ナスカとネタバレだらけの感想(ミラベルと魔法だらけの家 感想)

皆さんおはこんばんちは!ナスカです!


今日(2021/11/26)は「ミラベルと魔法だらけの家(原題・ENCANTO)」を見てきましたよ!公開初日でございます!


モアナと伝説の海やズートピアを手掛けた監督が指揮を執る、「四年ぶりとなる新作ディズニー・ミュージカル」と銘打たれています。この言葉の示す通り、魅力的な音楽と歌が今作の売りであると言っても過言ではないでしょう。


私はここ数年、ディズニー映画を見るときは字幕版で……と思っているのですが、残念ながら住んでいる近辺に字幕版を上映している映画館は無くて()

まあでも劇場で見られるだけいいだろと思いつつ、吹き替え版を鑑賞してきました。(まあ吹き替え版には中井和哉さんが出てるしこれはこれでよかった……ヘヘヘ……)


同時上映の短編「ツリーから離れて」もなかなかよかったのですが、たぶんこれの感想も含めるともっと長くなるのでカットします!ごめんね!(個人的には手描きアニメーションに見える絵作りにすごく感動しました)



さて本編に入ります。


作中におけるひとつの矛盾について


私が今作ミラベルと……あー、長いから原題でいいですか?ENCANTO(エンカント)って読みます。

私がENCANTOの予告編を見た時に思ったのは「家の中が舞台?なら外に出て見知らぬところを冒険するわけではなさそう」ということです。その後に公開されたトレーラーを見ると「どう見ても家の中じゃない」ところで繰り広げられるシーンが満載で、この作品はナルニア国物語の衣装箪笥よろしく家族個々人の部屋の中が異世界になっているのでは?と思いました。そして魔法だらけの家が危機に瀕しているのをミラベルがそのことを家族たちに教えて回り、部屋の主を一人ひとり味方につけながら家を救う方法を探す……的な……。


あれ?これじゃ屋内か屋外かの違いってだけでラーヤでは??(と打ちながら思った)


実際は、まあ見た方ならわかると思うのですがほとんど劇中ミラベルは一人で頑張るんです。彼女は事前情報の通り「魔法のギフト」を授かっていませんから、パッと見でわかる特別な相方はいないわけです(例・ラーヤのトゥクトゥク、アラジンのアブー 等)

いやいやひとりじゃないじゃん!とツッコミがどこからか聞こえてきそうですが(笑)確かにそうです。ひとりではありません。「パッと見」一人ってだけで。


うーん難しいな……じゃあ言い方を変えましょう。


「魔法だらけの家」はどうしてミラベルに魔法のギフトを授けなかったのに、あんなにミラベルに親しくしてくれたんでしょうか?


はっきり言ってミラベルにだけ魔法を授けてくれないなんてちょっとひどいです。でも「家」は……あーこれも「カシータ」って言ったほうがいいかな?スペイン語で「コテージ」って意味だそうです。

でもカシータはミラベルだけをのけ者にしている描写は一つもありません。彼女が行動するのを後押ししてくれます。むしろミラベルをのけ者のように扱っているのは彼女の両親を除く姉たちやおば夫婦、いとこ(アントニオ除く)、そして家長であるアルマおばあちゃん……。二人の姉の中でもイサベラはあまりミラベルをよく思ってない印象すら受けます。


さて、どうしてミラベルは魔法のギフトを貰えなかったのにカシータから温かく見守られているのでしょう……。それに関する私なりの答えというか、考察?妄想?はまた後ほど。



音楽について


「四年ぶりの新作ディズニー・ミュージカル」を銘打っているだけあって、素敵な音楽ばかりでした。ただ私はラテン系の音楽に死ぬほど詳しくないので、ここのどこがいいとか専門分野からは何も言えませんごめんなさい……。


「ふしぎなマドリガル家」

美女と野獣の「朝の風景」などの物語の始まりを思わせる最初の一曲。ミラベルが大好きな、けれどちょっとコンプレックスを抱いている家族を紹介する曲です。町の子どもたちがミラベルに彼女自身と家族のことを訊ね、そしてそれにミラベルが答えていくという形で歌と場面が進みます。

明るく愉快な曲調で、聴いていて楽しくなる一曲でありながらも、ミラベルの「家族を肯定的に捉えなきゃ」「自分は魔法のギフトを持っていない」という心苦しさも感じますね。私は。


