I have a hurtのこと

時間が経つと忘れてしまうことも沢山あるので、備忘録がてら書き記そうと思う。
今の自分を振り返る上で欠かすことの出来ないバンド。I have a hurtの話。
最初に出会ってから、気が付けば6年も経ってしまった。決して早くはないし、今に至るまで色々なことがあった。

最初に出会うきっかけとなったのは2012年8月26日(日)
当時、ギターを弾いていた”冷たい指輪”というバンドで吉祥寺WARPのブッキングライブに出演した時のこと。
出演キャンセルになったI have a hurtのVo&Gt蜷川さんがライブを観てくれたことがきっかけだった。
COQ(現rarara)とalt(現the alt)が対バンで、その直後からaltのギターの秋田さんがアイハブのサポートギターを務めることとなった。
確か、ライブ後に蜷川さんからDMで連絡をもらったんだったかな。それが初絡みだったと思う。

そして、忘れもしない2012年11月18日(日)
8mと吉祥寺WARPの共催イベントを観に行った時にI have a hurtのライブを初めて観た。
この日は冷たい指輪を脱退した日でもあり、複雑な思いを抱えつつ観に行ったんだった。
アイハブは秋田さんのギターがはまり役で、全体のグルーヴが渋くて重くてカッコよかった。衝撃的だった。ちなみに秋田さんは弦切りまくってた。
終演後に蜷川さんに話しかけて、廃盤となった1stデモを購入。あのデモは未だに大切に取ってある。バンドを脱退した話をしたら、うちでギター弾かないかと声をかけていただいた。この時は全くイメージが湧いていなかった。

2012年12月2日(土)3cm tourとBALLOONSとJOURNAL SPY EFFORTの3マン企画「構想の死角」@下北沢ERA
当時の冷たい指輪のドラム(現Vanishing Twin)のしんぺいと一緒に観に行った時に蜷川さんと会い、終演後に味噌ラーメンを食べに行った。
Ghostlateの多田君がギターのもう1人の候補だと聞かされて、この日に意を決して「アイハブでギター弾かせてほしい」と話した。まだ下北沢が様変わりする前の話。

年始にスタジオに入る話になっていたので、まずは曲とフレーズを覚える所から始まった。
元々ギターロックあがりのフレーズを弾きながら暴れまわることしか出来なかった自分にとって、アイハブはまさに試練だった。
蜷川さんの自宅での猛特訓の日々が懐かしい。昼から夜までずっとギターを練習し、ビールを飲みながら色々な話をした。
蜷川さんは影響を受けた音楽を沢山教えてくれた。Daitro、Kidcrash、Angora Static、12XU、Baton Rouge、キウイロール、Cowpers等々数え切れない。
Touche AmoreとLoma Prietaの来日公演を一緒に観に行ったりもしたし、自ずと和製オルタナや激情HCを好きになっていった。
ちなみにビールの定番はキリン一番搾り。時には蜷川さんの奥さんのヨウコさんがココナッツカレーを振舞ってくれることもあった。
音作りを詰めるために梅が丘のスタジオで個人練入ったりもしたな。これまた懐かしい。

ベースのだいちゃんとドラムのトッティさんと初めて会ってスタジオに入ったのが2013年1月メンバーは遅刻の常習犯だったし、練習後には大体飲みに行ってた。飲みに行くのは今も変わらないだろうな。
ちなみにトッティさんは脱退するまでずっと自分をメンバーとして認めてはくれなかった。凄く悔しかった。
初の自主企画を終えた直後にドラムのトッティさん脱退。9月にベースのだいちゃん脱退。蜷川さんと俺の二人だけになった。やけになっていたし解散もよぎったけど、俺はついていこうと決めた。
メンバー探しに翻弄される中でドラムの候補としてスタジオに入ったのがCastawayのドラムと現ドラムの山浦。(ベルリンでCastawayと対バンした時にその話をしてお互い苦笑)
ベースはというと、「ダウンピッキングをやらせたらこの人!」と評判の大学の先輩、ヤマダマンを山浦が連れてきた。こうして今のリズム隊が築きあがったのだ。
そして新編成で11月のシガレットケース企画@新宿motionで復活。この日はトッティさんやだいちゃんも観に来てくれて、とても素晴らしい日になった。

3年間の在籍期間の中でリリースした音源は無し。Further Platonic Recordsのコンピアルバムに”anone”という曲のデモを収録したのみ。
スタジオで借りれる簡易的なMTRにボーカルを別録でMIX。メンバーで蒲田で餃子を食べに行った後にヤマダマンの家でMIXした。ウイスキー飲みつつ寝落ちした懐かしい思い出。

機材もあれこれ試行錯誤しつつ、2014年の4月頃からヤフオクで安く落札したMarshall 1987xのアンプヘッドを使っていた。
それこそLOSTAGEやthe north endの影響でもある。脱退する最後のライブまでメインで使い続けた。
真空管はヴィンテージのムラード製に交換。電源はベルデン製のハンドメイド品。昇圧もさせてた。この頃からずっとエフシュガーにはお世話になっている。
パンチのある爆音しか出ないアンプだったけど、ストレートで濁りの無い出音は大好きだった。

約3年間の活動を通して沢山の人たちと知り合うことが出来た。今も仲良くしている人たちも多い。yukueとは未だに酒を交わしたり、彼らのライブを観に行ったりする。奴らはベルリンのライブには絶対来ないけどね。笑
midnight paradeとはアイハブにいた時よりも、今の方が交流がある。これはまた特殊な話でもあるから割愛。
必ずしも皆がそうではないのだけど、今も変わらず仲良くしてくれる人たちには感謝。

では何故、脱退することになったのか。一番大きかったのは「ただの社会人の趣味としてやっていたバンド」がいつしか「目標を持った芯の強いバンド」へと変化していったこと。
その中で自分自身がついていくことが出来ずに離れざるを得なかったこと。この点は未だに悔やんでいる。

バンドの音楽には罪はない。だってアイハブ大好きだから。だから矛先をどこに向けていいかわからなかった。
正直、もうバンドを辞めようと思った。アンプもギターも全部壊してしまおうと投げやりになった。
この屈辱的な経験があったからこそ、今の自分がある。それは紛れもない事実だ。
未だにバンドを続けていて良かったなと心の底から思えるのは、お互いにしっかりと前を向けているからこそだと思う。

長くなりましたが、俺はI have a hurtもメンバーも変わらず大好きです。
自分を育ててくれた蜷川さんとメンバーに感謝。どうか体調には気を付けて。