経済学の基礎で考える日本経済17 「乗数の議論と財政収支」

 1月7日の日経新聞に、デービッド・アトキンソン氏の「財政出動は乗数効果を基準に」という論考が掲載されている。この中で「成長につながるような財政支出は、乗数効果が1以上であれば、財政は改善する。1以下であれば、財政は悪化する。単純だが、財政の議論はこれで済む」と述べている。しかし、エコノミストが普通使っている意味で「乗数効果」という言葉を使っているのだとすれば、この議論は正しくない。
 私の理解では、乗数というのは、ある変数が1単位変化した時に、経済(普通はGDP)が何単位変化するかを比率の形であらわしたものである。例えば、1兆円の公共投資を行った時に、GDPが1.2兆円増えたとすると、乗数は1.2である。
 ちなみに、内閣府経済社会総合研究所の計量モデルによると、名目公共投資をGDPの1%増やした時、1年目の名目GDPは1.13%増える。簡単に言えば、1兆円の公共投資を行うと、名目GDPは1兆1千3百億円増えるのだから、乗数は1.13である。詳しくは、「短期日本経済マクロ計量モデル(2018年版)の構造と乗数分析」(https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/archive/e_rnote/e_rnote050/e_rnote041.pdf)を参照して欲しい。
 この時、財政はどうなるだろうか。もしかしたら、アトキンソン氏は、GDPが1.2倍増えれば、税収も1.2倍増えるから、財政は改善すると考えたのかもしれない。確かに、税収もGDPと同じ倍率で増えるのであれば、増やした歳出以上に歳入が増えることになるから、財政バランスは改善する。
 しかし、1兆円の公共投資を行った時、税収が1兆円以上増えることはない。そんなことがあれば、歳出を増やせば増やすほど財政収支が改善するという、夢のような世界が出現することになる。
 ではなぜ公共投資の場合は、乗数が1以上になるのか。それは1兆円公共投資を増やせば、その1兆円の公共投資自身がGDPとなるからである(ただし、土地代が入っていたり、輸入に漏れたりすると、GDPにならない部分もあるが、ここではその部分は無視する)。その1兆円は誰かの所得となり、また使われるわけだからGDPは1兆円以上になる。前述の乗数で言えば、1年目に実現する1兆1千3百万円のGDPのうち、1兆円が公共投資自身、誘発されたGDPが1千3百万円ということになる。この実現した所得1兆1千3百万円から税金が支払われるわけだから、その税収が1兆円を上回ることはあり得ない。つまり、財政は必ず悪化するのである。
 もちろん私は、財政支出を生産的な分野に振り向けるべきだというアトキンソン氏の主張を否定しているわけではない。生産的な財政支出であれば、財政は改善するから財源の心配はしないでよいという議論に異議を唱えているのである。(2022年1月7日記)

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