「奇跡を夢見て」

この曲が序盤に持ってこられるとは思いませんでした。ミラベルが苦悩の果てに歌い上げる、クライマックスの一曲だと思っていたからです。

ミラベルのいとこで5歳のアントニオは無事魔法のギフトを受け取りました。一家で記念写真を撮りますが、その中にミラベルは入りません。入れませんでした。魔法のギフトを持っていないから。それでも自分も魔法がほしいと歌い上げるこの曲は、完璧な姉たちを羨ましがる想いや、アルマおばあちゃんに認めてもらいたいという気持ちがこもっているように感じました。この曲の原題は「waiting on a miracle」直訳すると、奇跡を待っている、といったところでしょうか。魔法のギフトは時折「奇跡」とも称されることから、これはミラベルが魔法のギフトを授けられることを待っている、けれどもうそんなことは有り得ないのだと諦めの気持ちも感じる曲です。そんな彼女が「奇跡」を救うのだと動き出すのがいいですよね。


「増していくプレッシャー」

ミラベルの二番目の姉ルイーサが「もしも力を無くしてしまったらどうしよう。もしも自分が頼られなくなったらどうしよう」という想いを歌い上げた曲です。私はこの曲にENCANTOの本質があるように思えました。ミラベルは特別な力が無いことを悩んでいるけれど、特別な力を持つ者は特別な力を持つが故に悩むこともある。この作品でその悩みは力の強さに振り回されることではなく、奮えなくなることへの恐怖でした。力を失って何も背負えなくなったとき、誰もが自分を見捨ててしまうのではないのか。いつだって綱渡りなのだと、その場面の最初で示されている通りです。これはルイーサだけの問題ではなくENCANTO全体に通っている問題なのですが……それは後述の「何故タイトルは「ENCANTO」なのか」で詳しく。


「秘密のブルーノ」

「ふしぎなマドリガル家」でその存在について語ってはいけないと言われていたミラベルのおじ・ブルーノについて語られた一曲。正直この曲のリズム感がめちゃくちゃクセになります。好きです。

ブルーノは未来を見る魔法のギフトを授けられました。彼が予見したことは現実となり、悪いことが取り沙汰され、エンカントの人々や家族であるはずのマドリガル家の人々ですら彼について話さなくなった……という内容。ブルーノおじさんについては……すごくすごく語りたいことが多いので後ほど別枠を設けます!


「本当のわたし」

一番目の姉イサベラの曲です。彼女は常に周囲から求められる完璧な姿でいます。これから結婚することも決まっていました。けれどイサベラは周囲から求められる姿でいることに疲れていたのも事実です。この曲はイサベラがミラベルに本音をぶちまけると共に、なりたかった自分を解放するものになっています。色とりどりの美しい花を咲かせる彼女が、サボテンをはじめとするバラエティ豊かな植物を生やすのが象徴的ですね。周りから求められる美しさではなく自分らしさを放てているということなので。


「2匹のオルギータス」

アルマおばあちゃんと、今は亡き夫であるペドロの若い頃に何があったのかという回想場面で流れる一曲。オルギータスとはスペイン語で芋虫や毛虫、といった意味らしいです。けれどここではいずれ蝶になる芋虫ってことでいいと思います。

アルマおばあちゃんは若い頃、エンカントではない別の町で暮らしていました。そこでペドロと出会い、二人は愛を育み結婚し、三つ子を授かります。それがミラベルの母フリエッタと、おばのペパ、そしておじのブルーノ。ところが住んでいた町は突然「ある集団」に襲われ、マドリガル家だけでなく多くの人たちがその町から逃れることになりました。ペドロは「ある集団」を食い止めるため、妻と我が子を守るために死にました。

アルマおばあちゃんは安寧の場所を失い、愛する夫に先立たれたのです。そんな経験から、こんな思いをしたくはないという一心で居場所を守ることに執着していた。それが判明する場面の曲になりますかね。

けれど歌っている内容は「いつか別れは訪れる、再会するために。だからあまり互いに依存してはいけないよ」といった感じです。心を寄せ合うのはいいけれど、いつかは個々で生きていかなければならないのだから互いに食い込みすぎてはいけない……というのは家族同士でも言えることだと思います。


「奇跡はここに」

カシータ再建の時に歌われる、劇中最後の曲です。マドリガル家もエンカントの人々も総出。三きょうだいも三姉妹も仲良しだし、ドロレスの恋は実るしでまさに大団円!という曲。めちゃくちゃホッとします。

ミラベルがドアノブを挿し込むとカシータは魔法の力を取り戻します。……これに関しては、また後ほど語ります。



未来視おじさんブルーノ


皆さんディズニーでブルーノといったら誰を思い出します?私は断然シンデレラに登場する犬のブルーノなんですよね。けれど正直今回のブルーノおじさんが全部持っていきました。

未来を見える力を持ってしまったが故に姿を消したという設定だけでも個人的にかなりキテるというのに、おまけに吹き替えが中井和哉さんで「よっっっっっっしゃ!!!!!!!」となりましたね。ディズニー公式で日本語吹き替え版声優が発表されたときに「中井和哉」の名前が上の方にあったんですね。つまり重要人物を演じていると。間違いない!ブルーノおじさんだ!!と直感したのが大当たりでした。

