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『堤防敷逡巡』 4

あの事件から8日目の土曜日、吉野は土手を走りながら先週の事を回想する。

白井を疑い始め、彼女の夜の行動を尾行する事にした。
このまま彼女に会社内部の不正を握られて立場を優位にさせる事は避けなければならない。それには逆に彼女の弱味を握るしかないだろう。

会社が副業禁止なのは、入社時に説明し承諾を得ている。規則を破れば罰則がある事も承知しているはずだ。
もし、彼女が副業として収入を得ている証拠を掴めば確実に有利になる。

みんなが退社した後、鍵がかかっている書庫を開け、従業員の履歴書を引っ張り出し彼女の住所を写メする。

「東京都荒川区○○町○丁目3-10」

翌々日水曜日午後3時半に理由をつけて早退した。
彼女が夜働いているなら、夕方出勤の為に外出するはずだからである。
幸い彼女の自宅は一軒家ですぐに見つける事が出来た。表札の名前も確認出来た。

「白井文和 百合子」両親だろう。

家から30メートルほど離れた所に止まっている車の陰で張り込んで40分経過した頃、玄関のドアが開き彼女が出てきた。
白いカットソーにベージュのカーディガン、ジーンズを履いている。
気づかれない様に距離を取り、慎重に後をつける。

千代田線町屋駅から地下鉄を乗り継ぎ、新宿三丁目で下車。
靖国通りを渡り、狭い路地に入り込むと間口の狭い小さな店に入った。
店の前まで寄って行き暖簾を確認する。
「旬菜」と言う名前で小料理屋らしい。

ここで迷う。
店に入るかどうかを。

店に入れば彼女に尾行を知らせる事になるが、牽制の効果がある。
このまま帰れば、引き続き動向を調査出来るが、状況はかわらない。

思いきって店内に入る決断をした。
良くも悪くも決着をつけなければならない。

暖簾を潜り手動のドアを開けると、目の前に5・6人が座れそうなカウンターがあり、右側に4人掛けのテーブル席が2組ある。

「いらっしゃい」と言う店主らしき年輩の男がカウンターの中から声をかけてきた。

その脇で煮物を皿に盛っている彼女がいた。
ふと顔をあげ吉野が立っている事に気づくと、狼狽した表情を浮かべ徐々に怒りの様子に変わって来た。

そのまま入るのは気まずいと感じ、咄嗟に携帯に電話が入った様に装い、一旦外に出る仕草と同時に彼女に目顔で合図して外で待機する事にした。

「旬菜」の前で5分程待っていると、白井が現れた。
外出時の格好にエプロンをし、袖を捲った状態で近付くと、「私の後、つけましたね。」
「何が目的ですか?脅しですか!」

「脅すなんてとんでもない!一昨日の君の様子が普通じゃなかったから、心配になって、つい。」と嘘をついた。

店に入った事を後悔したが、もう後戻りは出来ない。
当初の目的である「円満な退社をしてもらう」事に全力を尽くそうと思い直す。

「先週の出来事は、社長に報告した。」
「今夜の事はまだ決めてないが、継続するとなると看過出来ないし、太田とも同様な衝突が起こる可能性がある。」
「確かにタイムカードの代押しは良くないが、君の件は契約違反だ。言い訳はできないぞ。今なら一身上の都合として円満に身を引いて貰う事も選択肢としてある。」
「考えてみてくれないか?」

白井は、しばらく考えていたようだが
「分かりました。考えてみます。」と答えた。
そして、「部長、相談にのってほしい事があります。別にお時間頂けませんか?」

吉野は少し警戒したが、「辞める事を受け入れてくれるのなら」と思い、「分かった。じゃあ来週時間を作ろう。」

彼女は「お願いします。」
そして笑顔で「部長、せっかくですからお店で飲んで行って下さい。」
「このまま帰られたら不自然ですし。私、買い物があるって出て来たので少しコンビニで時間つぶしてから帰りますから。」

今度はこっちが考える番だ。
もう、用が済んだので帰りたい気持ちと、彼女の働きぶりを見てみたい気持ちが交錯する。
「わかった。せっかくだから少しだけお邪魔して行こう。」

「良かった、じゃあ先に入って飲んでて下さい。後でお相手します。」

「旬菜」は、僅な間に客が増えていた。
さっきは、カウンター客が1人だったが、いまは、二つあるテーブル席が埋まっている。

一組は作業着姿の三人組、もう一組はキチンとネクタイを締めたサラリーマンの二人組。
吉野は、二人ずれの客に背中を向けるようにカウンターに座った。
店主が「飲み物何にします?」

「ビールね。あと、焼き鳥と厚揚げちょうだい。」

「分かりました。」

お通しでビールを飲んでいると、背中からサラリーマン二人の会話が漏れ聞こえてくる。
「俺、どうも今の支店長と合わない。早く異動しないかな。」

「何言ってんだ、うちに来てまだ3ヶ月だぞ。最低でも1年、嫌、1年半は我慢だな。」

「勘弁してくれよ。支店長がいる右側の顔半分が顔面神経痛になったんだぜ!」

「おい、マジか?」

二人の会話に興味を示し聞き耳をたてる。


次回に続く

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