経済学の基礎で考える日本経済10   「適合的期待」とは何か

 今日の(8月13日)の朝日新聞を眺めていたら、「適合的期待に注意せよ」というコラムを発見した(「経済気象台」)。なかなか面白い論点を取り上げたなと思って読んでみたら、そのいい加減さにかなり驚いた。
 まず、冒頭「日本銀行が、‥『適合的な期待』という、あいまいな言葉を繰り返すようになって、‥」とある。また、「適合的な期待とは『過去の状況が今後も続く』との予想をいう」とある。この辺は私の経済常識とは異なる。適合的な期待形成という考え方はずいぶん前から使われている概念で「あいまいな言葉」ではない。また、それは、「過去の状況がそのまま続く」という予想でもない。
 私自身は次のように整理している。今、当期に形成される期待をEt、前期の期待をE(t-1)、事後的に判明した前期の実績をA(t-1)とする。当期の期待がどう形成されるかについては次の三つがある。
 第1は、当期は前期と等しいと期待することである。
 E(t)=A(t-1)
 これがこのコラムの言う期待形成である。こういう期待も経済論議で使われることがある。例えば、X氏の株価の予想はどの程度信頼できるかを考える時、X氏の予測値の誤差と、「何も考えないで、前期の株価を予測値とした場合の誤差」を比較する。後者の誤差の方が小さいような場合は、X氏の予測はあまり信頼できないない(何も考えずに前例踏襲で行く人に勝てないのだから)ということになる。
 第2は、当期の期待は、正しく当期の実績になるという期待形成である。
 E(t)=At
 これがいわゆる「合理的期待形成」であり、これも多くの経済理論で登場する。
 第3が、適合的期待形成であり、当期の期待は、前期に形成された期待と、事後的に判明した前期の実績とのかい離に応じて、前期の期待を修正した結果として形成される、という考えである。
 E(t)=E(t-1)+α{(E(t-1)-A(t-1)}
となる。これは極めて現実的な仮定である。我々は、何かを予想する時に、前回の予想がどうなったかを考え、それによって前回の予想を修正する。しかし、修正してもなお、過去の惰性が残るから、正しい予想はなかなか難しい。これがまさに適合的期待形成である。
 私は、35年以上も前に、この適合的期待形成が、政府の経済計画の見通しに当てはまっていることを示したことがある。図がそれである。今はなくなったのだが、日本では3~5年に一度、長期の経済計画が策定されていた。この計画では、その計画期間中の想定成長率が示されるのが常であった。その経済見通しの推移を見ると、図に示したように、翌期の計画の想定成長率は、必ず前計画の想定と実績の中間に位置するという法則性がある。すなわち、前回の想定よりも実績が上回ると、次回の想定は必ず引き上げられるが、前回の実績を上回るほど引き上げられることはない。まさに適合的期待形成である。

適合的期待

 私は、これは単に計画策定当局の期待形成というにとどまらず、国民全体の期待が暗黙のうちにそうなっていたのではないかと考えた。つまり、計画が想定する経済フレームは、国民経済の中に霧のように分布している適合的な将来の経済の姿についてのイメージを集約的に補足し、それを一つの数値的展望として凝結させるという役割を果たしていたのではないか。だから経済計画の想定が各界のから自然に受け入れられたのではないか、というのが私の主張であった。
 この主張は、1985年に刊行された「現代日本の経済システム」という本(中村隆英、西川俊作、香西泰編、東京大学出版会)の「日本経済と経済計画」というチャプターとなって発表された。私は、「経済計画の数値は適合的期待形成によるものだ」という主張にかなり自信を持っており、それなりの評価を得るだろうと思ったのだが、残念ながらあまり話題にならなかった。(2021年8月13日記)

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