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濃厚なロマンティシズムもニヒリスティックな現実認識 〜牧口雄二論

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 牧口雄二という名前をわたしがはじめて知ったのは池袋の映画館「新文芸坐」のオールナイト興行で、である。ロビーに貼られていた『毒婦お伝と首切り浅』のポスターに惹かれたことをよく覚えている。そこには雪の降るなか、白い襦袢一枚まとい上半身を露出させ身をくねらせた高橋お伝と、刀を高く振り上げて今にも首を落とさんとする山田浅右衛門の姿が描かれていた。お伝の顔のデッサンは醜く歪んでおり、苦悶とも恍惚とも解釈できる多義性を持った表情には、蠱惑的な魅力があった。ねっとりした彩色と灰汁の強い人物の表情は中年の劇画家によって描かれたものであろうと予想させた。何という画家によって描かれたものかは分からぬが、橋本将次や梵天太郎といった紙芝居出身で貸本劇画や青年誌に時代劇を描くような画家の筆によるものではないかと思った。

 『毒婦お伝と首切り浅』の監督である牧口雄二は一九三六年六月二九日に東京・板橋で生まれた。阿部定事件と二・二六事件のあった年である。『日本映画研究 第一号』(北冬書房)に掲載されているインタビューによると「幼少時、一家は東京都内を転々、和光学園に一年在学後、保険会社員である父君の転勤により名古屋へ移動。戦争激化とともに新潟県柏崎市へ疎開、更に三重県四日市へ再疎開」、敗戦は「国民学校三年生、満九歳」の時に迎え「東京へ戻って麻布中学から九段高校へ進学」したとのことである。これ以降の来歴は様々な本に記されている通り、慶應義塾大学文学部を卒業後、東映に入社。京都へ引っ越し、東映京都にて中島貞夫、山下耕作監督の助監督を務めた。一九七五年に監督デビューして八本の映画を撮り、その後はテレビドラマの監督になる。九〇年代後半に撮影したVシネマ用の作品を入れると監督した映画作品は全部で十本ということになる。ワイズ出版から発行された『女獄門帖・引き裂かれた尼僧 日本カルト映画全集8』掲載のフィルモグラフィーを参考にして公開日順に列挙するとこのようになる。(括弧内は併映作品)

①1975年5月14日
『玉割り人ゆき』(『札幌・横浜・名古屋・雄琴・トルコ渡り鳥』『恐喝のテクニック肉地獄』)

②1975年11月1日
『五月みどりのかまきり夫人の告白』(『新・仁義なき戦い 総長の首』)

③1976年2月14日
『玉割り人ゆき・西の廓夕月楼』(『愉快な極道 くの一忍法観音開き』)

④1976年6月19日
『戦後猟奇犯罪史』(『脱走遊戯』)

⑤1976年9月4日
『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』(『沖縄やくざ戦争』)

⑥1976年12月4日
『広島仁義 人質奪回作戦』(『処女の刺青』)

⑦1977年1月22日
『毒婦お伝と首切り浅』(『やくざ戦争日本の首領』)

⑧1977年4月8日
『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』(『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』)

⑨1977年9月3日
『らしゃめん』(『仁義と抗争』)

⑩1996年8月5日
『女郎蜘蛛』

新文芸坐のオールナイト興行で鑑賞した牧口作品は四本。『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』『毒婦お伝と首切り浅』『戦後猟奇犯罪史』『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』である。『徳川女刑罰絵巻』が一番はじめに上映されたのであるが、これには大変驚かされた。『戦後猟奇犯罪史』『毒婦お伝と首切り浅』と上映が進んでゆくうちに、これはただごとではないぞと思いはじめた。なぜなら本作をただのゲテモノ映画、キワモノ映画だと思っていたからだ。というのも、このオールナイトの企画自体が「日本カルト映画入門2 残酷とエロスの職人」と銘打たれており、明らかにゲテモノ趣味を売りにしている上映会であった。この一ヶ月前には「日本カルト映画入門1」と称して石井輝男監督の「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」が上映されていたはずだ。
 「ただのゲテモノ映画、キワモノ映画」という言い方には語弊があるかもしれない。実際、牧口雄二の映画作品の多くは東映ポルノ路線のフィルモグラフィーをの中でも屈指の「ゲテモノ」で「キワモノ」映画であるからだ。だが、他の「キワモノ」映画にはない魅力が牧口作品にはある。それは、濃厚なロマンティシズムとニヒリスティックな現実認識だ。特にその「ニヒリスティックな現実認識」に生理的共感と畏敬の念を抱いたのだ。


