体的行為によって、ある時間が切断されるのはおもしろいな、と。

《コークスクリュー》
《カツアゲ》
カツアゲする側とされる側の声と行為(動き)が分離して、入れ替わっている。

ひっくり返す・ひねる・回転する──笑い-論理と翻訳

飛田 繰り返し殴るというのがあり、割と強迫的でもある。もう一つは、最初に話したように、パワーバランス、上下があるような関係が多く扱われているように見えますが、それに関係なく殴るというように見えました。
 
外島 コントではパワーバランス、上下関係みたいなものは使いやすいのかもしれない。先生と生徒とか、警察と被疑者とか……。「教える」とか、「聞き出す」という行為は扱いやすいというか。
 
吉田 確かに、外島さんとつくるコントには多いかもしれない。
 
外島 ただ、ベタな意味で社会的な関係は、最近あまり直接的には扱っていない。作家としても、パワーバランスみたいなものの扱いは、括弧にくくったかたちではあると思いますね……。
 
飛田 上下の話が多いと思いましたが、上下を逆にしたり、上に登っちゃったり、それは、上下にこだわりがあるわけではなくて、むしろ、逆さになっていることの方が重要なのでしょうか?
 
外島 そちらの方です。次に演った《パーカー》という作品も、《コークスクリュー》と同じ時期の作品で、反転や転倒がテーマになっていて、それがヒエラルキーの転倒にもなるという。左右でもいいんだけれど、上と下が固定されないかたちでひっくり返す、動き続ける、ひねる……回転というのが、自分が美術作品をつくるときもモチーフの一つとしてあり、言われてみるとここでもそうしたものが入っています。認識の枠組みとして、地球上にいると重力があるから、重力から逃れたいみたいな……。
 
飛田 作品全体になんとなく上昇志向を感じたんですが。上がろうとする……? 同姓同名の吉田同士で身長をごまかすときにだったり。というのは、人が笑うとき、社会的なものがかかわっている気がするから、その関係がひっかかりました。
 
外島 先日の、今回の企画シリーズのトークイベントでも話題になりましたけど、共同体的な笑い、つまり、上の者が下の者を笑うみたいなものは、おもしろくない。やりたくないわけだけど、コントをやるときは、身体と言葉を使うことになり、その場合に日本語を使っている。今回だと、うどんとか昇り食いとか、共同体的ではないけれども、どうしても文化というものが入ってくる。その社会的含意をずらす、転倒させられればよい、とは願っていますが。個人的に気になっているのは、翻訳ということです。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、めちゃめちゃイギリスの文化に基づいた小説なんだけれども、日本語に翻訳してもおもしろい。それはどういうことなのか、と。
 
飛田 先週のトークでも、抽象化されたものが翻訳可能になるということが話されていたと思います。ギャグなどで社会的なものが扱われているんだけれど、それが抽象化されると、言語構造や論理、枠組みみたいなものが言葉の違いを超えて了解できるということだと思いました。
 
外島 それはあると思います。アリスの「チェシャ猫」とか……。ルイス・キャロルには数学的な背景があるからだと思いますが。ただ、つくるときは最初から抽象的なことはできないので、うどんの昇り食いとか、パーカーを鹿にしたらおもしろいんじゃないかとか、きっかけとしては意味、文化的なものを使っていくことになるんだけれど、全体として完成させるときに、論理的なものが必要になってくるんだと思います。
 
飛田 抽象的と言えば、身体というのが抽象的な部分があるのかもしれない。転んだりしているとややおもしろいみたいなレベルでの、抽象的なものに対しての笑い……。
 
外島 それは重要なご指摘ですね。身体は具体的なものと思われがちですが、身体の抽象性というのは確かに考えるべきもの、実践するものとしてあるのかもしれない。
 
飛田 《コークスクリュー》の場合、意味よりも先に身体があって、意味が遅れてやってくる。
 
外島 それがあったら成功しているという気がします。­その感触があれば、­よかったなという気持ちでやっています。

《パーカー》
《パーカー》
《思い出》

発掘すること・論理を忘れる

飛田 実際にこの2人にはパワーバランスはあるんですか?
 
吉田 ないでしょう?
 
外島 ないんじゃないですか?え?何か変な空気になってる?
 
飛田 ユニットのコンセプト的には「1人でできることを2人でやったり、2人でできることを1人でやったりする」と書いてあるのですが、改めて2人でやることについては何かありますか?
 
