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京大工学部落ち慶應理工

現役の時に落ちた慶應の合格通知。

「慶應合格だった。ひとまずこれで満足して大学いける!」

そう母にLINEで伝えた。

そして京大の不合格通知。

夢かと思った。ずっとA判定だった俺が落ちるわけない。補欠合格とかで受かるんじゃないか?

受け止められない現実。

Twitterに沸く「春から慶應🌸」みたいなうつけ者を横目に、絶望の最中であった、2016年3月。

家で泣いていた。

母「慶應でも良いって言ってたよね...?」

母も泣いた。泣かせた、の方が近いかもしれない。

下宿を選びに行く元気も出ない。出張ついでに父に選んでもらった。


大学1年。中学高校テニス部で、人脈作りやすいだろうと思い、テニスサークルに。サークルを仕切る3年生がイケイケで、大学生してる感じがあり、それなりに楽しめた。

その一方で、大学院からは京大に行きたいと考えていた。実際に調べると院試は東大の方が受かりやすい、とかいろいろ情報が集まった。実際周りに仮面浪人して東大に行った人もいた。院試用に本も買って勉強した。続かなかった。

大学2年。「居酒屋バイト→そのお金でいろんな子とデート」のような私立文系大学生のような生活を送っていた。

学業は大いにサボった。一浪したせいか試験対策がそこそこ上手かったこと・過去問使い回しなどの試験の緩さがあいまって、試験前にチョロっと対策するだけだった。おかげで頭には何も残っていなかった。

ただ、院試受けて京大行きたい気持ちも、この頃には消えていたように思う。

大学3年。AIの自社開発をしている都内のベンチャー企業に長期インターンで週3で1年間勤務。この頃からITエンジニアの道を志すこととなるが、これはまた別の話。

週3で都内のイケイケなベンチャー企業でインターンできたのは、間違いなく京大に落ちたおかげだろう。また、結果論だが、この経験が無ければ就活もうまくいかなかったかも。

一方で大いに青春を満喫した覚えがある。サークルで男女4, 5人でぶどう狩りに行ったり、花火行ったり、納涼船に乗ったり...。久々に写真を見て懐かしみに浸る。

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花火の時は、お酒を買いすぎて、花火が終わった後もゲームしながら飲んでいた。花火が終わってからが本番というくらい、その後いろいろあったが、またの機会に。

花火

ちなみに、学業はと言うと、持ち前の試験対策スキルを発揮して、かなり成績は良かった。そのおかげで第一志望の研究室に配属された。

研究室漬けの大学4年。

第一志望の研究室には入ったが、勉強してこなかったツケと、指導役の院生との馬が合わず、かなり病むことになる。ここは別記事に書いたので、省略。

病みまくった結果、大学院進学をやめ、大学卒業を延ばし就職活動。ここでは慶應ブランドに助けられ?瞬間的に某IT企業から内定をいただくことになる。それと長期インターンでITエンジニアの経験を少しだが積んでいたことも大きいだろう。

with コロナの入社まで1年の空白期間。実家に転がり込んだ。

秋ごろまではマジで暇だった。IT系の資格の勉強くらい。

周りはもう働いてんのになあ。強烈な劣等感。暇なだけに思考がめぐってしまう。停学とか禁固刑とかと同じ感覚(知らないけど)。

後半はITエンジニアのバイトでめちゃ充実してた。これも別記事にしたので省略。

結論:楽しかったよ慶應!!!



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