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「人生の転機」2018年 健康を楽しむ!

平成最後の大晦日に今年一年を振り返ります。初めてのnote投稿となります。いきなりエモい感じになりますが、きっかけは、家族の病気により「仕事とは」「生きるとは」という根源的な問いに向き合う事が多くなり、答えが出たこともあれば未だ悶々としているものもあるのですが、自分にとってターニングポイントになるであろうこの一年を文章として残しておきたいと思った事です。ですので仕事のノウハウは一切書いてなく、皆さんのお役に立つ情報はほとんどないと思います(笑)。徒然なるままに今年一年を振り返る事で、気持ち新たに2019年へ向かえるよう自分に向けて書きたいと思います。

・サマリー
 - 2018年を1月から月単位で徒然と振り返って書いています。
 - 一番最後に学んだ事を整理して書いています。
 - 伝えたい事は「健康で人生楽しむ事」は大切というシンプルな事。 
 - そこに至るまでの経緯、どう考えどう行動したのかを書きます。
 - 結果として、自分は今とってもハッピーです!
 - 仕事の話は、所属する会社とは関係なく私個人の見解に基づきます。

1月(January) 
仕事に明け暮れる日々。ストレスから酒量が増え不規則な生活へ。

東京に大雪が降った1/22。超多忙な日々を送っていました。
私はIT企業の人事で主に採用関連を見ていますが、年度末へ向けた大量の採用をアシスタントさんと二人で必死で進めていました。そのストレスからか、飲みにいく回数がいつも以上に増え、多い時には週5~6…仕事をしているか飲んでいるか寝ているか、後々同僚からは「ゾーンに入っていて仕事をしていても怖かったです。」と言われる始末。強い達成志向性から、どんどん仕事にのめり込んで行きました。結果として採用は順調でしたが、徐々に体が蝕まれていったんですね、余裕がなかったんだと思います。

2月(February) 
実家からの急な知らせ、父、倒れる。

忙しかったので一休みしようと、2/24~25で箱根へ1泊旅行に行きました。
その帰り道で実家から急を報せる電話が入りました。
「父親が意識を失って倒れた。救急車で運ばれ心臓発作の疑いがある。」
まさに寝耳に水でした。私の父は地元福島県で金融系の会社に勤める会社員。定年は過ぎていて嘱託社員として勤務しているいわゆる普通のサラリーマンです。大病をしたことがなく信じられない気持ちでした。しばらくすると意識は回復して自宅に戻ってきたようですが、この日から、原因不明の発作に悩まされ、家族が不安のどん底に突き落とされて行きました。

3月(March)
引き続き父の体調は不安定、仕事はピークの忙しさ。

3月に入っても仕事の忙しさは変わらず、むしろ年度末へ向けてますますのめり込んで行きました(ただ、自分としては非常に充実しているように感じているんですよね。それが危険。。)。写真は新宿のゴールデン街です。中途採用の候補者の方と新宿のホテルラウンジで話をした帰りに同僚と一緒に。こんな感じで仕事をしては飲みという状況がまだ続いていました。
一方、父の状態は悪化の一途を辿ります。急に意識を失って倒れる事が数度続き、さすがにという事で検査入院をする事になりました。見舞いに行くと至って元気ではあるのですが、「いつ発作が起きるのか、原因は何なのか」という不安が家族、特に母親に大きくのしかかっていきました。

4月(April)
父、回復。皆そう思った。

父は、入院するまでに合計5回意識を失って倒れています。自宅のソファ、トイレ、スーパーの駐車場…その度に母がパニック状態に陥るのですが、10秒ほどすると回復するそうです。この10秒が怖くて怖くて「お父さん、お父さん」と何度も呼ぶのだが返事はなく、このまま意識が戻らなかったらと考えると本当に怖かったと母は振り返っています。

検査入院の結果、病名は「完全房室ブロック」という心臓の機能が正常に働かなくなり、心臓が一時的に止まってしまう病気だと分かりました。最悪の場合はそのまま意識が戻らないこともあるそうで、原因が分かった瞬間に医師は手術を決断し翌日実行されました。私も午後から仕事を休み手術に付き添うための帰省。帰省とは「親の安否を確認する・気遣う」というのが本来の意味であり、文字通りの帰省となりました。
写真は快気祝いで家族で食事をした際のもの。海が近い街ということもあり豪華な舟盛りで回復を祝い、この時は一件落着だと思っていました。

5月(March)
自分の生き方を見直した矢先、義父が倒れる。

父の一件の最中、心臓病は遺伝する可能性があるという事で私自身も精密検査を受けて、結果は問題なかったのですが、自分の生き方、働き方、生活習慣の見直しを検討するには十分なインパクトを与えてくれました。特に自分は長男であり東京で生活をしています。実家で何かあった時にすぐにかけつけられる訳ではなく、東日本大震災の時に痛感したけれど、大切な家族の一大事に側にいる事ができない無力感ほど悔しい事はありません。だからせめて自分が健康であり続ける事は責任だと覚悟を決めて、仕事の仕方を見直し、加えて禁酒生活をスタートする事にしました。
全ては順調に、平凡な日々に戻れると思っていた矢先…
義父が倒れたという連絡が入りました。これもまた寝耳に水でした。

