「言語理解と体験理解について。」

「言語理解と体験理解について。」

今、風に、AIの時代に、東浩紀さんの動物化するポストモダンを言い換えると、アルゴリズムによる動物化、なんだな。アルゴリズムによる動物化。

アマゾンとか、うまく買いたいような本を紹介してきたりとか、アルゴリズムによる動物化を起こさせようと、している。

いかに受け身じゃなくて、自分で考えられるかだよね。コピペAI化した人達は自分で考えられない、どこにでもいる人になる。まさに匿名化された、アルゴリズムによる動物になる。飼い慣らされ、自分で思考できなくなる傾向にありけり。

コピペAI化した学生は、あまった脳の部分をひたすら好きな遊びに費やしたらいい。あそびのうちに学びがあるし、出会いもあるだろう。コピペAI化を必ずしも否定しないのは、わかりつつ、アルゴリズムに飼い慣らされ、

動物をしながら、自由に人間の冒険をすることが、できるからだ。

この戦略をとることが、時代なのだろう。コピペAI化で、型を学び、後は肉付けの体験で知を着地させる。体験知の結果がまさに時代になるなら、それでいい。

女の子について、ネットやAIアプリに聞いて学んでも、最終的には女の子と接して、話したり手を触れたりしなければ、その子はわからない。

女の子についての本を何冊も読めば、女の子がわかるのだろうか?本だけで、言語理解だけで、女の子がわかった、と女の子百科をぜんぶ読めば、わかったことになるのだろうか?
体験として、実際に話したり、手を触れてみたり、とかじゃないと本当にはわからないだろう。いつまでも。笑。

言語理解だけでわかった、は、一回も女の子とデートしたことがないのに、デートについて知識で知っていて、わかっている、と、豪語することに等しい。やはり実際に体験しなければ、デートはわからない。

俺は女の子について、なんでも、知っている、と本とか言語情報だけで、知っている、と一回もまともに話したことがないのに豪語する奴はまだ体験理解がたりない。そう体験理解だ。
 実際に体験しないと、本当には理解できない。

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