『音楽は絶望に寄り添う ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか』

 ネタバレありますので、気にする人は読まないでください。ただの日記=読書感想文です。

 ショスタコーヴィチというソヴィエトの作曲家がいる。1906年生まれ、1975年死去。ハンナ・アーレントと同年に生まれて同年に死んだ。本書は彼の音楽に感銘を受けて、躁鬱病から救われたというBBCの音楽番組プロデューサーの自伝的エッセイである。<スティーブン・ジョンソン(2022)『音楽は絶望に寄り添う ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか』河出書房新社>
 
 伝記ではなく、徹頭徹尾ショスタコーヴィチの音楽が、一人の英国人にどう作用したかを緻密に書いている。本書はカフカの『変身』の挿話からはじまる。それはこんな話。

そしてそれでも彼の妹はとても美しく「バイオリンを」弾いたのだった。彼女の顔は横を向いていて、悲哀を帯びながら夢中で楽譜の音を追っていた。グレゴールは少し前に這い出し、頭を低くして彼女の目を見つめられるようにした。もし音楽が彼をこのような気持ちにあせるのなら、彼はどうして粗野な獣などであろうか? 

カフカ『変身』

 そしてジョンソンは、妹の弾くヴァイオリンの音が、たとえ一瞬の間ではあっても彼女と再びつながることができるかもしれないという希望を復活させ、ゆえに彼が妹と目線を合わせようとする努力が一層痛ましく心を打つ。と書く。
 ジョンソンは癇癪持ちの母のもとで育てられ、いつも母の目を気にしていた。そしてその孤独や不安、虚無感の中で、ショスタコーヴィチの暗い音楽に救いを求めたのだろう。13歳のころベッドに横たわりながら、ショスタコーヴィチの交響曲を反芻しながら眠れなくなった様子が書かれているが、私はそれを読んで胸をつかれたような気がした。私だ。これは私だと思った。思い出したくもない十代の頃の焦燥のなかで、宗教のなかった私は、バッハやベートーヴェン、マーラー、そしてショスタコーヴィチの音楽を信じていた。私が真実に繋がれたと思えた芸術はこれらのものだけだ。そういう感覚が延々と本書に述べられていて、とんでもない気持ちになった。
 
 ジョンソンは交響曲第四番と弦楽四重奏曲第八番が好きなようだが、私は交響曲第十五番と弦楽四重奏曲第十三番、チェロ協奏曲第二番が好きだ。また晩年の「マリーナ・ツヴェターエワの6つの詩」や「ミケランジェロ組曲」も捨てがたい。とはいえ基本的に、彼のショスタコーヴィチへの想いには、共感するばかりだ。

 私は創作に迷ったときに、いつも振り返ることがある。つまり人生の最後にどこに到達すればいいかである。交響曲第十三番と十五番、チェロ協奏曲の第二番、そしてミケランジェロ組曲などが、その指針となっている。これらの曲の最後に現れる打楽器やフルートの何と言っていいのかわからない、どこまでも透明な、ハリボテのような、澄み切った世界。これを書かざるを得なかったショスタコーヴィチのあり方を思い出せば、自ずと何をやればいいのかが見えてくる。
  私はときどき真剣に音楽の話をするが、周りの友人に話しても通じている感触がまったくない。訳者解説に「音楽とはこのように読むことができるのか、音楽がこれほど大きな影響を人々の心に与えることができるのか、という純粋な驚きもある。」と書かれていて、逆に私は驚いた。(翻訳自体は読みやすくて、とてもいいです。)
 ジョンソンの本は、なにか初めてわかり合ったような気がして、ひどく泣けてきた。本を読んで、こういう気持ちになったことはあまりない。思い出すのは小西康陽さんの山田宏一『友よ映画よ』の解説、村上春樹の書いた佐々木マキの賛辞くらいだろうか。しかしこの二人よりも、はるかにジョンソンの体験は自分のものに近くて恐ろしかった。
  ジョンソンはショスタコーヴィチの音楽に触れることで、彼の音楽が何を成し遂げてきたのか魂の最も深いところから証言できるような人たちと出会ったことに想いを巡らし、こう述べる。「われわれはすべて生まれた時に「それぞれが異なる世界に」投げ出されるのだが、時々それらの世界が接触することがあり、一瞬だが、お互いにじっと相手の目を本気で見つめ合うことがあるのだ。」と。ジョンソンは、ショスタコーヴィチのレニングラード交響曲を、ナチス包囲下のレニングラードで演奏した最後の演奏家と会った思い出を本書冒頭で語っている。それを思い起こしてのことだろうが、そのシーンも、忘れ難い、胸を打つエピソードだった。
 これとほとんど同じことを私も考えていた。今年の前半は『痩我慢の説』という劇画の連載をしていた。はじめから私は物語の最後に現れる、ホナミというアプレ娘と開業医の私の視線の交差に向かって、ただそれだけの主題に向かって、筆をすすめてきた。劇画におけるあの視線の交差は、いわば幻想かもしれないが、それでもいい。私は幻想を無下にしない。
 ジョンソンも私もショスタコーヴィチの音楽を何十年にも渡って聴くなかで同じようなことを考えたのだろう。いわば人生の伴走者として。極東の島国の私もそう思い、イギリスの少年もそう思った。

 16歳の私は、ウエスト・ペナイン・ムーアを、足を打ち鳴らしながらどんどん大股で歩いている。身が引き締まるような天候で、突風が空をなびく低い雲を引きちぎり、時々にわか雨が斜めに吹き付ける。自分の気持ちにピッタリな天候だ。頭の中ではショスタコーヴィチの交響曲第4番の終わりが鳴りまくり、それはまるでスタジオの中でのように鮮明に聴こえてくる。私は音楽に合わせて、半分吠えながら半分興奮して喋っている。周りに誰もいなくてよかった。しかし確かなのは、私は一人だと感じなかったことだ。彼の音楽が、私が何を感じているのかショスタコーヴィチは知っているよと教えてくれる。おそらく私自身よりもよく知っているだろう。彼はそれ以上のことも与えてくれた。半分は想像上の、半分はリアルな、彼のコミュニティーだ。彼が言ったように、交響曲第4番の最終章で、かなりはっきりとそれが提示されている。そこには悲しみの、怒りの、そして生き延びる決意の大唱和があって、私もそれに参加できる。それ(彼のコミュニティー)はどこにあるのか、まだ知らないが、あることだけは知っている。音楽が鳴っている間、私はそれに参加している。たくさんの声の中の一つだ。どこかに私が帰属する「われわれ」が存在しているのだ。そう思うと安心感があり、持続感があり、言いようもない高揚感がある。最後の楽節が静かにフェードアウトする時、しばらくの間立ち止まる。もし音楽が私をこのような気持ちにさせるのなら、私はどうして役立たずで、卑劣で、取るに足らない、耳を傾けるに値しない存在などであろうか?

『音楽は絶望に寄り添う ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか』

 私はジョンソンに私もそうであったことを伝えたいと思った。こういうことは滅多にない。しかしその必要もないかもしれない。なぜなら彼はそのことを、すでに知っているからだ。


このサイトでは著者(かわかつ)にお金を渡せます。家賃・生活費に使います。面白かったら是非!