Mobage版アイドルマスターSideMにそこまで全力じゃなかったPの怪文書

2023年1月5日の14時、Mobage版アイドルマスターSideM、通称モバエムが終わります。

私がモバエムを始めたのは2014年でした。中学1年生のクリスマスプレゼントにスマホを買ってもらって、「そういえばアイマスって男のアプリもあるんだよな」って思ってインストールしました。
その頃は私はアイマス自体そんな知らなくて、まぁ好きな声優さんの代表作だし、って感じでした。アニマスだって、言ってしまえばニコニコ動画にアップロードされていた推し声優が声をあてているアイドルの登場シーンまとめみたいなものしか見てなかったし、グリマスやモバマスも、モバエムよりも先に入れたけどやりかたよくわからなくて初日から放置していました。
そんな中途半端で飽き性な中学生の女が、適当に入れたアプリだったので、当然モバエムも3日目には触らなくなっていました。

一年経って2015年の12月、その頃にはアイマスのアニメをちゃんと履修して、劇場版も履修して、アイマスのライブというものを知っている状態でした。
けれどそこまでハマっていなくて、Twitterもやっていたけど呟く内容はおそ松さんとかハイキューとかの話題ばかりでした。
そんな中で、SideMの声優さんの呟きがTLに回ってきました。その内容はたぶん多くの人が知っているであろう声優さん同士のクソリプ合戦でした。その当時痛々しいほど声オタこじらせてた私はそのやりとりが気になって、ここら辺からSideMというコンテンツが頭の片隅に置かれるようになりました。

ここまで細かく書いておいてなんですが、正直SideMを遊び始めた時期とか理由とか全然覚えてません。ニコ動にあがってるアイマス曲メドレーでSideMの曲を知ってからなのか、ゆくマスくるマスでなにか話されていたからなのか、このどっちかだとは思うんですけど、Twitterにもスクショにも過去のスマホのデータにもなんにも残ってなかったので定かではありません。

けれど気付いたら、2016年の初め?半ば?あたりには、SideM1stSTAGE「ST@RTING!」の応援上映ライビュチケットが手元にありました。

応援上映は、SideMではファスライしかやったことのないイベントです。円盤発売前に、声優さんたちと一緒に映画館でファスライの映像を見る、そんな感じのイベントでした。私はその映画館が映される別の映画館、つまり「上映会のライビュ」に行きました。
声優のライブイベントなんて初めてで、何を持っていけばいいかわからなくて、その時持って行ったのはたまたま中古屋さんで売ってたWの大きなタオルとアニメイトで買った15分光り続ける使い捨てのサイリウム数本。ペンラなんてものは持ってなかったし鞄につけていくグッズもP名刺もなにも無い状態での参戦でした。

ライビュ当日、私の記憶違いでなければ、ライビュ会場は結構埋まってたと思います。地方の端っこの方なのにすごいなーとちょっとだけびっくりした記憶があります。
そこで初めてアイマスPさんと話しました。何もわかってない中坊の私に、そのアイマスPさんは、P仲間と来ていたのにもかかわらず私に沢山話しかけてくれました。
「ペンラ持ってないんですか?私2本あるのでこっち使っていいですよ、色はここで変えるんですよ、このペンラ電池変えてないので、もし電池途中で切れちゃったら言ってください。タオルは大きいので肩にかけておくといざというとき便利ですよ」
どういう場面でどの台詞を言われたのかは覚えていないけれど、そのPさんにいろいろなことを教えてもらって、ペンラまで借りて、渡せるものが無い私に嫌な顔せず名刺を渡してくれて、担当はいないけど好きな子ならいるって答えた私にどの子が好きなんですか?って聞いてくれて、なにもできない私にTwitterのアカウント教えてくれて、
今ではもしかしたらもう相互じゃない、ジャンルも移動してしまってるかもしれない、名前も忘れてしまった方ですが、その方のおかげで私はライブが始まる前に「アイマスのライブ」に少しだけ仲間入りできた気になりました。

長くなりましたが、簡単に結末だけ書くと私はそのライビュでSideMにハマりました。所謂ライブからハマった系の、よくいるPになりました。
その時声優さんがどんなことを言っていたのか、どこで誰を好きになったのか覚えていませんが、ハマったのだけは覚えています。

