ウォームハートとクールヘッドで考える日本経済11「人出不足とは何か」

 先日、新聞を見ていたら「高齢者数がほぼピークとなる2040年、医療や介護などの就業者は約100万人不足する」という記事があった(朝日新聞夕刊、9月16日)。これは9月16日に発表された「厚生労働白書」の記述を紹介したものである。
 現物に当たってみよう。白書ではまず、ある研究会報告から、2040年の医療・福祉分野の就業者数を974万人とする。次に、人口構造の変化などから、2040年の医療・介護サービス需要を推計し、そこから2040年には1070万人の医療・福祉分野の就業者が必要だとする。その結果、2040年には医療・福祉部門で96万人のギャップが生ずることになるとしている。これが100万人不足の根拠だ。具体的な表も掲げておこう。

 最初に断わっておくと、私は、今後、医療・介護分野での労働力需要が増え、その確保が大きな問題になるということについては全く賛成である。これが大きな問題であることは間違いない。以下では、ややマニアックな視点から、この厚生労働白書の指摘を見る際の注意点を指摘しておきたい。
 第1は、「事前」と「事後」の違いだ。この手の指摘を見る時、私がいつも疑問に思うのは、では実際に2040年になった時に、労働力の不足はどの程度になっているのかということだ。私の理解では、2040年における人手不足はゼロになっているはずだ。これは、「2040年に約100万人不足する」というのは「事前」の概念であり、「事後」の概念ではないからだ。
 一般に、事後的には需要と供給は何らかの手段で必ず一致するので、需給のギャップが出るのは事前の概念においてだけであり、事後的にはギャップは常にゼロとなる。例えば、ある家計が「1年後には子供を塾にやったりするので、50万円お金が不足する」と考えたとしよう。これは事前の概念である。では実際に1年後はどうなっているのか。「お金が足りません」と言っているだけでは済まないので、何かが起きて、「お金がない」という状態にはならない。それは、母親がパートに稼ぎに出るのかもしれないし、誰かから借りてくるのかもしれないし、塾をあきらめるのかもしれない。いずれにせよ、必要額と稼ぎとのギャップは何らかの手段で解消されるのである。
 医療・介護の労働力不足も同じであり、2040年までには何かが起きて、必要な労働力と実際の労働供給とのギャップは解消されているはずだ。それは、医療・福祉分野の賃金が上昇して労働力が増えるのかもしれないし、ロボットの普及で労働需要が減るのかもしれないし、満足な医療・介護を受けられない人が増えるのかもしれないし、外国人労働力がどっと増えるのかもしれない。前掲の表でも、足元の2018年については、必要人員の数字はない。これは、2018年は既に事後の世界に入っているからだ。
 と、ここまで書いてきてすでにかなり長くなってきたので、あとは簡単に述べる。
 第2の留意点は、「予測」と「シミュレーション」の差である。予測というのは正に将来どうなるかを示すものだが、シミュレーションは、「このまま推移すれば将来はどうなるのか」を示すものだ。前掲の2040年の労働需要の数は、予測ではなく、シミュレーションである。世の中は「このまま推移する」ことはあり得ないので、これが予測ではないことは明らかだ。 
 第3は、この手の数字はセンセーショナルな方向にバイアスを持って受け取られやすいことだ。前述の新聞記事を見た人は、「2040年にはこんなに人手が足りなくなるのか」と大いに不安になったはずだ。私も不安ではあるが、事後的には不足はないのだから、足りない足りないと言って不安になるより、どうやって事後的なゼロを実現したら国民福祉がもっとも損なわれないのかを考えた方が生産的だ。
 この手の将来予測は、オーバーな不安感をもたらしやすい。例えば、私が学部生に社会保障について講義をした時、教室の学生に答えてもらった結果によると、「将来年金は貰えなくなるかもしれないと思うか」という質問に、4割くらいの学生が「イエス」と答えた。「年金が減る」「払った分は貰えない」という意味ではなく、文字通り「1銭ももらえなくなるかもしれない」と心配している学生がかなりいるのである。恐らく「社会保障制度は行き詰る」という話ばかり聞いてきたので、そう思うのであろう。どうも我々は、悲観的な情報を相当程度拡大して頭に仕舞い込む傾向があるようだ。
(2022年9月23日記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?