何故生活が味気ないか

 田舎に住んでいた時はまわりに人が少なくて街の中心に行っても時間帯によってはがらんとしていて侘しい寒々とした気分になったものですが、思うにそのころは霊的真理にまだまだ目覚めていなかったのです。どんな住環境にあろうと霊は喜びと活動を見出すものだからです。

「そういう(霊的真理に無知な)人たちは地上生活の目的がわかっておりません。地上を去るまでにしておかねばならないことについて何の予備知識も持ち合わせません。人生の価値観が間違っておりますから、優先させるものが間違っております。視野のピントがずれております。物事の判断基準が狂っております。生活は不毛で味気なく、自我の開発などとうてい覚束なく、生きる目的というものがありません。いつも迷路の中に生きており、出口が見いだせずにいます。」(「シルバーバーチの霊訓9」6章)

 いつどこに居ようと自我の開発はできることです。自我とはインディビジュアリティであり、すなわち個性です。まだ自覚できていない個性をどんどん開発して霊力を発揮するのです。それは最低限の衣食住さえ確保されていれば(それすら満たされない人も多いですが)、いつでもできることです。そういう生き方をしていれば生活を不毛で味気なく感じたりはしないはずです。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?