2016年末~2017年初めらへんの時期、私はアニメイトの階段にはがきと身分証を握りしめて立っていました。大勢のPの列の中にいました。
それはアイドルマスターSideMの初のソロ曲シリーズ「ORIGIN@L PIECES」のお渡し会でした。
緊張して何を伝えようかてんぱって、「セカンドライブ現地いきます」とそれだけ伝えたら、声優さんがすごく喜んだように声をかけてくれたことを今でも思い出せます。
私はその頃にはSideMにずぶずぶハマっていました。

2017年2月、私はアイマスライブ初めての現場であるSideM 2ndSTAGE ORIGIN@L STARSに参加しました。現地参加したのは一日目だけで、一日目終わって次の日の朝に飛行機で地元に帰って地元のライビュ会場で二日目を観るというかなりあたおかなスケジュールでした。

初めて大勢のPさんと話しました。物販はもう着いた時にはたくさん売り切れていたけどTwitterで知り合ったPさんが代行してくれていました。自宅のコピー機で作った手作りの名刺は全て渡し終えました。100均で買った名刺入れはパンパンになりました。一番くじで引いた担当以外の子の色紙やアクキーはTwitterで知り合ったそれぞれの担当Pさんの元へ旅立って、その分私の担当のグッズたちが手元に増えました。開場まで初めて会ったばかりのPさんたちと談笑して、セトリ予想を言い合い、Twitterで現地報告をしました。開場してからは人の波にのまれながらフラスタを見て回ったり、未発売のグッズを見て回りました。席に行くために入った会場は暗くて、ちょっと涼しくて、ステージはライトのせいなのかなんなのかわからないけどちょっとモヤがかかってるように見えて、席は思ったよりステージより遠かったけど通路側の席だからこれならちょっと右側は障害物なく見れるなーとか思って、隣のPさんたちと交流しました。OPのBGMが始まった瞬間身体が震え始めて手が止まらなくなって息が浅くなって、ライブが始まってからは今まで出したこともないような大声でコールして、今までそんな聞かなかった曲たちがすごい好きになって、もともと好きだった曲ももっと好きになりました。
現地に何度も行っているPさんなら当たり前のこれらのことが全て楽しかったです。

二日目のライビュはかなり大きなアクシデントがありました。100%私に非があるのですが、非があるからこそガチで落ち込んで心配で不安で正直ライビュはじめはそんなに楽しくありませんでした。
ライビュ途中でスマホで連絡確認するために一度会場抜けたくらいには大きなやらかしでした。が、なんとかその一度の連絡で一段落ついたため、1回目の休憩(キャストが会話する時間)以降はとても楽しめました。
アニメ化が発表されたとき、普通に迷惑だったなと後々に気付いてガチで反省しましたが、ライビュの席でダンダンと地団駄踏むほどに興奮しました。

セカライの円盤を予約しました。グリツア地元回で現地に行きました。新しいCDシリーズが始まりました。エムステサービス開始しました。時期あんま覚えてないけどSideMのアニメも始まったので全話リアタイしました。ゆくマスくるマスでSideMコーナーがあって興奮しました。サドライツアーが始まってライビュ全通しました。5★イベントのライビュも行きました。お金が無くてサドライの円盤は買えませんでした。買えなかった分お金を貯めてフォスライ現地一日目行きました。

そこから、少しだけSideMから離れました。モバエムもエムステも開かなくなって、まぁTwitterに流れてくる情報だけ見ておいて、

曲も聞かなくなりました。気付いたらエムステのサ終が決まりました。最終日にアプリを開いたらデータがなくなってて、モバエムに引継ぎできないなーと思いながら終わりを見届けました。

2021年、サイスタが始まりました。
2021年、久しぶりにSideMのライブがありました。
サイスタをちょっと触ってたので、気になって神戸のライブの配信チケットを買いました。
そこで、知らない曲を歌ってるSideMの声優さんたちを見て、「自分はもう離れてしまったんだな」と実感して、
何気なくモバエムを開きました。

モバエムは開かなさ過ぎてインストールしなきゃいけない状態(アプリの名前の隣に↓がある状態)になってて、データ大丈夫かなーと思いながら開きました。
そこで、かつて担当だったアイドルに、放置しすぎだと文句を言われました。
なにがどう心に響いたのか、それとも心にはそんなに響いてなかったけど過去の癖が戻ってきたのか、その日からちょくちょくモバエムを開いて遊ぶようになりました。