石井輝男と牧口雄二

 ここで私が牧口作品と比較した他の「キワモノ」映画とは、石井輝男作品である。東映ポルノ路線のパイオニアであり、「徳川残酷シリーズ」をすでに多数撮っていた石井監督は、牧口監督が紹介されるときしばしば引き合いに出される。古くは一九七七年七月の『シナリオ』に掲載された谷川龍男による批評。

「石井輝男の世界は官能的で、悪趣味で、エロティックで、パワーフルで、グロテスクで、滑稽で、見世物的で、要するにそれは、花魁坐します目も綾な遊郭千畳敷での大盤振舞にも似た「遊びを称揚する無償の行為」の統べる世界なのだ。この無償の世界にあえて挺身している監督は、私の知るかぎり、東映では他に『引き裂かれた尼僧』の牧口雄二氏がいる。」

 といったようなものが見つかる。また九〇年代以降になると『映画秘宝』とその周辺によって語られるケースが多くなる。その多くは牧口雄二紹介のために石井輝男の名前を引き合いに出しているにとどまるが、天野譲二の批評は短文ながら石井輝男監督、関本郁夫監督と比較して牧口監督の特性を明らめようとしている。曰く


「従来の東映のエログロ作品といえば、石井輝男作品と関本郁夫作品が有名だ。拙い私的見解を述べさせていただければ、前者は常に仕掛けとプロットを積極的に提案するダイナミズムに満ち、後者は作品中のキャラクターを丹念に描いて一個の世界を構築することに力を注いでいる。『女獄門帖』は両者とはまた違う。キワモノとしての娯楽的要素をそつなく盛り込みながら、耽美的な心地よさを引き出そうとしている。良くできたエロ劇画という表現が妥当とは思わないが、少なくとも私のような下品な観客が期待するスプラッター要素を散りばめながら、それだけには終わらせまい、低予算のプログラムピクチュアにありがちな単なる作品を自己完結させる為の帳尻合わせ的なシラけた作劇が目立つ作品にない、さまざまな制限があってもこれだけは自分のやりたことをやるという意欲が感じられる作品だった。」


 とのこと。一九七〇年代当時の映画雑誌においては牧口雄二の作品が批評されることは少なかった。されたとしても時評や批評の中の一部分に『玉割り人ゆき』『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』の名前が取り上げられるくらいである。知名度の低さから、石井輝男と比較されて論じられるのも仕方のないことだ。谷川龍男批評と天野譲二批評、この二つの批評にケチをつけるきは毛頭ない。両批評とも、その通りだろうと思う。だが、なにせ短文ゆえ具体性に欠ける。谷川批評の言うところの「遊びを称揚する無償の行為」は石井監督と牧口監督に共通する要素なのだろうが、両作品における「遊びを称揚する無償の行為」は性質を異とするものだろう。また天野批評の「キワモノとしての娯楽的要素をそつなく盛り込みながら、耽美的な心地よさを引き出そうとしている。」とあるが、これは『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』についてのみ言えることであろう。

 石井監督と牧口監督の両作品はともに「官能的で、悪趣味で、エロティックで、パワーフルで、グロテスクで、滑稽で、見世物的」であるが、その最大の違いは「ニヒリスティックな現実認識」にある。ハッキリ言って石井監督作品は良くも悪くも無邪気なだ。新東宝から東映へと、長いあいだ映画を撮り続けていられたことと、このことは決して無関係ではない。

『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』('69)

