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赤本天国② 原爆・敗戦・某国人〜久呂田正三『髑髏魔人』


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 七色祐太氏が昨年、久呂田正三の回想を見つけました。A5判の貸本漫画、久呂田まさみ『どぶ鼡の紳士たち』に掲載されたものです。少し長いですが全文転載します。
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ばっく すていじ
喜びも悲しみも幾歳月 思い出とは楽しい
ものです なんとなく恥を書きましょう(まさみ)

生まれ落ちたのが時計屋の三男 ねてもさめても時計と時間にかこまれていた為か長じてからは逆効果 いたって時間に弱くなる。
 原稿の遅れる事は仲間でもNo1…有難くないワンだ。
 編集長様や仲間には何時も済まないと思うが、……ワカッチャイルケド……
 小学生の時は女の子によくモテた。それは絵が人様より少々ばかり巧みだったせいで男前かどうかは申しません。
 その頃はごらんの通りのオモロイ格好……ゴム靴に着物 おまけにハカマときては…ねえ
 中学を経て美校に飛び込む…父が画家志望に反対のため最低生活…
 しかし希望に満ちたこの画家の卵は絵具だらけになって描きまくった。飯代がなければ机の引き出しから切手を探しいも屋に走る。
 「絵描きの卵さんか まあ切手でもいいや。しっかり頑張って良い絵描きになるんだぜ」
 いも屋の親父さん浪花節調で焼いもを包んでくれた。
 切手で一食ありつけた まったく天下泰平の良き時代だった。はたして今切手を持っていも屋に行ったらどうだろう……
 いもの様なコブをもらうか怒鳴られるかがオチだろう…だが良い事ばかりは続かなかった 学校を出てしばらく浪人……突然召集令状が飛び込んできた。赤い令状とは反対に顔は青かった
 バイアス湾敵前上陸…日本で三ヶ月の訓練が終わると ほり出された処が南支那
 敵前上陸は大した戦闘もなくすんだが進むにつれて地獄の苦しさをゲップの出るまでなめさせられたがどうにか役目を果たして日本に帰ることができた
 しかしやれやれと思うまもなく世界第二次戦争が開幕…また召集
 台湾で船舶舞台にほりこまれる 海に負けぬ青い顔をしながら船艇の運転……
 次は無線通信班にまわされ通信修行の為広島に帰った処で原爆さんがコンニチは……
 顔面半分皮がむけた。
 我が挺身隊三千余人の内 生き残り二百余人。小生がその中の一人とは……

図01  どぶ鼠〜の中身久呂田ピカドン


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 腑に落ちるところが多々あります。彼の絵物語や貸本向け短篇誌『影』の表紙絵を見て、元々画家を目指していた方であることは検討がついてました。また従軍経験も予想通りでした。ショックだったのは被爆者であったことです。敗戦から15~20年経ってから書かれたこの述懐を読むと、もう以前のように作品を読めなくなります。もちろん著者の被爆体験から遡行的に作品を読むのは褒められたことではありません。しかし、その作品に刻まれた傷跡、痕跡がどうしても目に付く、解説を書くために久々に『髑髏魔人』を読み直しましたが、この読書体験は実に不穏なものでした。かつて読み落としてきた要素ひとつひとつが何か訴えかけるようで……。
 第一巻のクライマックス(p.58)で髑髏魔人が殺人光線を山に打ち付けるシーンがあります。

 「突然、夜の空を裂いて、一條の光線が、山々を照らした。それと同時に、バツーと、その山々から焔が上がったのだ、山は忽ち夜空を、眞赤に染めて、燃え上がつていく。」

 微細な描写です。順番をよく読んでください。いきなり爆発したとか、燃え上がったという表現ではなく、「一條の光」が照らしてから「焔が上がる」と書いてあります。特にこの「焔が上がる」が不気味です。焔が突然出現したかのようなニュアンスです。これはまるで高熱による自然発火のようではありませんか。山が燃え上がるのは、その後なのです。次頁(p.59)の文章にはこうあります。

