【日記】手をのばしても、手に入らないもの。

 朝、母とモメた。親父と離婚するとかしないとか、そういうことを小学生のころから散々聞かされてきたが、またぶり返してきたので、ご自由にどうぞと言ったのだがまだ不貞腐ている。結婚生活にまったくポジティヴな希望を持てない。一生独身・孤独死で構わないと考えている。それどころかさっさとやることやって、死にたい。私の一番嫌いな言葉は「パートナー」であり、この文字列をSNS上で見るたびに、モニターに憤怒の表情を映している。

 わが家は家の形状が異常で、藝大卒の三流クソ建築家が建てたダメ建築。道から玄関まで20m近く離れてる。それに玄関が2Fにある。つまり、外界とのつながりに欠けている。どんどん自閉的な、世間オンチの人間が爆誕する。おれのことだ。

 ずっと探してたものを発見。頭の中がソレに支配されて気が狂う。寝ても覚めても、そのことを考えてしまう。手にははいりませんが。なんの話?オタクはキモいという話です。

 私は私で、ささやかな幸せを噛み締めて生きていこうと思っている。ささやかな幸せとは何か?①竹内寛行と思しき、戦後の街頭紙芝居を入手しました。②長年の探究本であった伏見京三『クロガネ太郎』を入手。『クロガネ太郎』は是澤博昭『赤本〈1938~1941〉:内務省児童読物統制・佐伯郁郎とその朋友』の表紙に印刷されている作品。

  実家の近くの商店街、板橋・大山におしゃれな古本屋が一時期あり、そこは商店街の古書店なのにショウ・ウィンドウに松本かつぢ『つの笛のひびき』(戦前の名高い『?のクローバー』 の戦後リメイク)が売ってたり、300円で菅島茂『のろいの地下室』が何冊も売ってたりした本屋だった。堀万太郎の赤本絵物語もそこで1000円で買えた。そして『クロガネ太郎』である。もしかして破格の値段で手に入るかもしれない…と思いきや値段を尋ねたら、たしか10万円近かったはずでもちろん手に入らない。悔しい思いをした。この悔しさをバネに生きていたら先月、ついに入手したのである。③ボロ本であるが、高野てつじの1940年代前半の単行本を入手。劇画のプロトタイプ(日の丸文庫的)とも言えるような表現が多々あり、感銘を受ける。とかなんとか書いているが、手をのばしても手にはいらないものに思いを馳せて、モニターに憤怒の表情を映しているのがおれである。ささやかな幸せを数えることで、本当の大きな幸せの存在を忘れようとしている哀れなるものがおれである。

 人間ドックの結果が出てきて、割合良かったから、安心した。癌になりそうなポイントが一箇所あったけれども、毎年受診すればOKとのこと。良かった。

以上。

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