中腰の国

最近は30代40代の
面白い仕事やっている人達とよく話します。
22歳位から一度外へ出て、
思わぬ仕事で資金を手に入れて、
幅広く様々なことをやっています。
あまり考えないでやってみると案外上手く
回っていくようです。
この深く考えないことが大事。
今日も表参道Stringsで2時間、面白かった。
彼らはちゃんとコツを掴んでます。
近い将来海外に住むこと考えています。
私には海外住まいと仕事方法を聞いてきます。
まずは頭の回転の早い、現地のスタッフがキモです。
ここに出会えることが全部ですね〜。
ニッポン人だけでできるわけがな〜い。

そこにたどり着く唯一の方法を、あなたに教えます!



「すぐに動ける、みーんな中腰のクニ」


少し前の出来事

2015年4月16日 朝9時 私が北京から東京に戻るその日の出来事です。


映画のテーマ曲の打ち合わせを行い、エンディングに流れるテーマ曲も決まった後、

その映画製作会社の総裁でもあるプロデューサーに「是非今度会社に来てください。」と誘われ、

彼のホールディング・カンパニーと、彼の会社の所有する30以上の音楽スタジオ見学に出かけました。


私とスタッフはアパート(日本で言うとマンション)を出ました。しかし朝一のラッシュ・アワーが終わった‪朝の9時でさえタクシーは一台もなく、20分待っても来ないタクシーをあきらめて、何台か来る白タクの一台に乗り込みました。


距離で言えばほんの2.5キロ、時間にすれば10分で着くはずが、進路方向が街の中心の反対方向にもかかわらず大渋滞。


この白タクの運転手は丸顔の、人のいい顔のわりに、運転はかなり大胆で、

こちらの2車線が詰まっていれば、大胆にも反対車線を普通の顔で走って行くのです。


向こうから大型のトラックが来て道を塞いでも平気な顔。

しょうがないのでこちらの車線に戻ろうとも、こちらの車線の車は一台もそれを許しません。


それでもって、さあ反対車線もせき止めての20分。しかし彼は平気な顔。

やっとこちらの車線の車が入れてくれても、この運転手はまた車が詰まると性懲りもなく、

今度は右側の歩道を走って前に行きます。


さらに前方右側の車が追突事故を起こしている所に入り込んで、またまたさらなる渋滞を巻き起こし。それでもなんとか目的地へ。


ここは同じような開発をされた建物が100棟も立ち並ぶエリアで、これがなかなかわからない。

別行動の私の女性スタッフもその会社を探し‪1時間あまり彷徨っている模様。

そこへその映画プロデューサーが現れ、やっと車を降りて会社に到着。


そして音楽部門のトップを紹介されておよそ30分、会談が進んでいたところで私のスタッフが、あああああ〜!!!と、

その日東京に帰る私のスーツケースをその白タクのトランクに入れたまま降りてきてしまったことに気づいたのです。


私ももちろん「おおー!」とは思いましたが、タクシーではないので、レシートがあるはずもなく、もちろん車のナンバーを知る由もなく、思わずなぜか笑いすら出てしまいました。


しかしその映画プロデューサーがすぐに、「車のナンバーが警備のカメラに映っているはずだ!そこから所有者を洗い出せばいい」と外へ、警備へと飛んでいってくれたのです。


私はもう既にあきらめて、パスポートといくらかのお金は胸のポケットに入っているので、

「まあ、今日は手ぶらで日本へ戻ろう。まあ洋服はまた買うしかないな。」と思い案外平気な顔で、総裁と音楽の話を続けていました。


 すると5分もしないうちに、映画プロデューサーが笑顔で戻ってきました。

「もう大丈夫心配ない。」と。


その話を聞いてみたら、

その白タクの運転手は荷物がトランクにあるのに気がついて、自分の車を止めて、私の荷物を持って、同じような建物が連続してある広いそのエリアを30分以上も歩いて、一軒一軒聞いて歩いて回っていたようなのです。