※JUNK FILM by TOEIという映画のサブスクのようなサーヴィスがあって観られるらしい。こんな映画がサブスクで観れるとはいい時代だ……。

 一九六七年、東映京都撮影所所長であったプロデューサーの岡田茂は、タイトル、企画、キャスティングまでを采配して『大奥(秘)物語』(67)を製作した。監督は中島貞男。大奥の退廃的な性生活やレズ描写を盛り込んだ本作品は、エロ映画を大手の東映が撮影するという意外性も相まってこの年の興行収入第一〇位の大ヒットを記録する。翌年、岡田茂は石井輝男に『大奥(秘)物語』よりも過激なエロ映画を撮ることを提案して『徳川女系図』を監督させる。これは大手映画会社がはじめて手がけた成人向け映画であった。初めて制作した成人向け映画であった。本作が制作費三〇〇〇万円、興行収入一億円以上の大ヒットを飛ばしたことから東映はポルノ路線の映画を量産し始めることとなる。そのエログロ描写は、年を経るごとにエスカレートしてゆく。ポルノ映画といっても、東映が制作した映画の幅は広く、大奥もの、残酷時代劇、スケバンもの、実録猟奇犯罪もの、温泉芸者ものをはじめとする多用なジャンルの映画が製作された。だが、これらのポルノ路線映画の人気も長くは続かず一九七三年には興行成績が急落する。それに対応して所謂「五百万ポルノ」という低予算映画が製作されることになったらしい。牧口監督に言わせると「昔は東映京都も五百万ポルノというのがあって五十分位のを撮ってた時代もあったけれど、それがあんまり入らなくなったので、ゼニちょっとかけなあかんということで一千万になった。」とのことである。そして、牧口監督のデビュー作「玉割り人ゆき」の直接制作費は一千万円であった。
 石井輝男監督と牧口雄二監督を比較するにあたって格好の映画がある。石井の『明治・大正・昭和・猟奇女犯罪史』(69)と牧口の『戦後猟奇犯罪史』(76)である。両作品とも実際にあった猟奇的な事件を扱ったオムニバス形式の作品だ。石井が扱った主な事件は、東洋閣事件、阿部定事件、象徴切り事件、小平事件、高橋お伝(の犯した数々の犯罪)。一方、牧口雄二監督が扱った主な事件は、西口彰事件、克美しげる事件、大久保清事件である。両作品ともある人物(=語り部)が猟奇犯罪を劇中で語り、それの事件の再現ドラマを何本か繋ぐことによって成立している。よって、その語り部の登場とともに作品は始まり、作品は終わる。石井作品においてはある警察付の解剖医(=吉田輝雄)がその語り部となっている。『明治・大正・昭和・猟奇女犯罪史』はこのような解剖医の語りではじまる。

 毎日のように変死体が運ばれてくる。変死者は法律上解剖に付される。解剖医のわたしは屍体にマヒしていた。あの日、あの瞬間まで…。


 このセリフがナレーションとして流れると同時に画面は解剖医が肢体をメスで切り裂いてゆく様子を写す。次第に解剖している屍体はどうも解剖医の妻らしいことが判ってくる。そして、その屍体からは知らない男の精液が検出される。この事実にショックを受けた解剖医は、事件を解明するために過去の猟奇犯罪を警察の資料室で調べはじめる。解剖医が調査した数々の猟奇事件が再現ドラマとして提示されることによってこの映画は進行してゆく。
 とは言うものの、妻の身体から精液が検出されたことと、阿部定や高橋お伝の事件を調べることにどのような関係があるのか、山田浅右衛門が首を斬っているような時代の資料が一九六九年の警察の資料室にあるのだろうか、という観客が当然感じる疑問は、この映画では不問にされている。また、この映画は「なぜ妻が殺されたのか謎だ」という解剖医の独白によって終わっているが、これでは延々と見せられた再現ドラマがなぜ存在したのかがわからない。観客は途方にくれるばかりだ。この投げやりな終わり方は一体何なのか。
 解剖医は何のためにこの映画に登場したのだろうか。複数の猟奇事件を一作品にまとめるための語り部が必要とされたためか、映画冒頭のグロテスクな人体解剖のシーンを観客に見せてショックを与えるためか、この二つくらいしか理由が思いつかない。グロテスクなゴア描写を観客に見せるために遡行的に解剖医という語り部が決定されたと考えるのが妥当だと思う。
 では、この映画のほとんどを占める猟奇犯罪の再現ドラマはどのような基準で選ばれているのか。これも特に脈略のあるものではない。言うなれば裸とセックスと血がいずれのエピソードにも描かれていることだが、これも猟奇犯罪と銘打っているからして当然である。それぞれの犯罪に関連性はなく、ただ「猟奇」という言葉のみで寄せ集められてきたものにすぎない。そして、それぞれの猟奇犯罪の描き方は、一般的に伝えられる内容以上でも以下でもない。唯一、驚かされたシーンは老婆になった阿部定本人が作品中に登場してインタビューに答えるところだが、阿部定事件の再現ドラマは平凡な描写に終始している。同じ事件を描いた『愛のコリーダ』と比べると、石田吉藏が坊ちゃん然しておりリアリティがあったことと、待合を転々としていたころの愛欲生活が割合アッサリと描かれており嫌味がなく自然であった点であるが、それもやはり「再現ドラマ」であることを考えれば当然のことである。
 結局、この石井輝男作品には、ショッキングなシーン、見世物的なシーンの連続しか存在しない。せっかく阿部定本人が映画に登場してインタビューに答えたところで(このインタビューの受け答えも作り物めいている)その貴重な肉声がドラマと有機的に結びついてゆくことはない。あくまで、阿部定本人が登場するという見世物的な効果と宣伝上のセールスポイントにしかなっていない。この映画の終わりに、語り部である解剖医がこのようなことを独り言つ。


