防火・防災管理者

ごく当たり前の事を最もらしい言葉で武装してくる人が昔から苦手だ。
これは自分が言葉で武装できないタイプだから苦手意識を抱いているのも大きいが、何より薄っぺらいのにそれっぽく聞こえて心掴まれそうになる自分に嫌気が差すのだ。

言葉の厚みに対して考えさせられる出来事がつい先日あった。防火・防災管理者の講習を2日間受けてきた時のことだ。
その名の通り、建物の防火や防災に関わる管理者になるための資格。職場の前任者が退職したのを機に管理者になることになった。

講師はおそらく元消防士だったり救護士だった人達だろう。2日間でぐったりと疲れ切ったのは言うまでもない。だが、防火管理者としての職務へに対して奮い立たされるくらいには、心をガシッと掴まれた講習だった。

華やかでもないし、地味で面白味がない内容。何がそんなに良かったのか。
ずばり、何1つ飾らない講師の言葉に強い説得力を感じたからだ。そりゃ危機管理や防災に従事する者が薄っぺらい言葉で武装したら死活問題だろう。彼らの説明に難しい言葉なんて何1つなくて、それこそ実体験に基づく重みのある言葉ばかりだった。

最もらしい言葉で武装しても、メッキは剥がれる。
そういう人をSNSや仕事を通じて沢山見かけてきた。

自分の経験や実績は自信と説得力へ変わり、言葉の重みが増していく。
それっぽい言葉に騙されるなといつも自分に言い聞かせている。

大袈裟かもしれないが、言葉というのは人間の本質を現すものだと思う。
本質を見ろ。そして人の考える本質を疑え。