杉山結人という男を語る。

2033年9月。暑さの残る奄美つむぎスタジアムに、背番号12番のその男はいた。
33歳となっても纏う穏やかな雰囲気は変わらない。でも、戦いの修羅場を経験した男の炎は、瞳の中に確かに宿っていた。
杉山結人、33歳にして今季の一軍出場はゼロ。誰がどう見ても、チームの中でも最も立場が危うい選手の1人だった。
それでも、ファンや我々応援団に向ける表情、チームメイトとの接し方、それら全ては初めて彼を見た2023年、10年前と何も変わっていない。いつでも彼の周りには笑顔があり、笑顔がある所には彼がいた。
彼は聡い男である。隙が見当たらない。だから、己の置かれた立場の厳しさも理解している。それでも表情1つ変わらずに練習を、試合を楽しめるのは彼だけの為せる技だろう。そこには、10年のキャリアで培った決して自分を曲げない芯の強さがあった。
結局、この日の試合に彼の出番はなかった。それでも、ベンチで1番目立っていたのは間違いなく背番号12だった。

2000年6月27日、三重県出身。仙台育英高校→法政大学とエリート街道を進み、2022年ドラフト4位で鹿児島に入団。2年目に124試合に出場しOPS.744とブレイクすると、4年目には24本OPS.808と主軸に定着。その後も4年連続で2桁本塁打を放ちチームを支えたが、30歳を迎えた2030年、OPS.508と一気に調子を落としてしまう。この歳はシーズンの2/3を二軍で過ごす悔しいシーズンとなり、今までは見せなかった顔が顕になっていた。焦り、不安、自分への苛立ち。以前も全くそういったものを持っていなかった訳ではないだろうが、そういったものを誰にも見せることなく常に笑顔でい続けた杉山を見てきた我々が、8年目にして初めて見た表情だった。
この歳は二軍でもOPS.674と満足のいく結果を残せず、シーズンを通して彼らしい笑顔はなかなか見られなかった。
そういった表情を見ることが出来た時、私は嬉しく感じたのを覚えている。彼も1人の人間なんだ、弱いところのある人間なんだということが見れた時に、なんとも言えない安心感があったのだ。

しかしこの男、ここで終わるほど弱くはなかった。
翌年キャンプインした彼の表情は、見慣れた明るいものに戻っていた。心の奥に雲がかかっていない訳がない。肉体の衰え、ライバルの成長、同期の西山颯基の活躍。全てが彼の胸の中に渦巻いていたのは間違いない。
それでも、それら全てを真正面から受け止める強さが彼にはあった。嵐のような日々を、心からの笑顔で乗り切れることが出来た。雲を晴らすのではない。雨が上がるのを待つのでは無い。その中を最高に楽しく進んでいくのが、杉山結人という男なのである。
結局この歳の彼は、39試合の出場ながらOPS.772の好成績を残している。ファーストのポジションを西山と争う毎日は、彼にとって最高の楽しい日々だった。

結局、この年が彼の鹿児島での最後の輝きとなった。肉体の衰えには耐えられず、翌年は3試合、そして今年は一軍出場無し。それでも、若手と並んで二軍で汗を流す日々も、二軍で顔馴染みとなったファンと交わす冗談も、全てを笑顔で過ごしてみせた姿は、誰が見ても輝いていただろう。

そして、シーズンが終わった10月頭。球団から、杉山と来季の契約を結ばないとの公式発表があった。戦力外通告である。シーズン優勝の裏ということもあり、ファンも悲しみを抱えつつ覚悟は決まっていた人が多かったことだろう。失礼ながら衰えは顕著であり、このまま引退かと思っていたところ、驚きのニュースが入ってきた。
なんと名愛が杉山を獲得するというのである。
どれだけ一軍での出番があるかは分からないが、まだ彼のプレーとその姿が見れるのであればこれより嬉しいことは無い。敵ではあるが、リスペクトを込めて最高の活躍を願いたいと思う。

名愛ファンにこれだけは伝えておきたい。
彼は、1年間追うだけで人を狂わせることの出来る存在だ。その姿に、笑顔に、精神性に、ぜひ狂わされて欲しい。1年後、ぜひ共に語り合おう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?