そこへ映画プロデューサーと出くわしたという塩梅なのです。


もちろんお礼に彼には幾らかのお金を渡したようですが、プロデューサーは私に「あなたはほんとうにラッキーだ!もちろん私達が出会って映画で一緒に仕事できることもラッキーであるけれども、普通はこんなことはない。大体が荷物をどこか遠くで捨てられて以上。というのが普通である。」と。


もちろん私は彼に大きく感謝の意を伝えました。

案外親切で一生懸命な、こんな白タクの運転手もいるし、プロデューサーでもあり映画部門のトップでもある人が、すぐさま瞬間的に走って問題に向かって行ってくれる。

これも中国の素晴らしいある部分なのです。


そのあと私は安心して、その大きな会社のいくつものスタジオ見学、

テレビ部門、映画部門、91軒もあるMusic Restaurantのひとつを見学の後に、

総裁は私を車で会社まで送ってくれたのです。

その後の有名歌手とのAlbum制作ミーティングも、うまく運んだのです。


比べると、この大大陸は今まさに激動の成長期なのです。

日本はすでに、ゆっくりと寛いで座椅子にでも座っているように感じるのですが。

この大陸はいつでも誰もが中腰のままで、いつでもどんなときでも全力疾走する準備をしています。

ここの14億人(たぶん16億人以上ですが)、

すべての人が「中腰の国」は案外楽しいのです。




マイナス1,

ちょうど上海万博がはじまろうとしていた2009年、わたしの父親が日本の役人だったため、その父の後輩に即されて、始めて北京に行きました。そこでいきなり中央政府の文化部の方々、さらには日本で言う文科省の方に会いました。


その時点で私の日本でのやってきた仕事、国の仕事をやっていた私の父のこと、さらには中国に縁が深い、軍人だった祖父のことまで彼らは調べていました。

「カマダさんは、日本で幅広くエンターテインメントの仕事をなさってきたようですね。この大陸のエンターテインメント文化はこれからです。ぜひ一緒に我々と中国のエンターテインメントを作っていきませんか?カマダさんは中国に縁が深い方ですから。」と。


10月に始めて行った北京。街はクラクションは鳴りっぱなし、タクシーは全員、白線無視の街道レーサー、歩道も何処も関係ない電動バイク走行、さらには35年前に私が乗っていたVWのジェッタが北京のタクシー全部でした。床には穴が空き、道が覗いて見えます。トランクにスーツケースを入れようと開けると、中は水浸し。まあそんな感じの街で中国国営放送局のCCTVに連れて行かれ、編成の方々に会い。さらにはエンターテインメント特区になっている、穀倉地帯の南のエリア、かの毛沢東氏の出身地、湖南省の湖南テレビへ連れて行かれました。


そこでも編成の偉い人たちに会い、まあなんとも、ちんぷんかんな会話を交わして来ました。圧倒的なパワーと、微塵も理解不能な中国語の嵐の中、言いたいことも何も、来たことのない異国の環境にただただ飲みこまれ。そこで私が覚えているたった一つのことは、彼らから、「この湖南省はイギリスよりも、フランスよりも人口が多いこと。ひとつの省が、EUのひとつの国のサイズになります。一般の市民は、自分の省の省長が一番えらい人と思っています。北京の国家主席は、それこそ雲の上の存在です。」と伝えられたのです。

うーん??? もうこの時点で、ちんぷんかんぷん。


2ヶ月後、12月に再び文化部の方から連絡があり、「湖南テレビの有名プロデューサーが北京でカマタさんに会いたいので、来週北京に来れますか?」と。

意味など考えずに、もう寒くなり始めた北京に再び。そこで会ったらいきなり食事会です。なんと大陸いちばん人気番組のプロデューサーは女性だったのです。それも、若い! ソバージュの髪を揺らしながら、どうやら「カマタさん、年明けから一緒に番組をやりましょう!内容は日本文化紹介コーナーをその人気番組の中に作ります。」ということでした。

「返事は明日までにください。明日までわたしは北京にいます。OKでしたら、明日そのまま打ち合わせをしましょう!」「ええええええええ〜??????」


ちょうど同じ時期にともに中国に金融の手ほどきで来ていた私の高校の同級生Wにそのことを相談。彼はロンドンのシティで、そして東京で、世界の相場を動かしていた10人に入るほどの博打打ち。そして私と同じ、ヤバイB型血液。

