叔母が亡くなった。

大晦日の夜、友人とYouTube見ながらダラダラしていたら母から突如連絡があった。

「あんたスーツ着れるっけ?」

前から叔母が具合が悪いことはなんとなく察していた。
母はよく吉祥寺に住む叔母のもとへ出かけていたから体調がそんなによくないんだなぁぐらいに思っていた。

いきなりスーツ着れる?なんて聞かれたら嫌でも察する。

そこまで悪かったなんて知らなかった。

そして元旦の昼頃に再度母からの連絡。

「姉が亡くなりました」

何年もあっていなかったのもあって、いきなり具合が悪いことと亡くなった連絡を受けても反応できなかった。

そして今日。
大学の忌引が適用されない可能性が高く式に出れないかもしれないので、最後の面会に行ってきた。

叔母は乳がんだった。

横になっている叔母を見て、その薄さから癌との闘いがどれほど大変なのかを想像するのは難くなかった。

母から聞いた話によると、僕が小さい頃に一度発病していたらしい。
当時の治療で治ったと思っていたら数年前に再発したとのこと。

入退院を繰り返して、去年の7月ごろからかなり体調が悪くなっていた。

従兄妹やおじさんは覚悟ができていたのか、最期を見ていたからか叔母を前にしても落ち着いていた。

癌との闘いは本当に大変だったと思うが、別れの時間が取れたことは不幸中の幸いだったのかもしれない。

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人は死ぬ。

どれだけお金を稼いでも、どれだけのことを成し遂げても人は死ぬ。

死ぬ時にはいくら物質的に豊かであっても関係ない。

物質的豊かさを超えて、人とのつながりや残された人にどれだけ思われているか、悲しんでもらえるかを実感して死ぬ方が遥かに豊かだ。

僕もいつか死ぬ。

それは交通事故に巻き込まれて今日もしくは明日かもしれない。

それは数十年後に叔母と同じように癌などの病気かもしれない。

その時になって
「もっとああしとけばよかった」
「本当はこう生きたかった」
と思うのでは遅い。

AK-69のForever Youngの歌詞に
“今日は残された人生で一番若い日”
とある。

この歌詞を今まではかっこいいなとだけ思って素通りしていた。

それでは死ぬ時になって後悔する道を選んでしまう。

やりたいこと、やってみたいこと、叶えたい夢は今日から行動してやるしかない。

やるかやらないか。やるか超やるか。

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数年前にあったのが最期になってしまいましたが、親戚の中で唯一と言っていいほど子供扱いせず1人の人間として接してくれたあなたが好きでした。

どうか、天国で楽しく過ごしてください。

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