小平をかくも狂わせたのは彼自身にひそむ異常性か、それとも女の中にひそむ魔性が呼んだのか。女の身体、これが男を狂わせるのか、いや女自身を狂わすのか


 この小平とは、一九四五年から四六年にかけて連続強姦殺人をした小平義雄のことである。「彼自身にひそむ異常性」ということは、犯罪者は元々犯罪的因子を持っているために犯罪に向かうということであろうか。これはあまりにも一般論に過ぎる。「女の中にひそむ魔性」が小平を狂わせた、ということも首肯しがたい。なぜなら映画内の小平において犯す女は「誰でもいい」からだ。
 映画館の中で出会った少女と小平が仲良くなり、彼女の家に泊まることになるエピソードがある。一軒家に住む少女は母と二人で暮らしている(父親はまだ外地にいるのだろうか?)。その晩、となりの部屋で寝ている母娘を見た小平が言う台詞は「親子丼が楽しめる」とか何とか。このエピソードには助平根性しか存在しない。「女の中にひそむ魔性」は描写されていない。他のエピソードもそうである。地方の農家に食料の買い出しにゆくため駅で待っている夫人を騙し強姦殺人する話があるが、これも駅で丁度見かけて口説いたにすぎない。
 引用した文章の第二節「女の身体、これが男を狂わせるのか、いや女自身を狂わすのか」は高橋お伝や東洋閣事件(日本閣殺人事件をモデルとしている)、阿部定事件を念頭に置いてのものであろう。だが、ここで疑問に感ずるのは果たして高橋お伝や阿部定、また東洋閣事件の女殺人犯が狂っていたのか、ということである。阿部定のエピソードでは、阿部定「本人」が石田吉藏を絞殺した理由を理路整然と話しており、その内容に狂気は微塵も感じられない。東洋閣事件の女殺人犯の方も、東洋閣(ホテルの名前)の経営権を掌握する、という一貫した動機を持って犯行に及んでおり、その手段としてセックスを利用していたに過ぎない。これは狂気ではなく、理性的行動である。
 結局この解剖医の独白は、一見映画の内容的主題を言っているようでありながら、何も言っていない。逆説的に何も言っていないことによって、この映画の本質的な主題が浮き彫りにされている。それは、猟奇犯罪に対する観客の視覚的な窃視的欲望を満たす、ということである。この映画は本質的に見世物なのである。石井監督にとって重要なことは、猟奇犯罪を絵解きすることである。その視線は、犯罪者と被害者の関係性やそれをとりまく様々な事象、犯罪の背後にある社会構造に向くことはない。この即物的な感覚からくる内容の「軽さ」は石井輝男にとっては魅力の一つになる場合もある『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』の前作である『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)!』(69)がそれである。何本かの短編映画が合わさったオムニバス映画であるこの作品には、やくざ社会の掟をやぶった男がリンチされる様子が描かれている。そのハードボイルドな描写と即物的な残酷描写は、この映画に関していえば良い味になっていたように思える。

 
『戦後猟奇犯罪史』('76)