モバエムのサ終が決まった時、私は「まぁそうだろうな」と思いました。正直サービス縮小って言われたときから予想はしてましたし、バンナム自体がMobageから手を引こうとしているようにも見えていたので。
たくさんのテキストやカード、雑誌がなくなるのは寂しいけど仕方ないなーと思いながら、最後のUPCだって結局最後までポイント集めずBランクで終わりました。
みんながいそいそとスクショして録画して保存用のデータ作っている間もなにもせずただ「もうなんもイベないのかー」と呑気にしていました。

2023年1月3日、サ終まであと二日、途端に精神が落ち着かなくなりました。不安とか寂しいとかじゃなくて、怒りでも悲しみでもなくて、もしかしたらそれら全てなのかもしれないしそうじゃないのかもしれないけど、どうしようもなくつらくなりました。
つらくなったとて終わる事実は変わらないし、自分が飽き性なのがわかってるのでスクショとか録画とか全部せずに適当にすることが目に見えているから他の方に任せようなんて考えてる適当な姿勢は崩しませんでした。
はたから見たら思い入れがないように見えるし、きっと私がこの記事を書いている間にも他のPさんたちはいろいろな情報をまとめて自分用のアーカイブを作っていると思います。
でも、私はそれをしないけど、自分の事務所がなくなるのが、本当につらいです。
今だってなくなるって打っただけで涙が出てくるほどぐちゃぐちゃな気持ちです。
なんかもう飽き性とかじゃなくてなんか怠惰になる病気でも患ってるんじゃないかと思うくらいには気持ちは焦っています。

きっとモバエムは私の家族なんだと思います。
家族から離れて忘れるなんてことはない!って思うかもしれませんが、それでも、私が振り返ったらモバエムがいつもそこにあって、気が向いた時にログインしたら、それでもアイドル達がいつもと同じように出迎えてくれるその場所は、私の家族のようなものでした。
家族って言葉以外にもっと似合う言葉があるのかもしれません。
でも、そのくらい大切な存在でした。
失って初めて気づくというより失うことを直前にして初めて気づきました。

どれだけ知らない曲が増えてもアイドル達はみんな私が知っているみんなでした。八年間の歴史の中で私がちゃんと寄り添えたのは半分もない時間だけだったけど、それでも私の人生の長さで言うと結構長い時間一緒に過ごしました。

SideMがなくなるわけじゃないじゃないか、それはその通りです。でも私が出会ったのはエムステが無かったころのSideMです。最初に見たものを親と思うアレに近いのかなって思います。
沢山の思い出が全部モバエムに繋がっていて、モバエムが思い出の全てを共有してくれています。

覚えていないことがたくさんあります。忘れてしまったことが多すぎます。でも全部大切でした。

クソゲーだと思い続けたし、中学生だった私はおこづかいで課金しようと思ってもMobageの年齢制限のせいで18連ぎりできるかできないかだったから課金しなかったし、高校生になった時は別のアプリにめちゃ課金してたからモバエムに課金なんてそんなしなかった(担当がガシャRのときだけまわしてた)し、金銀トロフィーなんて持ってなかったし、最高順位1500とかだし、担当のSRもそろえ切れてなかったし、雑誌だって全部は読み切れてないし、なんなら放置してたし、
それでもどうしようもなく好きでした。
適当すぎるプレイをしていた私は、それでもMobage版アイドルマスターSideMが好きでした。こんな怪文書作って、好きだって信じてもらえないかもしれないけれど、それでも好きでした。

怪文書、読むのお疲れさまでした。ここで私のモバエムへのクソデカ適当思い出感情~自語添え~は終わりです。
モバエムもあと13時間ちょっとで終わります。
明日仕事始めなので多分最期を見届けることはできないし、きっと家に帰ってきてアプリをタップして、大泣きするけど、6日以降の感情が不安だけど、それでもとりあえずもうモバエムに関して書くことは、無いです。

私みたいな適当なPがここまで情緒乱されてるので、「歴の浅いPがこんなわめくのはどうかな」なんて思ってる方も、胸張って情緒不安定になってください。

おやすみなさい。




最後に、モバエムのアーカイブを作ってくれた、作っているPさんたちありがとうございます、お疲れ様です、こんな怠惰で何もしない適当なPが、それでも愛したアイドル達を覚えていることができるようになります。


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