紙一重問題
『◯◯と△△は紙一重』って良く言うじゃないですか。例えば好きと嫌いとか。親身さと馴れ馴れしさとか。愛と憎しみとか。昼ドラっぽくなってきました。そういう、紙一枚の厚さほどの極僅かな違い。身の回りにたくさんあるなと気付いたんですよね。
音楽を聴いていれば、解りやすいところでは音質やリミックスの音色やリズムの違い。聴き込んで細かいところに気付けて嬉しかったり。
人と人では、極僅かなすれ違い。都合良くお互いの人生の中でどれだけの関わりが持てるかなんて、それこそ紙一重。
少しニュアンスが違うかもしれないけれど、似て非なるもの。表裏一体とか。あとはダブルミーニング。一つの言葉で二つの意味を持たせるという言葉遊びのようなもの。昔からそういう表現が大好きでした。
裏を返せば、相手に投げた言葉やニュアンスを相手に委ねるということ。もちろん人によっては誤解されることもありますが、どう捉えてくれるんだろう。そしてどう返してくれるんだろう。ある意味期待を込めて、ある意味諦めながら。
私は感情を言葉にして、初めて自分の中で消化できる気がしています。今までもそうしてきたので、燻った気持ちを抱えたままでは人と向き合えない。言葉にできない何かがあるならそっと距離を置く。逆に、そういう壁を察して離れてしまう人もいたと思います。
最近気付いたことなんですが、いや、前から気付いていたのかもしれないのですが。この先離れてしまうことが解っていて、ずっと今のままではいられないと覚悟しながらも、刹那的感情で今が一番、今を楽しみたいという楽曲がとてもとても苦しくて愛おしい。今浮かんだだけでも2、3曲出てきました。これもまた紙一重。泣きそう。
生きていく中で分岐点が必ず訪れますよね。それがこれからの人もいると思う。問題に直面しているときは何を言ってもダメだけど、私は過去の自分に「大丈夫だよ」と言ってあげたいと思うことがたくさんある。笑って話せる日が必ずやってくるから。だから未来の私へ。笑っていてね。
誰かの記憶に少しでも残るような過ごし方ができたらいいなと思います。折り紙一枚でも、形を変えて誰かの何かに届くかもしれない。向き合うべきタイミングがいつかやってくるかもしれない。二度とこないかもしれない。ただ、どんな過ごし方だとしても『無駄なことは何もない』に辿り着くんだろうなぁと思います。そうでありたいという願いを込めて。
今日も今日とて、紙一重問題は続く。
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