 「山上は、忽ち、血と火の巷と化した 逃げまどう者、叫ぶ者、聲もなく倒れる者、この悲惨な有様こそ、目を覆う地獄繪である。」

図02 原爆を想起させる描写

 ここに描かれる山の上は、とても前頁(p.58)に描かれた山の様子には見えません。前頁に描かれた山の上には、こんな密度で人々が住んでいるでしょうか。どちらかというと街の様子に見えます。左手前の男性は光線で目をやられ、右手前の和服の女性は爆風に吹き飛ばされまいと身をかがめているようです。背景の爆風で飛ばされている四人は赤く塗りつぶされ全身火傷をおっているようにも見えます。他にも多くの場所に原爆投下のアナロジーが見つかります。物語冒頭、榊原博士が全身火傷をおうシーンもそうです。目だけを出し全身に包帯を巻かれた博士の姿はあまりにも生々しいでしょう。これほどまで血と死の気配のする描写が漫画に描かれたのは、はじめてのことだと思います。久呂田もあの夏、救護活動にも携わったかもしれず、「顔面半分皮がむけた」と書くほどですから自らも手当を受けたでしょう。この絵物語は、それからたったの三年しか経っていないのです。フィクションの中だからこそ、当時の記憶が直接的に露出しているのではないでしょうか。
 髑髏魔人が髑髏のマスクを被ったきっかけは、榊原博士が死に際に発射した拳銃のせいです。後に弟子の野田により開発されるG薬のプロトタイプを博士は発射したようで、魔人の顔は火傷でただれたようです。それで魔人は髑髏のマスクを被ったのです。このG薬は、タイトルにもなっている火焔ライターや山に放たれた殺人光線の原料でもあります。そして殺人光線が原爆のアナロジーになっていることはすでに指摘した通りです。光線を受けて、顔がケロイド状になった髑髏魔人の素顔は第二巻で明らかにされます。そこには「この世のものとは思へない醜悪怪奇な顔」と書かれています。実にむごい。というのも髑髏魔人の本名は黒淵剛三です。そして久呂田正三の本名は黒田正美です。これに気づいてから第二巻に描かれた目深に学生帽を被った男の肖像を見ると、当時の久呂田の心象が表れているようで胸が痛みます。この先の見えない諦念と絶望感が混ざりあったような肖像画は、同じ帰還兵である水木しげるが30歳ごろに描いた、うつむいた暗い自画像に通じるものがあります。

図03


 自らを異形の悪役に投影しながら絵物語を描くことは、久呂田にとって屈折した慰安なのでしょうか。そういえば久呂田の代表作『六本指』の悪役「六本指」の名前も無禮田六造でした。こちらも名前に「田」の字が入り、「三」の音読みである「ゾウ=造」の字が入っています。この無禮田は元々整った顔立ちをした青年でしたが、海で難破した際に岩角に叩かれて異形の人物へと変貌します。命からがら岸壁に這い上がり水たまりに自分の顔を写して「あッ!この顔が俺か?この化物の様な顔がッ!鬼の様な顔が!」と独り言つ姿は悲愴です【図4】。

図04 6本指
図04 瀕死のガリア人(反転)

 このポーズは古代ローマ彫刻の瀕死のガリア人を反転させたもので、水に自分の顔を写す様子はカラヴァッジョのナルキッソスを参照しているように思えます。ナルキッソスのポーズは「三太の冒険」【図5】でも描かれます。

図05 カラヴァッジョ
図05 三太

 画家志望であったことの矜持が少し感じられる場面でもあります。復讐の念に燃えることで、顔が「化物」になる展開は、絵物語のころから1960年代前半のA5判貸本漫画に至るまで繰り返し描かれています。その「化物」の多くは片目が潰れたように描かれます。代表作である『虫太郎シリーズ』『六本指』を思い出してください。髑髏魔人は片目ではないですが、先程も紹介した、はじめてその素顔が明かされるシーンでは片目を瞑った絵が描かれています【図6】。

図06 片目を閉じている

 この反復されるモチーフは街頭紙芝居「ハカバキタロー」から来たと思い込んでいましたが、それ以上に切実なものがあったのでしょう。
 私は、久呂田がどうしてこれまで異形の虐げられた人物にシンパシーを抱くのか不思議に思っていました。戦争体験と「戦後」がそれを強いていることはぼんやりと想像できたのですが、この仄暗い情熱には惹かれつつも、戸惑いも覚えていました。逆さまの自己慰安と考えれば合点はゆきますが、それではあまりに物悲しい。その上で『六本指』の最終頁に書かれた文章……「唯々、諸君にお願いしたいのは、もしも、お友達に、本篇の主人公ー六造の様な、不幸な人があつたとしたら、明るく朗らかに遊んでやつてもらいたいのです。元氣な子供に、してあげたいのです。」を読むといたたまれなくなります。また少年探偵・近藤欣二の「六本指親子のことなら、聞かないで下さい。餘りにも、気の毒だ。僕は今何も話したくないのです。」というセリフもそうです。これらの文章を、児童読み物のお約束として書いていると解釈する向きもあるようですが、案外自然に出てきた素直な心情な気がします。と同時に、創作をする上で少し余裕が出てきたからこそ生まれた文章のようにも思えます。
 最も不気味なのは、黒幕である某國人の存在です【図7】。

