ウォームハートとクールヘッドで考える日本経済7 「矢野財務次官の文藝春秋掲載論考について」

 文藝春秋11月号に、矢野財務次官の「財務次官、モノ申す『このままでは国会財政は破綻する』」という論考が掲載され話題になっている。現職の次官が経済政策の方向性と財政再建の重要性について明確に所論を述べたのだから、話題になるのも当然だ。
   私も読んでみたが、その内容についてはほとんど全面的に同意する。①日本の国民は本気でバラマキを歓迎するほど愚かではない、②経済成長だけで財政が再建できるとするのは夢物語、③経済対策を議論するのであれば、その財源をどうするかを議論するのが先進国の常識、④昨年の10万円給付は意味のある経済政策ではなかった、⑤給付を配らなくても、コロナが終息すればおのずと消費活動は活発化する、⑥金利が名目成長率よりも低くても国債残高のGDP比は上昇しうる、⑦消費税率を引き下げるという提案は問題だらけ、いずれも正しい。
   ここではその内容ではなく、現職の公務員が政策についての意見を公にすることの是非について考えたい。今回の矢野論稿については、ムード的には「現職であるにもかかわらず、自らが正しいと信ずることを思い切って主張している」という好意的な評価を得ているようだ。
   私自身も現役の官僚時代に、たくさん本を出したり、雑誌や新聞に寄稿したりしていた経験があるので、少し考えてみた。
   まず、議論の中身について考えよう。例えば、農水省が省の方針として、食料自給率の向上を目指していたとする。この時に、農水省の現職の公務員が外部に「自給率の向上を目指すことにはあまり意味はない」という論文を発表したとしよう(私自身はそう思っているのだが)。これは組織として許容できない。民間企業でも同じことだ。組織の構成員のそれぞれが、自分の意見を外部に発表し始めたら収拾がつかなくなる。
   ただ、組織の構成員が、組織の方針を、かみ砕いて外部に説明したり、データや理論を補充して説明することは全く問題がない。日本では、特定の政策を整理された文章の形で提示するということがあまり行われていないので、こうした行為はむしろ歓迎すべきことだと私は思う。
   組織の高い地位にある人間が、公の場で政策を体系的に説明するということは、海外ではしばしば行われているし、日本では、日本銀行の幹部が、かなり事前の準備をした上で、講演などを通じて政策についての説明を行っている。同様のことがもっと積極的に行われていいと思う。
   では、組織や政治家の方針と異なる意見は言えないのかというとそんなことはない。矢野次官も、今回の論考の中で「(公務員は)単に事実関係を説明するだけではなく、国家国民のため、社会正義のためにどうすべきか、政治家が最善の判断を下せるよう、自らの意見を述べてサポートしなければなりません」と述べている。公務員は選挙で選ばれているわけではないので、自分たちが主体的に政策の基本方針を決めるわけには行かないのだから、サポートを基本とするのは当然のことだ。ただし、政治家の考えに異議があり、それを修正すべきだと考えるのであれば、政治家に対してそれを主張すればいいのであって、外部に訴えて自分の主張を通そうとするのは混乱を招くだけだ。
 私は現役の役人時代にしばしば外部への発言を行ってきたが、それは私が所属する組織の方針とは無関係であるか、組織の方針に反しないと考えてきたからだ。例えば、「景気を見る場合には、どんな経済指標をどのように読みこなせばいいか」ということは、一般的な経済の解説だから、組織の方針とは無関係である。政策的な判断に属する問題は、組織の方針に関係するが、その場合、一々上司の許可を得なくても、そのくらいは大体見当がつくから、あまり苦労することはなかった。
 このように考えてくると、今回の矢野次官の論考は、財政再建を推進すべきだとする財務省の方針に沿ったものであり、その方針を分かりやすい言葉で外部に説明したという位置づけになるだろう。したがって、私の判断基準からしても、何の問題もない。矢野次官もそれが分かっているからあえて外部への発信を行ったのだろうと想像している。(2021年10月10日記)

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