ジャニーズJr. Travis Japan 松倉海斗くんへ

拝啓 天高く馬肥ゆる秋たけなわの季節が到来しましたが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。

東京の狭い空の下、日本っぽい秋っぽい書き出しを調べてコピペしてみたけど、LAはずっと暑そうだね。ちな、東京も結構暑いよ。これを書き始めている現在、ENTERのTシャツで過ごそうとすると暑いし、未だにエアコンつけたりしてる。でも、すぐ寒くなっちゃうんだろうな。私は秋のファッションが好きなので、できるだけ秋が長いと嬉しいんだけど。(ちな、もうめっちゃ寒いよ byこれを書き終える現在の私より)
そういえば!ピアス開けたね!?!??松倉くんが高校を卒業するときも、元太が高校を卒業するときも、「ピアス開けるかな〜」とドキドキしてたけど、今!?!??!暑いのに開けて膿んだりしない?大丈夫そ?日本みたいに湿度が高いわけじゃないから大丈夫なのかな?私も左耳にもう1つ開けたいけど、湿度の高い日本に住んでるし、初めて開けたときに安定するまで時間かかったし、2回目だとケアを怠りそうで膿みそうだし、多分一生開けない気がする。まぁ両耳1つずつだから、松倉くんとオソロ!ということにしますわ。



と、どうでも良い前置きが長すぎましたが、
Travis Japan世界デビューおめでとうございます!!!!!!!そして、ありがとうこざいます!!!!!!!

「ジャニーズJr.の松倉くん宛」としては最後のお手紙を書きたいと思います。
お手紙を全世界に公開するんか〜い!って感じですが、私のための感情もろもろメモ的な立ち位置なので、まあ、許してやってください。


私が松倉くんのことを知ったのは2012年でした。
7WESTからジャニーズJr.に興味を持ったので、東京の子たちはみんな同じ顔に見えて、少クラとかも関西以外はチャプターを飛ばしまくってた頃に放送されたのが『ジャニーズJr.の真実』です。
この番組のおかげで、今まで同じ顔に見えていた東京の子たちの見分けがつくようになりました。お腹が痛くなる子、ベストを忘れた子、マンションに入って喜んでた子、なんかよく喋ってた子。メモをしてた子が松倉くんです。
あの番組のおかげで、「進研ゼミでやったところだ!」と、東京の子たちのパフォーマンスをちゃんと見るようになりました。

メモをしてた子、もとい松倉海斗くんのことが気になったのは、他の子と違ったからです。腕が。
あ、「身長に対して腕が長かったから」ではなくて、「腕の伸ばし方と動かし方」が違かったのです。
腕を伸ばして横に振る、振り付けあるじゃないですか?「LA LA LA」とか「NA NA NA」とかのときに、我々ヲタクもやる、あれです。
あの振り付けのときに、ただブラブラと手を横に動かす子が多い中、松倉くんはしっかりと伸ばした腕で半円を描いていたのです。私の目には松倉くんだけがダンスを踊っているように見えました。

だから、松倉くんに興味を持ちました。

毎回そうだったんです。どのステージでも。
何列目にいたって、どの位置にいたって、松倉くんは100%の力で踊っていました。当時の松倉くんに対してよく使われる言葉は「しゃかりきダンス」でしたが、私は「しゃかりきだな〜」というより、「この子だけ心意気が違うな〜」と思っていました。

そんな松倉くんの担当になったのは2014年ということになっています。
「ということになっています。」というのは、沼落ちブログを書くような、「今日から俺は松倉担だ!」という沼落ちではなく、いつのまにか沼に頭まで浸かっていて、いつのまにかヲタクとしての優先順位1位が松倉くんになっていたからです。それが2014年のことでした。
 