 『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』における語り部の問題と、その犯罪観について批判的に言及したが、果たして牧口雄二作品の方はどのようなものか。
 『戦後猟奇犯罪史』は主に西口彰事件、克美しげる事件、大久保清事件の三つの再現ドラマからなるオムニバス映画である。三つの再現ドラマは泉ピン子がテレビ番組の収録スタジオと思しき場所で語ることによって接続されている。
 この構成は、土曜日の二二時から放映していた『テレビ三面記事 ウィークエンダー』というテレビ番組の様子を元にしている。あの特徴的な早口でまくしたてながら猟奇犯罪を紹介する泉ピン子の様子は「良識」の間逆に位置するものであり、露悪的である。しかもところどころ台詞を噛み、もしも映画に品位というものがあるのならば最低のところにまで、泉ピン子は引き下げている。無論このことは映画自体の価値を落とすことを意味しない。
 本作が撮られた一九七六年は、石井輝男の作品が撮られたときとは状況が違った。映画はテレビに娯楽の王様の地位を引きずり降ろされ、プログラムピクチャーは壊滅寸前であった。「活動屋」の多くは映画からテレビに鞍替えした。このような時期に、テレビ番組を模倣したスタイルの映画を撮影することは、悪趣味なカリカチュアですらある。より過激に、下品に、悪趣味に「映画」という形式に落とし込まれた本作品は、当時の映画を取り巻く状況を反映する鏡として機能している、とも言える。牧口が映画監督をしていた一九七五年から七七年が、プログラムピクチャーの、いや映画文化凋落期と重なっていることは牧口監督を語るにあたって無視できない事柄である。
 牧口監督は『映画秘宝』のインタビューによると、泉ピン子は出さずに川谷拓三が演じる大久保清の連続強姦殺人事件だけで一本撮りたかったらしい。『テレビ三面記事 ウィークエンダー』の映画版というアイデアは岡田茂が出したものとのことである。大久保清の連続強姦殺人事件だけで一本撮りたい、と監督が語るように三つの再現ドラマのうちの白眉は大久保清事件についてのパートである。本映画が公開された年(一九七六年)のはじめに死刑執行された大久保清は、映画内では久保精一という人物として描かれている。映画のあらすじはこのようなものである。

 
 久保精一は、高校教師や画家と身分を偽りながら連日自家用車駅前にいる女性をセックス目的でナンパする。次第にその行為はエスカレートしてゆき、強姦しては殺して死体を埋めるようになる。ある日、久保は、被害者の遺族に取り押さえられ警察に連行される。警察の尋問をされるも、不真面目でふてぶてしい態度、芝居じみた動作で警察の尋問をやりすごす。途中でアナキズムシンパの弁護士から大杉栄や幸徳秋水の本を差し入れされるとともに激励され、自身をつけた久保は、尋問中黙秘をし続けることは国家権力との闘争とつながると主張する。尋問にあたった警察は手に負えないと降参して、久保は地方の刑務所に移送される。その晩、周囲の静かさと孤独から精神不安定になり幻覚を見る。ついに恐怖のあまり自白をはじめ、その証言から山中に埋められた遺体が次々と発見される。パトカーで連れられた久保は遺体を前に泣き崩れる。現場に来た遺族は久保に投石をして私刑を加える。久保はおびえるような表情で血まみれになりながらのたうちまわる。

 この手の実録犯罪映画として奇怪な点がある。犯罪を行うシーンよりも警察に捕まってからの尋問のシーンの方に重点を置いて撮られているのだ。牧口監督はワイズ出版が発行した『女獄門帖 引き裂かれた尼僧 日本カルト映画全集8』に収録されたロングインタビューでこの作品について次のように述べている。


 結局、大久保清だけで一作通したらよかった。大久保清という男がなぜ生まれたのか。最近評判になった本があるでしょう、「FBI心理分析官」かな。あれはね悪人というのは生まれながらの悪人で、どんな刑務所にいようと、ちょっとサド的な、何十人も殺したりなんかする奴、そういう内容なんです。あれは面白かったです。彼も何かそんな感じがするんです。だから、あのベレー帽をかぶるようになるまでの何か彼の歴史の裏の方をね。そうすると一時間十分は絶対もちましたからね。それで殺しなんかも、だんだん楽しみながら殺したと思うんですよね。そういうのをもうちょっと丁寧にやっとけば。親の気持ちなんかも出してね。(中略)悪い奴でも言い分がある(笑)


