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関係のないようである話①〜2010年西南学院大学『戦争論』多木浩二

評論の文章解説をする前に話(噺)の枕として必ず口にする言葉がある。

「では、(文章と)関係ないようである話なんですが……」

私の授業を受講した経験のある生徒は耳にしたことがあるのではないだろうか。これは文章理解のために生徒の思考の枠組みを広げたり、柔軟にするためにアナロジーとなる話をしている。個人的には授業の出来を左右すると言う認識なので、準備が大変ではある。

さて、本日は某所の私大現代文クラスの授業ででは2010年の西南学院大学商学部で出題された『戦争論』を扱った

☆出典 『戦争論』多木浩二(岩波新書)

その際の噺の枕を簡単にご紹介しよう。

近代という時代は「合理主義」のイデオロギーに支配されていましたね。

☆合理主義
→物事を理性的な判断によって捉えていく思想。理性とは「物事を正しく判断できる」能力のこと。理性によって捉えられないものは徹底的に排除された。

近代の人間達は「理性」に基づく判断や研究によって科学の発達や新しい政治制度の構築を果たした。天気は占い師が祈祷して変わるものではない、科学的な手段によって予測可能なものだ。つまり、我々の生活の基礎を作ったと言えるのが合理主義であり、そこから派生した理論なのである。

しかし、この合理主義的な発想によって20世紀は戦争や様々な国家的な犯罪が引き起こされる。

例えば、ナチス・ドイツはユダヤ人を絶滅収容所で虐殺したが、その際の根拠として単にユダヤ人が憎かったからではないのである。
ドイツ人はアーリア人であり最も「優秀な」人種であるとした。そして、そこから最も「遠い」人種であるユダヤ人であるとした。彼らユダヤ人を「更生(という名の排除)」することはドイツ人にとって、ひいては人類にとって「合理的」な判断であるとしたのだ。そして、合理的に彼らはユダヤ人を虐殺を行ったのである。

また、同様に身体障害者の方々も生産性がないとして社会から排除をした。

これは、ナチスがつくったポスターである。障害者が生きるためのお金を記載し、これが「無駄」であると人々に訴えたのだ。

これらの思想は現在では当然認められるものではない。しかし、当時の人々はこの思想を支持したのだ。当然その「人々」も「理性」によって支持するという判断を下して……。

と、するとそもそも「理性」とはなんなのか、という問いが生まれる。

正しい殺人が成り立つ場面はあるかもしれないが、ユダヤ人を虐殺することはそれに該当するのか。障害者は生産性がない単なる金食い虫なのか。

結果として「人類にとって正しさ」とは特定の立場からの思想でしかないのだ。

その「合理性」の「非合理性」に感づき、表現したのが今回の文章に出てくる芸術家なのです……

【メインテーマ】戦争とは人間の理性が引き起こしたもの

……という感じで文章解説に入ります。今回は文章が短かったのでかなりガッツリ話をしました。

ちなみに、これら合理性が限界を迎えているにもかかわらず、世の中で賞賛されたものとして、万国博覧会での「人間の展示」という植民地住民を「人間動物園」として展示したものが挙げられます。詳細は『博覧会の政治学』/吉見俊哉をご覧下さい。

『博覧会の政治学』/吉見俊哉

それでは。

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