最初の方に7WESTという言葉を出しましたが、7WESTのヲタクをやっていたわけではなく、嵐のヲタクと関ジャニ∞のヲタクしかやったことがなかったので、はじめてのJr.担でした。「ジャニーズJr.」という未開拓の地に足を踏み入れることができたのは、一緒にハマってくれた地元の友達のおかげです。
そう、「1人だって行く!1人だって絶対見に行きたいんだ!」という熱量が最初からあったわけではなく、一緒に現場に行ってくれる友達がいるから、松倉くんにハマることができたし、そのうちに優先順位が1位になって、1人だって福岡とかに行くようになったのです。
今、目一杯ジャニヲタをやっているのは私だけですが、Travis Japanのデビューが決まって2人とも「おめでとう!」とすぐに連絡をくれました。虎の中に七が入っているので虎ノ門でデビューのお祝いしたのですが、お酒飲んでたら『JUST DANCE!』が流れたんです!すごくない!?
私が今も楽しくジャニヲタをやっているのは2人のおかげなので2人に感謝だし、私が今も2人と仲が良いのはジャニーズのおかげなのでジャニーズに感謝です。ありがとう&ありがとう。

2014年は、松松スワンソングの少クラがあったり、Sexy 松ができたり、チーム者があったり、どれも懐かしきワードで最高ですね。

セク松とかチーム者のおかげで、TVでも松倉くんをたくさん見ることができました。ガムシャラにはチーム者のあとも非常にお世話になったし、ドラマ出演もあったりしましたね。今思えば、デビュー組のヲタクだった私がすんなりJr.担になれた理由の1つには露出度の高さがあったのだと思います。あのとき、ちょうど露出度が高かった。
すべてはタイミングなのだと思います。もちろん今の松倉くんもとてもとても魅力的ですが、2022年に松倉くんに出会っていたらヲタクになれていたかはわかりません。2012年に知って、2014年にしっかりと足を踏み入れたからこそ、今の私があるのです。

デビュー組の担当をしていた頃は、担当は年上のかっこいいお兄さんだったので、ただただ「かっこいい」という感情で担当になったのですが、松倉くんの担当になったときは少し違かったように思います。
松倉くんは私より年下だし、当時の松倉くんはかっこいいというよりはスーパーウルトラミラクルハイパーキュートという感じだったし。
いや、もちろんかっこよかったし、惚れたんだけど、ただただ「かっこいい」というよりは、「この人の未来はおもろそうだな」と思った、という感じがしっくりくるのです。そして、松倉くんの未来はまじでおもろかった。


2015年は何と言ってもEndless SHOCKに出会えた年でしたね。
今までのすべての経験が今の松倉くんを作っていることは百というか億も承知しているのですが、Eedless SHOCKは「SHOCKのおかげで今の松倉くんがある」と表現したくなってしまうような存在です。

カイトとして生きる松倉くんを目に焼き付けられたこと、本当に嬉しく思います。「カイトと各ライバルとの関係性の違い」とかを考察してしまえるほど、選ばれ続けてくれてありがとう。選ばれたことはとても嬉しかったけど、それ以上に選ばれ続けたことが嬉しかったです。
私にとって2月と3月は帝劇の季節だし、9月は梅芸の季節、10月は博多座の季節です。

Endless SHOCKは松倉くんにたくさんのものを与えてくれました。ただ、松倉くんもEndless SHOCKにたくさんのものを与えたと思うのです。「育ててもらった」だけじゃない。お互いに養分を与えた。そんな感覚を勝手に抱いています。


2016年は、今思えば、一番「ジャニーズJr.っぽかった」年なのかもしれませんね。
SHOCKの地方公演がなかったし、松倉くんはユニットに入っていなかったので、「あ、これ出るのね!?!??!?」という、ジャニーズJr.っぽさがあったような気がします。
突然、天才Geniusの後ろに松松の名前が書いてあったEXシアターとか、何の説明もない感じが非常にジャニーズJr.っぽくて素晴らしいと思います。

