ウォームハートとクールヘッドで考える日本経済 坂本貴志著「統計で考える働き方の未来」から

 エコノミスト(1月19日号)に、坂本貴志氏の「統計で考える働き方の未来」の書評を書いた。少し捕捉したい。
 我々は、経済について漠然としたイメージを持っている。そのイメージは、日ごろ目にしている情報、会話、ニュースなどからいつの間にか形成されていることが多い。ところがこうした漠然としたイメージを統計的に確かめて行くと、意外に当初抱いていたイメージが必ずしも正確ではないことが分かることがある。こうした世間の常識的なイメージをデータで確かめ、「実は異なる真実の姿」を知ることは、経済分析の醍醐味の一つである。

 しかし、こうして得られた知見を世間に明らかにすることがためらわれることがある。多くの人のイメージは、ウォームハートに基づいている場合が多く、これに反する事実を指摘すると、指摘した人間がウォームハートに欠ける人物だと誤解されかねないからだ。
 私自身は、できるだけこうした雑念に惑わされずに、データで得られた知見を率直に表明するよう心掛けてきた。今回、坂本氏の著作を読んで、著者と直接の面識はないものの、坂本氏もまた誤解を恐れずにデータを大切にするエコノミストだと感じ、同好の士を得られたように感じて嬉しい。
 以下、本書の中から、ここで言う「実は異なる真実の姿」の例を4つ紹介しよう。簡単な紹介にとどめるので、詳しくは本書を参照して欲しい。なお、以下の議論はコロナ前の経済についてのものであり、コロナショックを契機に経済の姿は大きく変わっている可能性があることに留意して欲しい。
 第1は、我々はいつまで働きたいのかという問題だ。政府は、高齢者雇用を推進する理由として「高齢者の高い就業意欲に答えるため」と説明している。確かに、内閣府の意識調査では、「働けるうちはいつまでも仕事をしたい」と答える割合が42.0%に達している。しかし、「働かなくても今と同じレベルの生活が続けられるとしたら、仕事を止めたいと思うか」と聞いてみると、「強くそう思う」「そう思う」を合わせて46.7%になる。生活のために収入を稼ぐ必要があるから働きたいと答えている人が多いのだ。なお、お金にかかわらずいつまでも働きたいという人も24.2%存在している。私もその一人だ。
 第2は、賃金は上がっていないのかという問題だ。このところ平均賃金はほとんど上昇してこなかった。多くの人も「自分の賃金は全然上がっていない」と感じているようだ。しかし、労働者全体の平均賃金は、必ずしも日本全体の賃金の動きを適切に示していない。労働者に占める非正規労働者の比率が高まっていることが平均賃金を押し下げているからだ。非正規雇用者だけを取り出してみると、賃金はここ数年着実の上昇している。構成比効果によって全体の賃金は上がっていないように見えてしまうのである。
 第3は、非正規労働者は、正規になることを望んでいるのかということだ。これも何となく、非正規就業者は、本来は正規で働きたいはずだと考えがちだが、そうでもない。本書では、ここ数年は、自分の都合で非正規雇用を選ぶ人が増加しており、本人の意思に反して非正規の働き方を余儀なくされている不本意正規雇用者の人数は減少していることが示される。
 第4は、格差は拡大しているのかという問題だ。私が大学院の修士課程で論文指導をしている時、しばしば論文の最初のところで「日本で格差が拡大し、次第に格差社会となっていく中で、‥」と書き出す院生が見受けられた。そんな時、わたしが「格差が広がっているという根拠は何ですか」と問うと、大体立ち往生してしまう。自分の論文の本筋ではなく、ほんの枕詞として書いただけなので、事実かどうかをデータで調べないのだ。本書では、最近時点では、ジニ係数でも相対的貧困率でも、格差は縮小していることが示されている。これには、格差の拡大は大きく報じられるが、縮小はあまり報じられないという非対称性が影響しているのではないかと思う。
 本書のタイトルに示されているように、「統計で考える」ことはとても大切なことなのである。(2021年1月10日記)

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