青春

ライブハウスに通い始めたのは2011年の夏頃。
Twitter繋がりでGRINCHというバンドのギターである南君と知り合って、一緒に楽器屋に行くところから始まって、渋谷aubeというライブハウスに観に行ったのがきっかけだった。
シューゲイザーに夢中になって、平日だろうが関係なく通いつめた。7eyes40days、Float down the Liffey、Cigarette in your bedといったバンドに知り合った。今では活動していないバンドも沢山いるけど、未だに鮮明に覚えている。
ちなみにシガレットでベースを弾いていたのが冷たい指輪の理恵さんで、ドラムを叩いてたのがTeenagers Bloody KillinGのokzさんだった。ライブ後の打ち上げで理恵さんと話して、冷たい指輪への加入のきっかけになってバンドの世界に足を踏み入れることになった。

冷たい指輪はなかなか破天荒なバンドで、レコ発が決まってるのに曲も仕上がってないし、RECもまだという状況。必死で曲を仕上げて、スタジオに週2で入っていたりもした。代々木のゲートウェイでしばらく入っていたな。RECはリンキーディンクスタジオの三浦さんに担当してもらい、吉祥寺リンキーのRECブースで一発録り。
音源の出来は荒削りにも程があるけど、勢いと衝動感が詰まったEPを作った。
4月に下北沢ERAでレコ発自主企画を打った。Cathy lost one's apricot yesterday、軍艦オクトパス、GRINCH、FOOLAというメンツ。ほとんどが解散や活動休止してしまったのを思うと、月日の流れを感じたりもする。
ちなみにこの日はギターの中尾君がマーシャルをぶっ倒し、俺はギターを投げたりして酷いライブだった。かなり怒られたけど、ここから下北沢ERAには良いイベントに呼んでもらったりで本当にお世話になった。

当時はバンドをやってるとは言え、最前線で活躍しているバンドの方々に憧れを持ちながら、いつか対バンすることを目標にしていた。
aquarifa、fifi、cold kitchen、ジョゼ、undersign、Teenagers Bloody KillinG...
自分にとっては青春そのものと言えるバンドばかりである。
今でもそれは変わらない。

冷たい指輪のEPをCD-Rに焼いて、とにかく色々な人に配って歩いた。
aquarifaやdeid、LOSTAGEに渡して聴いてもらったこともあった。
とにかく必死だった。

そんなこんなで冷たい指輪は2012年の11月に脱退。1回目の解雇。
わざわざ連絡をくれる人もいてくれて、諸先輩方には本当に頭が上がらないなと思った。当時の環境や立場だからというのもあるかもしれない。
aquarifaのりんたろうさん誕生日企画への出演が決まっていて、念願の対バンだったのに脱退で本当に悔しい思いをした。aquarifaのメンバーが色々と掛け合ってくれたことを知って、涙が出そうになったのをよく覚えている。

I have a hurtに加入する話が出たのは、ちょうど冷たい指輪を脱退した日に吉祥寺WARPにライブを観にいった時だった。
以前から蜷川さんからスタジオデモをもらったり、連絡をくれたりとやり取りをしていて、自分がバンドを脱退したのをきっかけに急接近した。
シューゲ畑だった自分にとってはまさに挑戦とも言える出来事だったと思う。

スタジオに入ったり、蜷川さんの家でギターを仕込まれたりしながら2013年の1月にI have a hurtに正式加入。初企画を吉祥寺WARPで打つのだけど、ドラムが脱退して、その後に間も無くベースも脱退。しばらく活動できないまま、知り合いづてで今のリズム隊が加入することになった。
そこから約3年の間、怒涛のライブ本数をこなしながら活動を続けた。
自分にとっても本当に大事な時間だったなと思う。アイハブがなかったら、今の自分は間違いなくいない。知り合った友人たちも本当に大事。
そして、2016年1月で脱退。2回目の解雇。
この時にはもうバンドを辞めようとすら思った。最後のライブで思い切りジャズマスターをアンプに叩きつけた。

I have a hurtへの加入の半年後にTeenagers Bloody KillinGにもサポートで加入した。冷たい指輪脱退時に真っ先に連絡をくれたのはokzさんだった。
「いつか一緒にやろうぜ」と声をかけてくれたことが希望となったのは言うまでもない。
サポートから正式加入となり、そこから約3年間活動し続けた。
大好きだったバンドに加入するプレッシャーは物凄かったけど、自分が少しでもバンドに変化を与えられているのなら本望だった。
音源も録ったし、ツアーに回ったりもしてなかなか精力的に活動できていたなと思う。そして、2016年11月の自主企画後にokzさん以外のメンバーで脱退を決めた。未だに彼はライブハウスに戻ってきてはいない。

解雇や脱退を迎える度に何度バンドを辞めようと思ったことか。
下手くそと言われ続け、自分なんかがステージに立つ資格なんてないとすら思った。正直な話、今でもそう思うことはある。
辞めるって生半可な覚悟じゃできないし、生半可な気持ちで辞めようとなんて思ったりはしない。そのくらいにはボロボロだった。

そんな中で背中を押してもらって、昨年初旬に17歳とベルリンの壁のギターに応募した。これまた冒険だった。
大好きなバンドだったし、その一部分となることに不安もあった。
一度破壊しようとしたジャズマスターを直して、スタジオに挑んだ。
未だに自分の下手くそさ、至らなさを嫌というくらい味わっているけど、このバンドのためなら猛練習して乗り切りたいと思っている。

バンドの一部分として、自分に一体何ができるのか。
以前の自分にはもう戻れないし、今の自分にしか出来ないこともある。
俺は曲を引き立たせるギターを弾きたい。それは今も昔も変わらない。

こうなったら死ぬまで続けてやろうと思う。
まだまだ終われないね。