 大久保清事件を扱った第三部は四〇分。牧口監督が希望する七〇分の半分ほどしか会社からは与えられることがなかった。そのことは大久保清がベレー帽を被るまで、つまり車でナンパをして強姦を繰り返す前の事柄を描くことを断念せざるを得なかったことを意味する。犯罪自体ではなく、警察に捕まってからを丹念に描写することは苦渋の選択だったのかもしれない。
  このインタビューで語られている犯罪観は、石井輝男のものとそう違いはない。久保精一のなかには生まれながら犯罪者の因子があり、そのため犯罪に向かったというものである。だが、それでは娯楽映画にならないと犯罪した牧口は「久保精一」という架空の大久保清像を作り出す。川谷拓三が演じる久保は、多くの矛盾を一身にかかえた人物として描かれる。芸術家と偽りナンパに興じる姿は軽薄で浅薄だが、これがレイプシーンになると一転して深い絶望を抱えた哲学者のように描かれる。これは、監督の手腕というよりも川谷拓三という俳優によるところが大きい。特にその顔である。川谷が笑うとき、その目が笑うことは決してない。あの特徴的な笑い顔は、頬の筋肉を収縮させ無理やり白い歯を見せることによって作り出されている。川谷の作り笑いは、顔面の表情筋の収縮運動の一種である。これは、観客を不安にさせ、同時に不快にさせる。
 久保が秘めていた絶望感は、映画の最後、自らが殺した女性たちの遺体を前にしてはじめて前面化される。泣き崩れる久保の悲痛は、それまでの作り笑いがあるからこそ、より直接的に観客に訴えかける。遺族に石を投げられて血まみれになりながらのたうち回る久保の姿は人間の業を一身に抱えこんだ殉教者のようですらある。 
  インタビューには「親の気持ちなんかも出してね」という発言もある。この親が久保精一の親か、それとも遺族の親について言っているのか判断しかねるが、もしも遺族の親についてだとしたらそれは本作において確かに活写されている。映画のラストシーン、久保が警察に連れられて遺体遺棄をした山中にパトカーで赴く場面である。現場にあらわれた久保を見た遺族たちは、久保に襲いかかろうとする。しかし、警察官たちに制止されてしまい、それでも怒りがおさまらない彼らは久保に石を投げつける。久保は血まみれになりながら怯え、逃げ惑うばかりである。そして、警察の制止を振り切ったひとりの老婆が斧を片手に持って「殺してやる」と絶叫しながら久保に襲い掛かろうとするシーンは極めてストレートに、被害者の遺族の怒り、その激情が表現されている。このシーンで再現ドラマは終わるのであるが、ここに牧口雄二のロマンティシズムとニヒリスティックな現実認識を垣間見ることができる。
  実際の大久保清に遺族からの私刑があったかどうかは、わたしの知るところではない。多分なかったのではないか。だが牧口監督は映画のクライマックスに遺族の私刑を持ってきた。日本社会において遺族による犯罪者への私刑は一種のロマンティシズムである。仇討ちは明治六年以降違法行為であり、それは国家の手にゆだねられることになった。だが遺族の怒りや悲しみは国家による刑罰で解消されるようなものではない。投石という消極的な私刑からはじまり、斧を持った老婆が久保に襲いかかるまでの一連のシーンは映画としてのダイナミズムもさることながら、実録映画という体裁をとりながらも現実の出来事を超克する激情が表現されている。
 このラストシーンを観るとき、鑑賞者は私刑を加える遺族と、久保の両方同時に心を寄せることとなる。加害者と被害者の両者同時に心情的加担をする鑑賞行為は、われわれの社会的規範をゆるがす。両者は「激情」という点において接続され、それ自体が鑑賞者に体験として迫ってくる。殉教者のような久保と、激情する老婆は、いわば牧口流のロマンティシズムによって結合されているのだ。
 この再現ドラマは老婆のアップで終わる。その直後に映画の〆として泉ピン子の喋りが入る。そのヤケクソな話し方はいやおうなしに観客を「現実」に引き戻す。再現ドラマの中においては達成されたかのように思えた仇討ちも、泉ピン子の語りの前では敗北をするしかない。「大久保清」が老婆の手によってではなく、東京拘置所にて絞首刑にされたことを観客は再認識せざるを得ないのである。当時の観客は、この映画が公開された年のはじめに、大久保が絞首刑になったことを、みな知っていただろう。また、泉ピン子によって徹底的にコキおろされる「久保清一」は、殉教者のようで複雑な内面を抱えた人物ではなく、ただのスケベな快楽殺人犯、大久保清であることを否応なしに再認識させられただろう。牧口のロマンは、東映からの要請で映画にねじ込まれた泉ピン子の前で敗北せざるを得なかったのだ。
 牧口雄二監督作品に濃厚なニヒリスティックな現実認識が、監督特有のものであるか、一九七六年という時代状況が生んだものなのかはわからない。だが、この現実認識の中からせめてもの希望として浮かび上がる濃厚なロマンティシズムこそが私にとっての牧口雄二監督作品なのである。

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============================おわり===

 この文章は2015年に書いたものなのですが、おしまいに「後編に続く!」って書いてありました。6年たちましたが後編書けてません(泣)。今月元気だったら書こうかなと思ってます。ヨロシク。

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