あの頃から、ユニットが増えてきて、「ユニットにあらずんばジャニーズJr.にあらず」的な悲しい時代がはじまったように記憶していますが、私は相変わらず「この人の未来はおもろそうだな」と思っていたので、不安になることはありませんでした。ユニット戦国時代なんてクソ喰らえとは思っていましたが。

逆にユニットで埋め尽くされたステージに斬り込んで行ったり、(無所と言うと本当の無所に怒られそうだけど)無所として頼もしく舞台を支えたり、「色んな松倉くんを見られて楽しいな〜」と思っていました。
ただ、トラジャのクリエ見学で「グループっていいな〜と思いました」と松倉くんが言ったと聞いて、そうだよね・・・わかるよ・・・と言う気持ちにはなりました。そのTravis Japanに松倉くんが入る未来なんてまったく予想もせずに。


ジャニーズJr. 松倉海斗がジャニーズJr. Travis Japan 松倉海斗になった2017年。

「普通」という言葉を使うことに慎重になる世の中ですが、私は所謂「普通」の人生を送ってきました。
敷かれたわけでもない人生のレールに何の疑問も持たずに生きてきたし、本当にのほほんとした人生だと思います。波瀾万丈のはの字もない。
なので、「松倉海斗がTravis Japanになる」は私の人生の中でも割と上位に入るびっくり案件でした。

私はもともとTravis Japanが結構好きだったし、というか松倉くんの次に好きなJr.は多分宮近くんだったし、別に松倉くんとユニットを組んでほしい無所がいたわけではないし、いい加減ユニット戦国時代に腹が立ってたし、玉アリのJr.祭りで「俺たちがジャニーズJr.!」のときに無所の寺松松を自分達の間に入れてくれたTravis Japanマジで好き!LOVE!みたいな感じだったので、Travis Japanになること時代には嫌な気持ちにならなかったのです。

「本腰を入れて宮近くんを応援できる!」と嬉しくなったり、「やばい、宮近くんのこと思う存分見られなくなるじゃん!」と焦ったりしました。

ただ、驚いたは驚いた。「人生何があるか分からないよね。だって松倉くんがTravis Japanになるんだもん。」が当時の私の口癖でした。
色々ありましたね。色々。そりゃあ、脱退があったうえで加入してるんだから、色々ありますよね。普通に。腹が立つことも結構ありましたが、今は笑って話すことができますよ。私は強いのでね。

というかですね、周りのヲタクから何かを言われたとか、そんなどうでも良い話は置いておいて、2017年からの感情を振り返ってみると、私は自分の心と向き合い、それを噛み砕くのにとても時間がかかったように思います。

「Travis Japanになるよ〜ん」って言われたときの感情が、「いぇ〜い!」まではいかないにしろ、「お〜!」「へぇ〜!」「ほぉ〜!」って感じだったからなのかもしれないけれども、なんか自分の心がよくわからなかったのです。

加入してすぐにYouTubeが始まったり、横アリがあったり、個人団扇が売られたりしましたね。嬉しかった。あのときの松倉くん、少年というよりは青年という年齢だったけど、個人団扇はなんか赤ちゃんみたいでしたね。

2016年に始まったユニット戦国時代が加速したのは、Travis Japanに加入してすぐ、2018年からだと思っています。YouTube、横アリ単独、個人団扇。ユニットだから経験できること。
そのどれも、Travis Japanが、松倉くんが掴みとったものなのに、なんか遠くで起こっているような感じがしました。巻き起こっている渦を、少し遠くから眺めているような、そんな感覚です。

私は、物好きのフォロワーしか読まない作文をちまちまするくらいには暇なので、「心がわかんね〜」と思うことができましたが、松倉くんは目まぐるしすぎて、心と向き合う時間なんてなかったと思います。とにかくとにかく前に走り続けてくれてありがとう。

Travis Japanのことがもともと結構好きだったからこその感情な気がしますが、松倉くんがTravis Japanになることによる松倉くんの変化も、松倉くんがTravis JapanになることによるTravis Japanの変化も、少しだけ怖かったのだと、今は思います。

