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『堤防敷逡巡』 3

白井加代子の話では、二週間前の事らしい。
「社長のお客様が見えたので私、お茶をたのまれました。普段なら宮入さんがお茶出ししますけど、外出中で代わりに出す事になりました。」

彼女は一旦話を止めた。

「それで?」

ふと、気がつくと喫茶店の店員が斜め後ろにおり、「ご注文は?」と聞いて来た。
彼女に「何がいい?」と訪ねると、「アイスミルクティーお願いします」と店員に直接注文したので、「僕はアイスコーヒーね」と言って店員を引き取らせ、彼女に視線を戻す。

「いまの季節、お茶は温かい方か冷たい方か迷ったんですが、社長が冷蔵庫にペットボトルのお茶が入ってたはずだから、と仰るので」
「それで?」と先を促した。

彼女は少し語気を強め「そのお茶がどうも太田さんの私物だったらしいんです。」

「後で、気がついたらしく凄い勢いで文句を言われました。」
「買って返せって言うんですよ、太田さん」
彼女は悔しくなったのか泣きながら「肩を強く押されてよろけました。」
「社長の指示だからと言っても買って返せの一点張りで。本当にセコイ奴ですよ、太田は!」
いつの間にか呼び捨てになった。

吉野は聞いていて情けなくなった。
あいつには見栄も外聞もないのか?
この分じゃ、タイムカードの件も作り事ではあるまい。
彼女の話をこれ以上聞く気力がなくなってアイスコーヒーを飲みながら大きなタメ息をついた。

白井と喫茶店で別れて会社に向かう。
彼女にはしばらく会社に出社しないように言い含めた。
これ以上のトラブルは絶対避けなければならないので、有給申請は事後処理で良いと許可を出し自宅へ帰ってもらった。

会社に戻ったのは8時50分。
始業が9時なのでそろそろ誰か出社してくる時間か。

ふと気になって宮入のタイムカードに手を延ばし、どうなってるか見てみた。

片面が1日~15日、もう片面は16日~31日で分かれており、罫線がオレンジとブルーで判別しやすくなっている。
打刻は、普通になされていて抜けている日付は土曜日と日曜日以外ない。

今度は太田のタイムカードを手に取る。
社長が頻繁に海外へ出張するので深夜の送迎が多く完全な打刻はなされてない。
それ以外は怪しいところは見当たらない。

そこへ「おはようございます」と宮入が出勤して来た。
「おはよう」
「タイムカードなんか見てどうしました?」
「うん・・ みんな何時くらいに帰ってるのかと思って」

宮入は、少し不信がっていた「決まってるじゃないですか。うちの会社は6時までなんですから6時ですよ。残業代付かないですよね、太田さん以外。」

もっと上手い嘘をつけば良かったと後悔する。

「それから、太田さんからLINEあって体調悪いので今日お休みですって。もしかしたら今週出社出来ないかも知れませんって。ホラ」
と、太田からのLINEを見せられた。

「なんだって!あんなもめ事起こして起きながらLINEで休みの連絡かよ!」
「勝手にしろ!」

吉野は、憤懣やる方ない気持ちで思わず吐き捨てた。

今日の予定がすべて狂ったわけだ。

白井加代子からの話は悩みが増えただけだったし。
こんな状況説明を、これから社長にする事が憂鬱でしかたがない。


9時を5分ほど過ぎた頃、磯貝が出勤して来た。
「おはようございます」
「おはよう・・」
目顔で合図して社長室へ入った磯貝の後を追った。

「どうなった ?」主語なしで聞いてくる。
朝、白井と話した内容は殆んど報告した。
勿論タイムカードの操作の件も含めて。

その間、磯貝は黙って聞き入っていた。
質問もせずに。
しかし、話を聞きながら何か上の空と言うか、別の事を考えていたように吉野には思えた。
その様子が、後で重大な意味を持っていたと気づく事になる。

社長へは一つだけ隠していた事がある。
白井加代子から多少のアルコール臭を感じた事だ。
まさか、早朝から酒を飲む事はないと思うので恐らく昨夜のお酒が残ってたのか?
その時はそう思ったが、今となっては違和感を感じる。
彼女が入社したのは6ヶ月前だが、いつ頃だろうか?仕事の報告を聞いていた時に同様に微かにアルコール臭を感じた事を思い出した。
それと、頻繁に居眠りしていた事から、もしや夜の仕事をしているのでは?と疑い始めている。

彼女が今後どういう行動に出るか分からないが、弱みを握られている事は確かだ。
タイムカードの件を直接磯貝に話す事もあり得ない話でない。
その場合、自分の管理不行き届きになる。

吉野はある決断をする。


次回へ続く


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