私がその夜彼と会って、脳みその少ない私達が出した答えは、

「まあ。命はとられないだろう?やっちまおう!」でした。

そこから今日まで早10年、大大混乱のでっかい大陸で、ジェットコースターのような人生が始まって行ったのです。


これが成功か?失敗か?といったら、、、まあ成功の部類に入ると思います。

毎年、資金を出してくれた高校の同級生の金融畑の仲間達に、赤坂で株主総会をやって、事業の報告をしているんですから。

みんな毎年、株主総会を待ち望んでいます。毎年わたしが話をする、おとぎ話のような、ジェットコースター的ストーリーは、日本にいただけでは決して味わうことのない、抱腹絶倒の物語なのですから。


ここから私の失敗と成功が順繰り、出てきます。

しかし、ここでは失敗とは言えないことかもしれません。

全部が日本ではありえないことなのですから。

ただ言えることは、此処へ来て人生は面白くなった!

ということです。

それは金銭での成功とか、事業での成功とかだけでは計り知れない、

人間の面白さ発見と感動なのです。

笑いと笑いと笑いの、1000万回の腹立ちと苦節の日々なのです。

「まずは現状把握をしよう」


1,まず大陸での過ごし方

まずは肌の色が同じで、髪の毛の色も同じ、そしてすぐお隣の国、その中国というところは我々日本と似ていて近いところ、と思うことはやめた方がいいでしょう。


中国大陸というのは、日本から東の空へと飛び立ち、ハワイ諸島を越え、米国西海岸を越え、首都ワシントンを通り過ぎ、大西洋をひとまたぎ、それからその先の

欧州を越え、中東トルコを過ぎ、数ある東南Asia諸国を越え、やっとたどり着く、東の果ての果てのそのまた果ての大きな国だと思ってください。

それほど我々とは、考え方も習慣も行動も全く違う国なのです。

決して時差‪1時間のお隣さんとは思わないでください。


2,「じつは遠く遠く、果てしなく遠い国」


そんな私はまずは欧州のクラシック音楽を、ピアノ・レッスンとして子供の頃学び、そこから、みんな私よりも年上だった親戚のお兄さんお姉さんの影響で、英国や米国の音楽に触れ、そして運がいいことに、なんかの拍子にその好きな音楽を仕事にすることができ、なんとかこれまでやってきました。


ただただ、それは運が良かったのだと思います。

しかしその後、大好きな米国に幾つもの音楽作りに通えば通うほど、彼ら米国人とは姿も形も、そして考え方も行動も、我々日本人とはやはり違うことを痛感したのでした。やはりどちらかというと、同じ島国の英国の方のほうが近い気がしました。さらに北欧や和蘭陀の方々や、独逸の人たちの方が、実は米国人よりも我々とは気が合うのかな?と思ったのです。


そのYes、Noの国、私が好きな音楽の一つの都、米国よりもさらにもっと考え方も遠いのは実は中国、すぐお隣の国だったのです。


3,そして絶対的に認識したほうがいい、新しい国であること


ここは近世、国がまとまってからおよそ70年の国です。まずそう思ってください。

あるところ新興国とも言えます。が、なにしろこの大大陸の歴史は広く深く多く底なしなのです。

そのために戦後、我々が育ってきた欧米的な常識やルールは全く通用しません。

まずそこを理解ください。




4,「あまりにも多すぎる人口」


世界の人口は今、およそ72億人でしょう。(およそです)

1分に137人、1日で20万人、1年で7000万人増えているのが現状です。

1年に6000万人が亡くなり、1億3000万人が生まれるのです。

そのうち中国の人口は13億6000万人です。

しかし、中国の有識者に聞くと実は16億5000万人いるようなのです。

様々な家庭の問題で、政府の戸籍に入っていない方々もそれだけの数いらっしゃるのです。

そして、東南アジア諸国に拡がる華僑の人々を入れると、およそ20億人を越えます。

毎日、およそ20億人の人たちが中華料理を食べて、中国語を日常的に使って生活をしているのです。まずは地球の4人に1人は中国料理を食べているということです。




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