2018年のサマパラを通して「枠に収まる」という加入ではない、ということを強く感じました。「変わってしまう」変化ではなく、「7人が変えている」変化だという確信を持てたとき、怖いという感情はなくなりました。

だからこそなのか、この頃はよく「新生」って言葉に腹を立てたりしてました。続いてるはずなのに区切られてしまうような言葉が苦手だったのです。懐かしい。

そういえば、この前、ヲタクと「グループはコンビがたくさんあるのがいいよね」という話をしました。ほんとにそう。
私は松倉担なのに松松LOVE!というわけではないというマイノリティパーソンだったので、肩身が若干狭いな〜と勝手に感じることもあったりしたのですよ。勝手にね。
結局マイノリティであることには変わりないけど、コンビに騒げる自分、超楽しいです。まじで、ちゃかまちゅありがとうすぎ。

話が前後してしまいますが、Yummyを譲ってもらった宮近担が4年の月日を超えて俺のマブ近担なのありがたいです。Travis Japanとキスマイ兄さんが繋いでくれたご縁です。一緒にデビューをお祝いできました。とても嬉しかった。


2019年を振り返るときに、8.8に触れないと、それはそれで気まずい気がするので少し触れてみますが、別に今振り返っても「良い思い出だ!」とは言えないな〜と個人的には思っています。なんといっても、あのコンサート『Cosmic Melody』やってないですからね。あり得ない。
宮近くんが「残酷ささえもエンターテインメントになる」と言っていて、「うちのリーダーは強いな〜」なんて思いましたが、残酷さをちゃんとエンターテインメントに昇華させたうえ提供してほしかったし、残酷さなんてそっちで勝手にやってくれよと思ってしまう人間なのです。私は。
これは、Travis Japanに対しての感情ではなく、事務所チャンへの感情です。Travis Japanに対しては、ずっと歩みを止めないでいてくれてありがとうという感情でした。


ここで、ひとつお願いなのですが、デビューのどさくさに紛れて2019年のサマパラを円盤化していただけないでしょうか。2019年のサマパラは私にとって本当に大事なコンサートなのです。
あのタイミングで「今よりもっと前へ」と笑顔で歌うTravis Japanを見られたこと、あのタイミングで『Unique Tigers』という如恵留くん爆泣きソングを披露してくれたこと、あのタイミングで松倉くんがセンターでエレキを掻き鳴らす『Shelter』を見られたこと、本当に良かった。

そして、何よりも、松倉くんがTravis Japanの内側から、Travis Japanを創りあげていることを感じられたのが嬉しかったのです。しかも、それは色々なものをぶち壊してくれる「創」でした。
「Travis Japanが7人並んだら、一糸乱れぬダンスをしなければならない」「Shelterはみんなであの振り付けを躍る曲」勝手に持っていたそんな固定観念をぶち壊してくれました。創造による破壊は、私の心を軽くしてくれたのです。だから、私は2019年サマパラのShelterの話を一生する。

それに、すごく勇気の必要なことだと思います。「この曲といえばこうだよね」をひっくり返す。それは期待を裏切るということなわけで、それが良い裏切りでなければならない。変えるということは、とても大きな攻めだと思うのです。大切なものを守り、進み続けていくための。
その力強い攻めたち、特に「Travis Japanに新しいメンバーを迎え入れる」「Travis Japanになる」というバカクソデカい攻めには大きな声でありがとうと言いたいです。


コロナに感謝することなんて1つもないよ、と言いたいところですが、全員のソロコンを見られたことに関しては、ほんの少しだけコロナに感謝してやってもいいかもしれません。それくらい大切な出来事です。