吉田 パワーバランスとは違うかもしれないですが、自分が所属するユニットのテニスコートで3人の場合は、どうしても2対1とかになるから気を遣う部分もある。1対1だとそういうのはないかなと。
 
外島 1人だと作品をつくっていてもスタティックになる。どうしても自分の思考や癖の枠組みを越えるのは難しいので。そこを越えようと思ってやっていますが、2人だと最初から他者がいるので、そこが楽だなと。何か与太話してたらできていくという。
 
吉田 多分、やりたいことはどこかにあって、なかなかすぐには出てこない。今日のネタにもそういうものがありましたが、一緒に「発掘」している感じはある。そういえば、発掘多いよね? 前のコントでも考古学のネタがありました。
 
外島 単純にわたくしが考古学が好きだというのはあります。でもそれも発見と意味づけの過程のおもしろさなんですよね。ある物がなんだったのか、ということを改めて発見することのおもしろさというか。

飛田 それではここで質疑応答に。
 
質問者A 今日は笑いと美について考えたいと思い見にきたのですが、美術作品を見て笑うことはありますか? 例えば、デュシャンの便器の作品《泉》を見て、「そのままやんけ」と言って笑うという美術鑑賞の態度を取ったりするのだろうか、と。またその逆に、笑いとしてより流通しているものに美しさを感じることはあるのかを聞いてみたいと思いました。
 
外島 わりと笑うことは多いですね。特に美術家のブルース・ナウマンの作品はけっこう笑えるというか……。《Anthro/Socio》(1991/1992)という映像作品で、私がブログに書いた文章もあるのですが、「私に食べさせろ、私を食べろ、人類学(FEED ME, EAT ME, ANTHROPOLOGY)」「私を助けろ、私を傷つけろ、社会学(HELP ME, HURT ME, SOCIOLOGY)」という言葉を、オペラのパフォーマーが回転しながらずっと歌っているというものです。それは笑えもするし、グッときますね。また、オタク的な美術史的知識があると、抽象絵画でも笑えることがあるんですよね。アド・ラインハートとか。黒くてよく見えないけどよく見たら十字の形が見えてくるのかよ!みたいな。
 
吉田 僕は最初に外島さんの作品を見たときに笑ってしまったんですよ。あ、いいんだと思い、しっくりきた、通じる部分があると思いました。漫画だったし。自分は、美術大学もデザイン系だったのでアートは通ってこなくて、勉強しようかなと思って四谷アート・ステュディウムという学校にいたときでした。僕はお笑いの勉強としてやっていたんですけど。
アート作品とは、ある程度のクオリティーを持つ技術/論理(体系)を目に見えるかたちで露呈してないと成立しないと、どこかで勝手に思っていたのですが、そのとき外島さんの作品は、そうではないやり方に見えました。技術/論理を脱臼させたり過剰にさせたりして、見ているこちらがそれを掴み損ねることで成立するかたちがあって、その掴めなさになし崩し的に笑ってしまう。そうやって提出して笑わせていいんだと思ったんですね。
 
外島 なるほど……あまり自分ではそこまで意識していませんでした。技術の呈示というよりも、作品を組み立てている何か……それを技術や論理とも言うかもしれませんが、それを掴め損ねさせるような方法を探しているのかもしれません。ただ一方では、お笑いに数学的な美しさを感じることはありますよね。ギャグ、ボケなどの論理的な美しさは、アートと結びついている。このお題にはこの答えしかないよね、という感動があり、美術作品もまた、そこに繋がりがあると感じています。
 
吉田 僕も似たようなことだと思います。見えるというよりは、外島さんが特にそうですが、論理を忘れるのが上手いなというイメージです。作品でまず見えてはこないが、どっかで考えて忘れているな、無いのではなくて忘れているなという感じ。それを美しく感じるときがありますね。
 
外島 あまり偉そうに言えませんが、作品をつくる上で、忘れるのは大事だなって思いました。まあそれも忘れているわけだけれど(笑)。自分は資質として、そもそも作品っていうのを方法論として演繹的につくれない。1回忘れるんだけど、ふと考えてみると最初に考えていたことが何か響いているぞってところがあるのに、自分でもたまにびっくりします。

《思い出》

思い出を語ることと歌

質問者B 今日コントを見て、全体的には、常識をずらしてそれがシュールに見えたり、いろいろな見え方をしていくのかなと思い、おもしろかったです。気になったのは、どういうつくり方をしているのかな?ということです。演劇や映画の場合、脚本を書く人がいて、それに従ってつくっていくのが通例だと思うのですが、2人だとその辺をどうやっているでしょうか? また、全体として作品を見たときに、流れがすごくきれいだと思ったんですよ。最初に上からハンガーに吊るされているうどんが何なんだろう?ということが、最後にわかるようになっていて、かつ最後歌で終わる、それがいいなと思いました。その辺もどうつくられているのでしょうか?
 
外島 そうですね、まず基本的には、2人でテーマやコンセプトをだいたい決めます。なんと言えばいいか…。
 
吉田 たとえば?
 