私が「中井さん、イイ!」となったのは去年の年明けの頃でした。フォロワーさんから2005年に放映された「ノエイン〜もうひとりの君へ〜」というSFアニメを紹介されたのです。中井さんは主人公の幼馴染みの「15年後の未来から来た姿」と「重要なもうひとり」を演じました。私は前者はもちろん後者のキャラクターの方にガッツリ入れ込んでしまって、それから中井さんの声を好きになりました。

そんな中井さんが気になっていたキャラクターを演じてくれるなんて!洋画は字幕版派の私ですが、中井さんがブルーノをやってくれるなら吹き替え版もまあ悪くないかなと思いました(チョロい)


ブルーノは未来を見ますが、それに良し悪しは無くどんな未来でも見ます。けれど悪いことが取り沙汰されるのは世の常。災いを伝えるために人里に降りてくるアブソルが「災いを呼ぶ」と人々に誤解されたのと似たようなパターンで。

人々に不気味がられた彼は自分を「家族の役に立てなかった」と責めており、彼もまた特別な力を持つが故の悩みを抱えていました。長らく家出したと思われていましたが、実は家族が普段から使う食卓のすぐ裏……壁の中に住んでいました。今も家族を愛している証拠として、彼が使うテーブルには「BRUNO」と描かれています。一緒にいられない悲しさと寂しさを感じますね。


当初、私はブルーノを薄暗くシリアスなキャラクターだと思っていました。最初に彼の顔が出るシーンは暗くて狭い壁の中でのミラベルとの追いかけっこ。稲妻が照らすほんの一瞬です。けれど蓋を開けてみたら、設定上のシリアスさがありながらも本人はコミカルでした。

彼がストーリー上で持つ役割が重いバランスを保つためのあの性格なのかなとメタな理由を考えられるのと同時に、あんな性格なのに魔法のギフトの特性で周囲から恐れられてああなってしまったのかなとも思えますね。



何故タイトルは「ENCANTO」なのか


ENCANTOとは何のことなのかと本編を見るまで全くわかりませんでした。意味はわかります。スペイン語で「魅了」。「魔法にかけられて」の原題「enchanted」とほとんど同じ意味になります。

エンカント(タイトルと分ける意味でこっちはカタカナ表記にします)とはカシータのある場所のことでした。エンカントは高い山に囲まれ、マドリガル家の住むカシータだけでなく普通の人間の住む普通の町もあります。エンカントとはまあ一つの地域の名前ってことで。


ENCANTOはマドリガル家の話と言ったところです。物語の主人公はミラベルだし、話の中心にいるのもマドリガル家です。じゃあタイトルは「Madrigal」でよかったのではないでしょうか?これがマドリガル家とするのなら。


タイトルがENCANTOなのは、この映画はエンカント全体の話だから。


それは最後のシーンが示していると思います。崩れてしまったカシータをもう一度建てるために町の人達が集まってきます。


彼らは彼らなりに生活をしていたと思いますが、魔法の力を持っているマドリガル家の人達に頼っていたことは事実です。エンカント全体はマドリガル家がいなければ回らないと言っても過言ではありません。アルマおばあちゃんも「家族のために」と同じくらい「地域のために」ということを強調しています。マドリガル家はわかりやすく言うとエンカントの王族……といったところでしょうか。マドリガル家の子が魔法のギフトを授かるのに町の人々が参加するのはさながら戴冠式のようです。


けれど前述の通り、ルイーサは「いつか重いものを背負えなくなる」ことに怯えていますしイサベラは「あるべき姿」を押し付けられることに不満を抱いています。


周りのためになることをするのはとても大事なことだとは思います。しかしそれ故に自分を壊してしまっては意味がありません。自分が壊れれば今度は周囲が壊れていきます。ルイーサの曲「増していくプレッシャー」の通りです。エンカントに住むマドリガル家以外の人たちは、マドリガル家に期待し、頼りすぎていた。そしてマドリガル家の人たちは特別な力を持つ特別な者であるが故に、その期待に応えようとした結果押し潰され崩壊の危機にあり……結果特別さの象徴であったカシータは壊れてしまいます。


特別な力を持つ特別な者にあらゆることを委ねることの危険性がそこから見えるようです。


どこかの魔術師は「私は最悪の民主政治でも最良の専制政治にまさると思っている」と言いましたがこれが的を得ているような気がします。特別な者はそう簡単に現れてはくれません。

そしてその特別な者がいなくなったら?

太くて強いけれど、一本しか無いその支えが無くなってしまったら?

特別な者がその力の使い方を誤ってしまったら?

特別な者がその特別さを失ってしまったら?