2020年らへんの私は「自分がトラジャ担なのか?」ということについて考えていたのです。
Going My Wayがモットーの私らしくないのですが、他のヲタクと自分を比較してしまったのがきっかけだったと思います。
脱退したメンバーの担当だった方たちが今もTravis Japanを心の底から応援している姿を見て、ん…私はTravis Japanの担当なのか…?と思ったのです。
私がTravis Japanの担当になった理由は「松倉くんがTravis Japanになったから」です。食パン咥えながら曲がり角でぶつかった松倉くんの後ろについて行ったら、お城に辿り着いたから制服からドレスに着替えたのです。松倉くんがいるからTravis Japanを好きな私はTravis Japanを好きなのか…?と急に立ち止まって辺りを見回してみたり、松倉くんがいるのがいまのTravis Japanなんだからそれでいいよね…と思ってみたりしました。

そんな哲学めいたことを考えていたときに「Summer Paradise 2020 俺担ヨシヨシ 自担推し推し 緊急特別魂」が開催されました。

私は松倉くんがいるからTravis Japanを好きなのでありませんでした。
私は如恵留くんがいて、しめがいて、閑也がいて、うみちゃんがいて、宮近くんがいて、松倉くんがいて、元太がいるから、この7人だからこそ、Travis Japanのことが大好きなのです。それを感じさせてくれたのがソロコンでした。

無所時代(と言うと本当の無所に怒られそうですが)、私は松倉くんだけに固執しており、一緒にいる人や松倉くんがいる場所には基本的に固執していなかったと思います。松倉くんが全てだったし、とにかく松倉くんが輝く場所であればいい。
そんな私が「松倉くんといてほしい」と思う、執着したいメンバーが6人もいて、松倉くんも6人と一緒にいたいと思っていて、Travis Japanが7人で前に進んでくれることは奇跡以外の何ものでもないのです。

松倉くんからしたら「勝手に不安になるんじゃねーよ」ということな気がするのですが、「俺はトラジャ担なのか…?」の哲学に加えて、この頃の私は「松倉くんはずっとTravis Japanでありたいのかな〜」なんて不安になったりしたのです。
松倉くんにはTravis Japanの外で表現したいものがあるように感じることもあったし、Travis Japanの内側で表現するこが辛そうに感じることもあったから。ヲタクは勝手に感じて勝手に想うものです。許してください。
だからソロコンの「松倉くんの表現」がちょっぴり怖かった。誰の公演よりも楽しみなはずなのに。

2020年8月8日に受け取った表現は紛れもなく「Travis Japan 松倉海斗」としての表現でした。
嬉しかった。安心した。心強かった。たくさんの感情が巻き起こりました。ついでに勝手に心配してた自分を1回殴りました。痛かったです。

かけがえのない日です。
でも、松倉くんのソロコンだけでは成り立たない。7人全員のソロコンを見られたからこそ、かけがえのない日なのです。ほら、ちょっとコロナに感謝してやってもいいかも…なんて思ってしまうでしょ。

哲学や心配による揺らぎにより、クソデカ感情とともに語ってしまうことが多いのですが、そこらへんを一切無視しても、まちゅパラは本当に素晴らしかった。
自担だから贔屓目があるので、「贔屓目なしに」という言葉を使うのが難しいのですが、まじで贔屓目なしにエンターテインメントとして最高だったと思います。
「後輩の教育に使うべきだ」と如恵留くんを通して事務所チャンに伝えてください。よろしくお願いします。

 
コロナに感謝してやってもいいかも。なんて口を滑らせましたが、リアル現場にはリアル現場でしか得られない幸せがあります。IMAGE NATION、最高でした。
7つの色が混ざるなとこんなに綺麗な色になるんだな〜と思いました。光と音と熱で震える空気の中、幸せに包まれて、今さらながら松倉くんのメンカラとしてオレンジ色を大好きになりました。暖かくて強い、松倉くんみたいな色だからです。そんな色に乗って『手と手』を歌う6人の誇らしそうな顔、一生忘れません。あと歌うまマッチョで乗り切る松倉くんもね。

