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思い通りいかないことも大切

   思い通り
いかないことも大切
                         №125                       2021.03.16

僕は今年三月、担任の先生から勧められて、A君と二人、K高校を受験した。K高校は私立であるが、全国の優等生が集まって来ている、いわゆる有名高校である。(中略)僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は猛烈に勉強した。ところがその入試でA君は期待通りパスしたが、僕は落ちてしまった。
得意の絶頂から、奈落の底へ落ちてしまったのだ。
何回かの実力テストでは、いつも僕が一番で、A君がそれに続いていた。それなのに、その僕が落ちて、A君が通ったのだ。誰の顔も見たくないみじめな思い。(中略)何もかもたたき壊し、ひきちぎってやりたい怒りに燃えながら、布団の上に横たわっている時、母が入って来た。
「Aさんが来てくださったよ」(中略)
涙を一杯ためたくしゃくしゃの顔のA君。
「君、僕だけが通ってしまってごめんね」
やっとそれだけを言ったかと思うと、両手で顔を覆い、駆け下りるようにして階段を下りて行った。

僕は恥かしさでいっぱいになってしまった。思い上がっていた僕。
いつもA君になんか負けないぞとA君を見下ろしていた僕。
この僕が合格してA君が落ちたとして、僕はA君を訪ねて、僕だけが通ってしまってごめんね、と泣いて慰めに行っただろうか。
ざまあみろと余計に思い上がったに違いない自分に気がつくと、こんな僕なんか落ちるのが当然だと気がついた。
彼とは人間の出来が違うと気がついた。

通っていたらどんな恐ろしい一人よがりの思い上がった人間になってしまったことだろう。落ちるのが当然だった。落ちてよかった。
本当の人間にするために天が僕を落としてくれたんだと思うと、悲しいけれども、この悲しみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。

僕は今まで思うようになることだけが幸福だと考えてきた。
が、A君のおかげで思うようにならないことの方が、人生にとってもっと大事なことなんだということを知った。
(青山俊董「生かされて生かして
生きる」『春秋社』より)

お釈迦様は、「すべては思い通りにならない(一切皆苦)」と教えられました。思い通りにならないことを受け止められる人になりたいです。
            
  最後までお読みいただき
ありがとうございます

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