萎縮する現代人

 人が不安になるのは想像力のせいなのですが、その想像は自由闊達なそれではなくて周囲の影響によって縛られてしまっています。現代人が先々のことを心配し財布のひもを締め子供を産まなくなったのは「情報」のせいではないでしょうか。霊の教えは知らないよりは知った方がいいということなのですが、情報化社会で私たちがさらされている知識はそういうこともあるよ、という可能性の一つにすぎないにもかかわらず、それが人の全生涯のあらゆる場面にわたっているために、それを前に私たちは人生まるごとを見てしまったかのように感じ、萎縮してしまうのです。

 決してそんなふうになると確定したわけでもないし、なったとしてもその時にしかわからないことなのに、子供や親にかかるお金や病気になることや死ぬことを想像します。 

 そういうことに関する知識はもちろん大事なのですが、それに縛られることがないように、地上社会のことばかりでなく、永遠の霊に関する知識もしっかりと知って両者のバランスを保つことが必要です。

 この地上人生においてどんなことがあろうとすべては成長の糧にこそすれ、嘆き続ける必要はない。なぜといって、これからも続く永遠の霊的人生から振り返れば、ほんの一時のことに過ぎないのだから、というわけです。

「物的身体にはそれなりに最低限の必需品があります。神はその分霊の物質界での顕現の手段として創造された身体にどんなものが必要かはちゃんとご存知です。迷わずに前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです。」

「この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。何事もきっと克服できます。そして心が明るく弾むことでしょう。万事が落着くべきところに落着きます。時間は永遠なのです。人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです。」

(「シルバーバーチの霊訓9」7章)















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