スティーヴィー・ワンダー

 1980年、当時30歳だったHotter than July以降のスティーヴィー・ワンダーをほとんど聴かない。一方、モータウンの職業歌手であった10代の方が、逆説的に老成して聴こえることがある。どちらが感動的かというと残酷だが後者だ。
 私は音楽家ではないからこう無責任な断言ができる。音楽家ならばhotter than July以降を擁護したはずだ。
 10代のスティーヴィーは明るさと晴れやかさと、陰鬱と不安が同居している。発表からそろそろ半世紀が経つこれらの音楽。My Cherie Amorの高音部に偏った音像に、ただ一つ、ぼつねんと響くベース。神々しい分数コード。Ain’t no lovin’の多重録音のシャウト。何か奇跡が起きている。そして、この天才でさえ、ある時を超えると奇跡が起こらなくなる。
  私自身30歳を超えて、昔のように暗く塞ぎ込むことはなくなった。しかし明るく、あっけらかんとしてるのに無性に死にたくなる。これとスティーヴィーがどうか関係あるのかわらないが、何か繋がっていると思う。
 陰がないのだ。すべてが日の光に照らされている感覚。逃げ道はない。

 アルベール・カミュに『異邦人』という小説がある。なんであの冗長な作品が名作と言われているのか、私にはよくわからない。ただ主人公の上にはいつも太陽が照っていて、彼の足元に濃い影を落としていた気がする。とはいえ、照り返しも強いから影は真っ黒というわけでもなく、何というか逃げ場のない感じ。その印象が強く残っている。

 小説を読んだのは15年ぐらい前なので、もしかしたら上記の印象は漫画版の『異邦人』の印象かもしれない。邦訳が出たけれども、すでにオリジナル版を持っているため、絵を眺めただけだ。悪くはないが、生まれる国が違ったら、ビッグコミックで連載してそうな漫画だった。

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