このコンサートで「私の世界はここにあるんだ」と感じました。「Travis Japanが私の世界だ」と。

不安と思えるほどに言語化できていなかったので不安ではなかったのですが、この頃ぐるぐるしていた感情がありまして。
と書いてて思ったのですが、私って本当にめんどくさい脳みそをしていますよね。まぁ、めんどくさい脳みそだからこんな長文を書いたりするのか。そうか。
で、言語化できていなかったぐるぐる感情に話を戻します。私は「Travis Japanには Travis JapanのNo.1でいてほしい」と本気で思っていました。過去形を使ってしまったけど、これに関しては今でも思っている。現在進行形。
ナンバーワンよりもオンリーワンとは上手い言葉ですが、私はオンリーワンのナンバーワンを望んでいました。
感情を言語化できていたわけではないので、これ以上書けることがないのですが、何かのきっかけがあったわけでもなく、こんな感情をぐるぐるとさせていました。

そんなぐるぐる感情とともに入国したIMAGE NATIONで、「この世界はこの世界のテッペンをとってくれる」と思いました。Travis Japanの絶対評価で前に進み続けてくれる。そう感じたのです。
うまく言葉にできなかった感情まで包み込んでくれたコンサート、泣くしかないだろ。


私が本気で(?)頻繁に(?)「はやくデビューしてほしい」と思うようになったのはIMAGE NATIONが終わった頃からだと思います。何の不安もなくなったから。
それに、こんなに素敵なグループが「知る人ぞ知る」的な枕言葉に収まってしまうのは人類にとって大きな損失だから。
デビューというゴールテープをきってほしいのでもなく、デビューというスタートラインに立ってほしいのでもなく、デビューという手段を手に入れてほしいと思っていました。


そんな思いが加速したのが「+81 DANCE STUDIO」でした。突然開設されたYouTubeチャンネル。突然公開されたかっこよすぎるTeaser。Travis Japanによって彩られていく名曲の数々。本当に最高だった。「+81 DANCE STUDIOが最高すぎる」という作文をしてしまうくらいには最高でした。

「デビューという手段を手に入れてほしい」という私の願望の根底には「Travis Japanにたくさんの人と思い出をつくってほしい」という想いがあることがわかったし、「ジャニーズ王道キラキラアイドル」と紹介されることはほぼないけどTravis Japanがジャニーズの王道を守り抜く存在だということを確信したし、私はやっぱりジャニーズが大好きでTravis Japanにはジャニーズのアイドルとして生き抜いてほしいと感じました。

思い出と可能性の掛け合わせにウキウキして、7人の表現にドキドキして、Travis Japanもみんなの思い出になる未来を想像してワクワクして、本当にウキウキとドキドキとワクワクが止まらなくて、+81 DANCE STUDIOの全てが大好きでした。松倉くんが短パン担当で膝のサブスクを解禁してたことも含めて。

結果論になっちゃうけど、2022年にデビューするから、全員のソロコンと+81を経験できたのだと思うと、良いタイミングだよな〜と思います。寅年だし。


さて、寅年。Travis Japanの年、寅年。突然の渡米。

あの決断があったからこそ明日のデビューがある。ということを百というか億も承知したうえでも、留学のことを考えると情緒不安定になってしまうというのが本音です。長きに渡って「正しいヲタク」ではなくて本当にごめんなさい。
渡米自体が辛かったというよりは、エンターテインメントとして提供されなかったのが辛かったのだと思います。簡単に言うと、「Travis Japanのことが大好きで大好きでたまらないだけなのに、悲しくて寂しくて不安で大号泣してしまうように提供された」ことが辛かった。
私は何もなくたって勝手に不安になったりゆらゆら揺れてしまうようなヲタクなのです。やはり「楽しい」に調理されたものを受け取りたい。
それに目標管理として「何を」「いつまでに」「どのくらい」「どうやって」かわからないのも辛かった。「待っててくれ」って言われても、何をいつまで待てばいいの〜!?教えて〜!?と叫びたかった。というか叫んだ。

