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『堤防敷逡巡』 5

それには理由がある。

吉野がグローバルスタンダードに入社したのは5年前、55歳になる歳であった。

大学在学中の就職活動で、大手商社・自動車メーカー・大手生保・都市銀行を希望し、最終面接迄こぎ着けたのが、都市銀行の一つである東西銀行と総合商社の芙蓉商事だった。
当時病気の親を抱えており海外勤務の可能性が高い商社に入社する事をためらい東西銀行への入社を決めた。

銀行に入社した後は一貫して支店勤務で、法人相手に融資業務を行ってきた。
銀行員生活は決して順風満帆だったわけではなく、苦しい事の連続だった。

1990年代のバブル崩壊後、今まで不動産を担保に『湯水』の様に融資を実行した企業から、手のひらを返したようにお金を引き上げなければならなかった。
いわゆる『貸し剥がし』である。

今まで懇意にしていたオーナー企業の社長に、灰皿を投げつけられた事もあったし、若干怪しい会社の社長室に飾ってあった日本刀で脅されかけた事もある。

融資を止めた為に、不渡りを出した会社の社長が自殺未遂をした時は、銀行を止めようと真剣に思った。
同僚も同じような体験をしており、同僚と飲み屋で愚痴を言い合い、慰めあった事も1度や2度ではない。

お客様の為 と言う大義名分も、銀行の経営基盤が揺らぐ事態になれば『絵に描いた餅』だ。
1990年代後半から2000年代前半に起きた金融危機では融資課長として金融監督庁(当時)の検査を乗り切る為に、土曜・日曜の休みも出勤し、2週間深夜まで残業し銀行の為に滅私奉公に努めた。

そんな苦労の末50歳で支店長になり、支店長を3店舗努め上げたところで銀行でのお役御免となった。

銀行の人事システムは役所と一緒だ。
一定の役職までは良いが、同期が役員になった場合、他の同期はすべて銀行員でなくなる。

上手くすれば銀行の関連会社に転籍、その枠がない場合は人事部付けで待機若しく取引先企業への出向(片道切符の)などだ。

出向出来たとしても、その会社に上手くはまるとは限らない。
社長と相性が悪かったり部下との折り合いが悪かったりする事もざらだ。

殆んどの銀行員は決められたルールの中で仕事をしている。
マニュアルがあり、その枠組みのなかで結果を出すのが優秀な銀行員だ。
中小企業は違う。
ルールは自分達で作り上げる物であり、間違っていれば自ら作り変える物だ。

中小企業に出向してくる(元)銀行員はそんな育ち方をしていないので、殆んどが指示待ち人間となり烙印を押される。
そんなわけで、出向者の5割が銀行に戻ってくる。

こういう言葉がある。
『銀行の常識は世間の非常識』

エリート意識が高い銀行と言う特殊なところで培養された人間の常識と言う事だろうか。

吉野は、グローバルスタンダードの社長である磯貝に請われて銀行を辞め入社した。

そんなわけで後ろの二人の会話に興味を持ち聞き耳をたてる。

「貸出しでの利息収入しか意識してないよ。あの支店長は。」
「貸出しを伸ばせの一点張りだ。今はそればっかりだぜ。」

「俺は言われないよ。今、MA案件に取り組んでるから。」

「何処とどこののMA?」

「中堅繊維商社と小さなネクタイ屋さん、あとワイシャツも扱ってるかな。グローバルスタンダードって言う小さい会社だけど。社長が熱心なんだ。」

今の言葉で一瞬凍りつく。

グローバルスタンダードと言う社名の会社が他にあるか分からないが、同じ社名でネクタイとワイシャツを扱ってる会社はないはずだ。
銀行員の話を信用するなら、吸収される会社の社長は乗り気だと言う。

どこの銀行だろうか?

頭の中で整理してみた。
会社の取引銀行は5行ある。
メインバンクは自分がいた東西銀行。
地方銀行が2行、他に信用金庫と政府系金融機関が1行ずつ。

自分が知らない位だから東西銀行はあり得ないと思う。
すると、地方銀行のどちらかか?

後ろの銀行員は違う話をしている。
しばらくして「親父さん、おあいそね。」
勘定をすませて帰ってしまった。

厚揚げを摘まみに生ビールを飲んでいると、店主が焼鳥を目の前においてくれた。

「お待たせしました。」

声をかけて見る。

「親父さん今の客、銀行員だろ?非常識な奴等だな。取引先の話ししてたよ。」

「そうですね。確か東西銀行って言ってたかな?よく接待の後に寄ってくれますね。」

「そうなんだ~」
と返答しながら、心は穏やかでない。

何故俺に知らせない?
社長も銀行も。

しかし、冷静になって考えれば分かることだ。磯貝に口止めされているんだろう。
M&Aとは、企業が企業を買収する事だが、上手くまとまる確率は極めて率い。
恐らく20%もないかも知れない。

売る方の会社は少しでも高くうりたいが、買う方の会社はなるべく安く買いたい。
当たり前の話だ。

まとまらない理由は他にもある。
従業員の扱いだ。
売る側は従業員の雇用を維持したい。
今まで会社の為に頑張ってきたのに、買収される事を理由に解雇するなんて事は避けたい。
買う側は、どんな人間か分からない従業員を雇うんだったら、自社の人間を送り込みたい。
話がまとまる前に発覚し、話がポシャる事なんてざらにある。

吉野自身、銀行員時代に手掛けた事があるので、肌感覚で理解しているつもりだ。
話は何処まで進んでいるのか。

そんな事を考えていたら、目の前に白井加代子が来ていた。

「部長飲んでますか?お摘みは足りてます?」
見回すと、店主がお尻を向けた状態で近くにいる。
小声で「聞こえないか?」と聞くと、「大丈夫です。さっき奥で事情を話したので。部長の事も。」とニッコリ笑う。

その笑顔をみて、彼女に対する印象が多少変化した。


次回へ続く。























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