図07 謎の某国人

「世界平和を愛する人々に、もっとも嫌われる某國人種」は一九四八年の情勢から鑑みて米韓中ソのどれかでしょう。探偵はその某國人の顔を見て、すぐに何人かを判断しているのでアジア人ではないでしょう。となると米ソのどちらかです。
 浅川満寛は辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』に寄せた「作品案内「劇画漂流」登場人物プロフィール」で、久呂田のことを「熊本生まれ。本名・黒田正美。若い頃に上京し、油絵を学ぶと同時に左翼思想に触れ、思想を実践すべく一時九州の炭鉱へ。」と書いています。この左翼思想が具体的にどのようなものだったのかはわかりません。本腰を入れて調べるに値する内容だと思います。ただこの記述の出典もわからず、現在の私には現在判断のしようがありませんが、もし戦後までこの思想が続いていたならば反ソではないでしょう。私は某国人がアメリカ、さらにはGHQ関係者のことだと思っていますが確証はありません。
 『髑髏魔人 火焔ライターの巻』は二種類の表紙があります【図8】。

図08 表紙:プランゲ

 本復刻本の表紙のデザインの元となったヴァージョンと、プランゲ文庫(占領下の検閲のために集められた書籍からなるコレクション)にあるものです。表紙には23.5.18、No.6758、PASS、C.C.D-173という手書きの書き込みがあります。C.C.DはCivil Censorship Detachmentの略で、GHQ配下の民間検閲局のこと、No.6758は検閲した本の通し番号でしょう。23.5.18は昭和23年5月18日に検閲を行ったということで、つまり発行の3日後にはC.C.Dに送られたのです。PASSの字は黒枠のスタンプで押されており、出版許可がおりたこということでしょう。問題は翌月に発行された第二巻です。こちらはプランゲ文庫に収められていません。久呂田の絵物語のほとんどはプランゲ文庫にありますし、きさらぎ出版≒いづみ書房の本は1949年のものもプランゲ文庫にあります。つまり第二巻もプランゲ文庫にないとおかしい。ここらは私の空想ですが、第二巻は検閲に引っかかったか、C.C.Dに送れなかったのです。それは多分、「某國人」のせいです。某国人が米韓中ソのどれだとしても不穏な表現でしょう。占領下の敗戦国で許容されたとは到底思えません。 
 昭和20年代に原爆やそれに類する超強力兵器が登場する単行本は時々見かけますが割とその扱いはナイーヴです【図9】。

図09 酒井ふじを

 1954年のビキニ環礁の第五福竜丸事件以後高まる原水爆禁止運動の高まりとともに「ゴジラ」が撮られ、谷川一彦や白土三平による反核漫画が描かれ、1960年頃には東西冷戦=来たるべき第三次世界大戦のアナロジーとしての南竜二らの架空戦記が描かれました。昭和30年代以降のものは原爆に対する態度がわかりやすいですが、昭和20年代のものはそうではありません。混沌としています。『髑髏魔人』はもちろん原爆漫画ではありません。反米漫画でもありません。大体、久呂田自身がイデオロギーありきで作品を創るような作家には思えません。久呂田からしたら、筆からペンに持ち替えて街頭でやっていた紙芝居を絵物語にしただけかもしれません。ですが、このようなグロテスクでシリアスな怪奇絵物語はそれ以前に存在せず、模倣にすべき手本もなかったはずです。同時代作家である須磨寅一が助言をしたかもしれませんがほぼ手探りだったと思います。そのためか、この『髑髏魔人』には久呂田の体験や資質が生に出てきているように思えます。そのため意図せず「戦後」的なるもの、久呂田の場合は直近の強烈な体験としての原爆体験が噴出しているように思えるのです。翌年、一九四九年の作品……例えば「類人猿」や「怪鳥ドラゴン」のような作品の方が良くできたフィクションとしてパッケージングされています。処女作においては破滅的な怒りが創作のモチベーションとなっていますが、翌年の作品は物語世界をしっかりと構築しようとする意志が強く感じられます。
 最後に久呂田の特徴的な絵について書きましょう。彼の絵を下手だとかデッサンが狂っているという人がいます。それは仕方のないことです。彼の絵物語の代表作…「六本指」「髑髏魔人」「孤島の嵐」「犬神」「怪人二郎丸」……は、すべて1948年、49年の二年間に描かれたています。多分、一冊(64頁の本文+表紙)を一ヶ月未満で執筆しているのです。絵を描くだけでなく話の筋を練る時間もありますから、丁寧に描いてなんていられません。ゆっくり描けば貸本短篇誌『影』の表紙絵を描く実力ぐらいある作家なのです。それを看過して、久呂田を下手な絵描きだとみなすのはフェアではないでしょう。
 彼の絵物語の絵の描き方はこのようなものだと思います。まず切羽詰まったような「顔」と、うねるような動きをした「手」の2つの要素を画面上に配置します。それから顔と手の間を埋めてゆきます。だから人間の身体が妙にねじれていて、自然な奥行きが出ていないように見えるのです。それでも構図にハリが出ない場合は、手前に物体や人物の後ろ姿を配置します。顔と手を先に描き、その間を(美術解剖学を無視して)埋める方法は、かなり難しいポーズも描けるというメリットがあります。