デビュー前日の今も「なんか突然渡米したのうけたよね〜」と笑うのは少し難しい。もう少し時間がほしい。本当にごめんなさいの気持ちはあるけれど、これが私なのでしょうがない。
渡米はTravis Japanの攻めだ!ということはもちろんわかっているのです。でも、あのときの私の感情も今の私の感情も認めてあげたいのです。

でもね、どれだけ泣いたって、夜眠れなくたって、寂しくたって、不安だって、Travis Japanでしか得られない幸せがこの世には多すぎるんです。あんなことだけじゃ離れられないの。だって、Travis Japanは私の世界だから。世界が大きく動いたから、私の心もたくさん動いたのだと思います。

だから、東京の狭い空の下、LAにいるみんなに想いを馳せていました。最近ハマってるマーベルの映画はNYが舞台になることが多いけど、映画でNYを見てLAに想いを馳せるくらいには想いを馳せていました。(NY見てLAに想いを馳せるのは謎すぎるけどマジで想いを馳せて泣いた)
 
たくさん攻めてくれてありがとう。
どこにいたって、どんだけ遠くにいたって、やっぱりTravis Japanが魅せてくれるステージは素晴らしくて最高だった。
Travis Japanの最高を更新しながら、Travis Japanらしい攻めで、たくさんのものを守ってくれてありがとう。渡米もそうだけど、オンリーワンのナンバーワンであり続けるための攻めは、いままでにないことが多すぎてジェットコースターに乗ってるみたいです。こっちも体力つけていかないとね!

そして、その攻めで「デビュー」という手段を掴み取ってくれて本当にありがとう。そして本当におめでとう。

渡米という攻めを心の底から肯定できなかった私が、渡米したからこそ掴み取ったデビューを喜ぶのは、もしかしたらちょっとだけズルいことなんじゃないかな…なんて得意のぐるぐる思考回路で考えたりもしたけど、嬉しいもんは!嬉しい!!!嬉しすぎるんだ!!!!!!!とにかくとにかく心の底からお祝いしたい、本当に嬉しい出来事です。


色んなことがありましたね。
挫けそうになったこと数えきれないほどあったと思います。すべてを投げ出したくなったことたくさんあったと思います。
それでも12年間ジャニーズJr.として前に進み続けてくれてありがとう。そして5年間Travis Japanとして前に進み続けてくれてありがとう。
松倉くんはすごく変わったけど、私が好きになった腕をピンと伸ばして踊っていたあの頃から全然変わっていない。だからずっとずっと大好きです。これからも変わらずに変わり続けてください。

そして7人でデビューを掴み取ってくれて本当にありがとう。私がTravis Japanを大好きになったのは如恵留くんとしめと閑也とうみちゃんと宮近くんと松倉くんと元太がいる7にんのTravis Japanだからです。7人で進み続けてくれてありがとう。
デビューしたから何かを確約されるわけじゃない。なんてことはもちろん分かっていますが、Travis Japanがこれからも7人で前に進み続けることを世の中が肯定してくれたような気がして嬉しくなります。本当にありがとう。


ここに書いたのはほんの一部で、たくさんの出来事がありましたね。そのどれもが大切な出来事です。
でも、そのなかでも、やっぱり10,000字を超える作文をしてしまうくらいには浮かれてしまう、感情を爆発させてしまう「Travis Japanのデビュー」をTravis Japan 松倉海斗の担当として迎えられたこと、本当に嬉しく思います。改めておめでとう。そして本当にありがとう。


明日から「Jr.担」じゃなくなるの、ちょっとだけソワソワするけれど、こらからも私の世界は攻め続けて守り続けてくれるに決まってるし、揺れながらも私は最高の世界で息をしていくのだろうと思います。

ジャニーズJr. Travis Japanの松倉海斗くん8年間たくさんの思い出をありがとう。
ジャニーズ Travis Japanの松倉海斗くんこれからも末永くよろしくね。

もうすぐJr.担じゃなくなる私より。

ニホンゴホメラレルトウレシイ