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オタクをやめようとするのをやめました

「推せる時に推せ」という言葉に心がざわざわする。なぜなら自分で勝手に応援するものであって、人から強制させられて推すようなものではないだろうと。

少なくとも推される側の立場の人間から、あの言葉を言うのは禁じ手だとも思ってる。

色々な事情があって応援できなかった人、タイミングの関係、巡り合わせが悪かった人を、シカトしてるような発言に聴こえてしまう。
脅しのように使う人も苦手で。
だから、その言葉を聴くと心がざわつく。

推しを好きなタイミング、自分のペースで愛でる者に、そのペースを崩すために他者が介入してくる筋合いはない。


僕は、人生最初の推しが卒業したタイミングでオタクをやめようとした。

人生最初の推しは、世の中には色んな卒業の仕方がある中で、それはそれは綺麗な卒業の仕方をしてグループを去っていった。後悔とか後ろめたさも一切なく綺麗な去り方だった。

オタクをやめるにはこれ以上ない条件とも言えた。

人生最初の推しが卒業した。

オタクはやめられなかった。

そして色んなジャンルのオタクになった。

野球、ラジオ、お笑い、神社、御朱印帳、競馬(見る専)、バンド、声優のASMR、声優ユニット

なぜなら、知らないことを知るというのはすごく楽しいから。

自分の人生にとっても刺激になって。
生活にもハリがでてきてる。


勝手にハマって
勝手にグッズを買って
勝手に感情に浸って
勝手に感情を揺さぶられる


他者に介入されずに1人で楽しむ。のめり込む過程がすごくすごく楽しいのだ。

日常生活とはまた違った興奮と刺激があって。

そして他者を理解することは、巡り巡って自分を理解することに繋がってくる。

最近僕はライブを観終えた後、SNSは遮断して、孤独にメモを取る習慣をつけた。

なぜならSNSの言葉を見た瞬間、他人の言葉に乗っ取られるから。

自分のオリジナルの言葉ではなくなってしまうから。

自分の感情を表現する言葉を生み出すために。
僕は細かくメモを取る。


僕は今日も何かしらのオタクになって「依存」ではなく「没頭」する。

そして、オタクを通して、自分を理解する。

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