なまほしちゃん愚考

注:以下はほごしゃさんではない深層リスナーが書いている文章なので色々好き勝手言っていると思います。仮に熱心なほごしゃさんが見た場合に気に入らない可能性があります。ご了承ください。もし事実として間違っていることがあればちゃんと謝るので教えてくださると助かります。
注:記事内でなまほしちゃんに~を感じた。のように書いている部分がありますが、これは自分が感じたことでなまほしちゃんが事実としてそうであるということを意味しません。

 注意事項としても書きましたが自分自身はほごしゃさんではないです。誤解を招きそうなので補足すると嫌いなわけじゃない、普通に好き。ただ、配信をそこそこ追えているわけではなく切り抜きによる摂取がメインという点ではまぁほごしゃさんではないでしょうということです。

 初めて切り抜きで見た時からなまほしちゃんが恐ろしかった。何か自分の何かが壊される気がした。ガチ恋的な意味ではなく、どちらかといえばマイナスの感情、言葉を選ばないのであれば嫌悪に近かった。ただ、理由がわからなかった。かわいいし、話も面白いのに。

 この切り抜きを見てその理由に気づいた気がした。鉄緑会という部分だ。あくまで持論としてだが、鉄緑会などのある種特進的な教育を受けると認知が歪むと思っている。それを見せつけられた気がした。変な解釈を避けるために言うと自分自身もこのような教育の通過者だった。その経験からこういう持論を持っている。

 切り抜き内にもあるように特殊な高等教育を受ける人は当然勉強ができる。そんな人たちにとってテストは点を取るものではなく、自分の頭の中を正しく伝えるものになる。極端な言い方をすればめだかボックスでもあったようにテストは「間違う」ものではなく「間違われる」ものになる。少なくとも正しい回答を正しく見てもらう、解けなくても理解している範囲を適切に見せるものになる。
 そんな考えは通常の会話にも侵食する。特進教育通過者にとっては会話は答えが決まったものになりうる。滑った時にはネタが伝わっていないことを懸念する。共感を得ようとして得られなければ説明不足ではないかと思う。つまり会話は確認作業に近くなる。そのなれの果てとして脳内○○を作り出すようになる(と思う)。
 当然これは自分自身もそうなってしまったと感じている。なまほしちゃん自身がどうかはわからないが、少なくとも自分はなまほしちゃんの中にそれを感じてしまった。

 つまり自分にとってなまほしちゃんは前述した意味として鏡だった(烏滸がましいことに)。そしてリアルと同じく陰キャは鏡を見ると消滅する。鏡がないからインターネットにいるのに。これがなまほしちゃんに感じた違和感の正体だった。怪奇現象は名前が付けられてしまえば恐ろしくなくなる。わだかまりが解けた自分はこれからも自分なりになまほしちゃんを推していこうと思う。
 


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