外島 たとえば、「夏の終わり」から「時間」というものをテーマにしたときに、「蚊取り線香」が出てくるとか……。
 
吉田 キーワードがいくつかあって、その周りでいっぱい僕が言葉を外島さんに投げかける。そうすると拾ってくれるので。
 
外島 その後、僕がそれを脚本にしたり、最近は僕が書くことが割と多いのですが、でもみっちり決まっていないので、なんとなくの流れを書いて、実際は練習してアドリブ的に変えていくかたちでつくっていっているという感じですね。

《フロムカトリ》
TALION GALLERY(オンライン配信)、2020

質問者B 今回は場所を使ったボケもあって、おもしろいなと思いました。
 
吉田 今回はこの元クリーニング店の場所自体に、今後壊して新しくするというのがあったし、思い出を語るのは入れようかなという話はありました。
 
外島 今回は実は自分の中では、作品集刊行記念ということで、エモい感覚もありました。10年以上前のコントもやるということで、そうした個人的な感覚もあり。思い出を語るところでは、かなりグッとくるものはありました。
 
吉田 それで「シングルベッド」を歌った?
 
外島 そう、それで「シングルベッド」を歌いました。というか昨日YouTubeで見て泣けてきて、それで、「あ、これ最後に使えばよくない?」と昨夜急遽吉田くんにメッセージを送ってそれで決まったんですよ。
 
吉田 それは、当然コントの繋がりを考えての上なのですが。いつもギリギリまで考えていますよね。今回はこのハンガーに何か掛けたいというのはあって、何が一番効果的かと考えたときに、5メートルの1本うどんというのがあったのですが、どんどん途切れて、千切れてしまうんですよ。残念でした。

《コークスクリュー》

〈プロフィール〉

飛田ニケNike Tobita
1995年湘南生まれ。演出家。劇場創造アカデミー修了。2017年から「むなしさ」の上演。2020年からキューピーを立ち上げ、性的にもマイナーな実践と歴史とのために座談会などを企画。座談会記録冊子「クィア演劇史は可能か」(関根信一、宮崎玲奈、外島貴幸、飛田ニケ、企画:キューピー、2023)。

O,1、2人(外島貴幸+吉田正幸)O, 1、2nine
コント/パフォーマンス。2011年11月29日結成。美術家・パフォーマーの外島貴幸と、コントグループ「テニスコート」の吉田正幸のユニット。1人でできることを2人でやったり、2人でできることを1人でやったりする。主な上演に「ヌケガラ(OFF)とマトイ(ON)〈正体を隠すこと(ON)とそれを脱ぎ捨てること(OFF)の、あいだにあるものを教えなさい〉」TALION GALLERY(東京、2021)、「井田田回回田田土」blanClass(神奈川、2019)、「ミルクイースト パブナイト」milkyeast(東京、2015)、「Whenever Wherever Festival 2021」スパイラルホール(東京、2021)などがある。

外島貴幸Takayuki Toshima
2004年B-semi Learning System of Contemporary Art修了。2007−08年四谷アート・ステュディウム在籍。笑いを軸に、美術的な作品やコント、テクストなどを用いた探求と実践。主な展示に「パシフィック・カラーズ」moowoosooギャラリー(ソウル、2023)、「ヌケガラ(OFF)とマトイ(ON)〈正体を隠すこと(ON)とそれを脱ぎ捨てること(OFF)の、あいだにあるものを教えなさい〉」TALION GALLERY(企画・出品、東京、2021)、第13回恵比寿映像祭「揺動PROJECTS: Retouch Me Not[日本現代作家特集]」東京都写真美術館(東京、2021)、主な公演に「背中を盗むおなか ‐ リプライズ」blanClass(神奈川、2017)など。また企画・出演したトーク&コントイベントとして「表面と横断──トランス、男の娘、ジェンダークィア」Social Kitchen(京都、2023)、などがある。
作品集『Takayuki Toshima Selected Works 2006-2022』

吉田正幸Masayuki Yoshida
武蔵野美術大学卒。在学時コントグループ「テニスコート」結成。以後笑いを軸にジャンル問わず活動。主な公演としてテニスコートのコント「出汁が出る出る」ユーロライブ(東京、2019)、出演として「いとうせいこうフェス」東京体育館(東京、2016)、フロム・ニューヨーク公演「サソリ退治に使う棒」駅前劇場(東京、2018)、NHK「シャキーン」(2016−2022)。また脚本家としてはNHK「シャキーン」(2016−2022)、TXドラマ「びしょ濡れ探偵 水野羽衣」(2019)などがある。2024年2月、矢野昌幸とのユニット「まさゆきズ」旗揚げ公演予定。

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