図10

【図10】は両手で顔を覆い、前かがみになりながらも、膝を曲げるという無理な姿勢です。演劇的な姿勢といってもいいかもしれません。しかしこのポーズから感じられる違和感、不自然さは、躓きよろめきながら歩く髑髏魔人の苦しみをわかりやすく表現しています。また【図11】のようなコマをちゃんとした透視図法(線遠近法)に則った空間構成で描くと、三人の表情を同時に読者に見せることは不可能でしょう。

図11

 相当手練な画家なら、うまい嘘を付くことができるでしょうが久呂田にはそこまでの画力はないです。これらは褒められたやり方ではありませんが、久呂田の作る混沌とした物語には合っています。美術として間違っていても、絵物語としては正解なのです。ただあまりにも画面に無計画に線/斜線を入れてしまうので、白黒印刷のとき見づらいという欠点はあります。二色刷りの場合は、薄墨で明暗を整理して、朱色で構図上の強調点を押さえることができるので見やすくなるのですが。
 しばしば一九四八年に手塚治虫が『地底国の怪人』で漫画に「悲劇」を導入したといいますが、それと同じ年、同じ大阪で久呂田正三はもっと虚無的な悲劇を描いていたのです。二人の作品は、1949年、50年に発行された雑誌『冒険紙芝居』(トヨタ文庫)に共に掲載されますが、それも結局廃刊になります。手塚は東京へ出て成功し、久呂田は大阪・日の丸文庫で編集や執筆しながら酒に溺れてゆくことになります。数年後、日の丸文庫で『影』を創刊しますが、そこに掲載された漫画(劇画)は久呂田好みのビザールな世界とは程遠いものです。そもそも辰巳ヨシヒロはある時期まで久呂田の絵物語を読んだことがなかったといいます。
 久呂田正三が絵物語作家として活躍したのはわずか二年。彼の絵物語が直接的に次の世代へと影響を与えることはなかったでしょう。しかし21世紀になり歴史的な認識のパースペクティヴが壊れ、主流派とマイナーの境目がわからなくなってきた現在において「戦後」という時代状況を一身に背負ったような作品群は輝きを増しているように思えます。以前は評価しようにも読むこと自体が困難でしたが、『六本指』『髑髏魔人』の復刻により風向きは徐々に変わってきています。「劇画漂流」や「劇画バカたち」に描かれる「酔っぱらい・久呂田まさみ」から、「作家・久呂田正三」へと評価が変わることは歓迎すべきことでしょう。

図01久呂田まさみ『どぶ鼡の紳士たち』p.135
図02本誌p.
図03a本誌p.  b水木しげるの自画像
図04久呂田正三『6本指 南海の幽鬼』幸文堂書房、1948年、p.38 b.古代ローマ彫刻「瀕死のガリア人」を反転させたもの。 c.カラヴァッジョ「ナルキッソス」 
図05本誌p.
図06本誌p.
図07本誌p.
図08『髑髏魔人』、『髑髏魔人 秘密火焔ライターの巻』いづみ書房、1948年、表紙
図09酒井ふじを『活劇漫画 爆弾小僧』

図09 酒井ふじを表紙

 表紙欠のため発行年不明。酒井不二(ママ)著『西部の風雲児』太閤堂という単行本も持っているが、そこには同題の作品とともに爆弾小僧が併録されている。このコマは最終頁で、一つ前の頁には「おおさま!それでは やくそくどうりに ぼくのねがいをきいてください!それはゲンバクをばくはつさせること そして もうつくらないことです そうすればペペロぞくだってこれからはあんなつまらないことはしなくなりますから……」核の抑止力の欺瞞を書いた作品とも言えるが、基本的に愉快な活劇ものである。1952-4年ごろの作品だと思います。
図10本誌p.
図11本誌p.

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