エンカントの人たちがそのことについて知っていたかどうかはわかりません。けれど彼らは魔法を持っていないけれど家が崩れてしまったマドリガル家に救いの手を差し伸べ、共に力を尽くしてカシータを再建させます。


タイトルが「madrigal」ではなく「ENCANTO」なのは、マドリガル家も含めたエンカント全体の物語だからなのではないかと私は思います。



ミラベルは未来の家長?


「作中におけるひとつの矛盾について」で語った、何故ミラベルは魔法のギフトを授けられなかったのかという件についての私なりの答えをここで出そうと思います。


と、その前に魔法のギフトを持っていないマドリガル家の人物がもうひとりいます。婿としてやってきた二人は除いて。それは誰でしょう。

そう、アルマおばあちゃんなんです。彼女はたしかに家長としての役割を果たしていますが彼女自身はギフトを持っていません(でもアルマおばあちゃんにもドアがあるんですよね。どういうシステムなんだろ……)


永遠に消えない蝋燭の炎が最初に奇跡を起こしたのはアルマおばあちゃんが若い頃のことでした。「2匹のオルギータス」の項でも語った、夫のペドロが「ある集団」に立ち向かっていった時のことです。セリフこそありませんが、その表情や伸ばした手から察するにアルマおばあちゃんの気持ちは「愛する家族にいなくなってほしくない」といったところでしょうか。その瞬間に蝋燭が奇跡を起こし、エンカントとカシータが生まれます。持たざる者の祈りに応えた、という印象です。


前述の通り、特別な力を持つ特別な者たちにあらゆることを委ねることは危険です。いつか誰かが潰れてしまうことになります。そして誰かが潰れればまた別の誰かが……と。恐らく魔法を授ける側であるカシータもそれをわかっていたのではないでしょうか。


ミラベルはカシータから「次の家長」になるべく、持たざる者として選ばれたというのが私の答えです。


ミラベルもアルマおばあちゃんも魔法のギフトを持っていないけれど家族の為に動き続けました。

ミラベルは消えていく蝋燭の炎を守ろうと手を伸ばしました。その蝋燭を掲げていたペドロを失いたくないと、若き日のアルマおばあちゃんは手を伸ばしました。


一回しか観てないので気がついてないところも多いと思いますが、二人の共通点は結構多いです。


この件について「これなら整合性が取れる!」と思った考察というか妄想があるのですが、なんとそれを忘れてしまったので()思い出したら追記します。マジですんません……。



「カシータ」は何者?


カシータは恐らく、「マドリガル家の人々の奥底にある家族への思いやり」の化身のようなものだと思います。劇中でカシータに最初の亀裂が入るのは、ミラベルが「奇跡を夢見て」を歌い終わったあとです。二度目は「本当のわたし」のあと。


最初の亀裂はすぐに直りました。それは「家が壊れてしまったら、家族が危ない!」とミラベルが家族を思う気持ちをすぐに抱いたからです。最初はミラベルがブルーノと同様の力を実は持っていて未来を見たからと思いましたが、ブルーノの未来の見方は儀式のようでミラベルが直面したものとは異なることがわかります。ということは、あれは現実。


二度目のあとにカシータは崩壊しました。アルマおばあちゃんはミラベルが面倒事を起こしていると思い不満をぶちまけ、ミラベルがアルマおばあちゃんに自分や姉たちの秘めた不満をぶちまけたことで亀裂が入ってしまったのです。これって、要は家庭不和の比喩ですよね。


けれどカシータは崩壊しながらも蝋燭を救い出そうとするミラベルを守り助け、ミラベルを助けようとするフリエッタを外に追い出すように床が動きます。


ごちゃごちゃと小難しく話してきましたが、


カシータがマドリガル家の家族への思いやりであるなら、カシータに走る亀裂は家族に対する不満や疎ましさなのではないかということです。 

本当は大切に思っている。けれど人間同士なので不満もある。その不満が大切だという気持ちを覆ってしまったときに、思いやりの象徴であるカシータは崩れてしまう……。


ということですかね。(言語化難しい〜!)




このくらいになりますかね。本当はルイーサの吹き替えが思ったよりも良かったとか、ドロレスとマリアーノのこととか、タイトルロゴのエフェクトは蝋燭の灯りだったんだとか、最後に家族全員で記念写真を撮るときにミラベルのパパだけブレてるとか、私もメガネしてるからミラベルにはすごい親近感覚えたとか、色々言いたいことめちゃくちゃあるんですけど8000文字に達しそうなのでそろそろ終わりたいと思います()


小難しいことを垂れ流して来ましたが、魅力的な音楽とキャラクター、圧巻の映像、是非是非映画館で見てほしい楽しい作品です。


それでは以上になります!長文お読みくださりありがとうございました!!!



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