6月(June)
義父回復、転機となる部署異動。本格的な健康意識の芽生え。

義父の病名は脳梗塞。幸いにも軽度という事で2週間で退院する事が出来ましたが、やはりこの時の義母の気持ちを思うと辛いものがあります。

仕事の方では「ヘルスケア事業」部門の人事へと異動する事になり部門内人事が立ち上げそのグロースにコミットする役割となりました。非常に面白そうだったけれど、その仕事内容よりも「ヘルスケア部門」という事に運命を感じたんです。健康の為にはフィジカル的に規則正しい生活を送る事はもちろん、メンタルも大切にしなければならない、以前「ゾーンに入っていて怖くて話しかけられなかった」と言われていた自分でしたが、人生のテーマを「楽しむこと!」に決めたのはこの時です。幼稚に見えるかもしれませんが、自分にとっては人生を変えるような決断でした。具体的な行動に落とし込まないと意味がないので、一日一個、楽しかった事・嬉しかった事をインスタに投稿する事を始めました。https://www.instagram.com/shun__0926/

7月(July)
「楽しむ」意味を考える日々、価値観が徐々に変わっていく

写真は毎年仲間達と行っている山梨県にある超かっこいいコテージからの景色。名前は言いたいけど言いません。(笑)
この頃、仕事の仕方を見直して何もなければ19時くらいまでには退社して自分の時間を持つようにしました。飲みにいくのは週に2回まで(お酒は飲まない)。テレビを見る事をやめて、読書・音楽、ゆっくりお風呂に入ったり、考え事をしたりととにかく余白を大切にして、睡眠時間は7時間~8時間(それまでは5時間~6時間)は取るようにがらっと変えました。長らくワーカホリックだった自分から考えると劇的な変化でしたが、目に見えて日々のコンディションが良く、パフォーマンスへも確実に影響しています。始めたインスタは自ら楽しみを見つけようとするマインドへ変えてくれる役割を果たしてくれて、(それまでSNSとは無縁だった。。)「健康」って大事…と実感するサイクルに入っていったのがこの頃です。

8月(August)
ヘルスケア意識の高まり&Twitterを開始、これが大きな転機に!

仕事でヘルスケア事業を担当していると当然健康意識が高まってきます。健康状態を保つとは?病気にならないようにするにはどうしたら良いのか?を学び考える。自分事として捉えられると、それを広めようとする事業そのものへのコミットメントも強くなり「自分の意思」と「事業のミッション」が重なる状態となり、最もパフォーマンスしやすい環境を創り出す事が出来ました。これは本当にラッキーだったとしか言いようがありません。

加えて、インスタだけでは飽き足らず、Twitterをちょこちょこやりだしたのもこの辺の時期。はまっていくのはもう少し先だけど…。
※写真は前職時代の仲間たちと毎年行っている夏の旅行。今年は逗子にて。

9月(September)
順調に見えた頃、父親の心臓に新たな疾患が見つかる

順調な日々に見えた中、父親の心臓病が再発。
精密検査の結果、新たな疾患が見つかりまた手術する事が決まりました。
高度な技術を要するようで、地元の病院では対応出来ず土浦の専門病院へ入院することになり、平穏が戻った実家は再び不安で覆い尽くされていきました。手術は10月、それまでは無理をせず過ごせばOKという事でしたが、手術が無事に終わるまではやはり重苦しい雰囲気が流れており、自分も頻繁に実家を気にするようになっていました。母もさすがに堪えていたようで元気もなくなっていて、孫の存在が支えになっているようでした。振り返るとこの頃が一番つらかったなぁ。
※写真は自分の誕生日に自分でかったブレスレッド(笑)このターニングポイントになるだろう一年を忘れないようにと購入。

10月(October)
父、手術。無事成功。

父の手術は無事に終わりました。
ただ、体力の消耗は激しく自力で食事が出来ないくらい弱っている父親に食べさせている母親の姿を見ているのがとても切なく感じました。この手術により父の心臓は完全復活だそうで、しばらくは安心出来そうです。最初に倒れてから半年以上、長い戦いが家族の絆を深めた事は間違いなくこれからも元気でいて欲しいなと心から願っています。

話は変わりますが、始めたTwitterが想像以上に面白く、勉強になるし、人と繋がれるし、ただ面白い人もいるし、反応をもえらえることも嬉しいし楽しいんですね。ただ、何のためにTwitterやってるのかと言われれば、ただ面白いからで特に理由はないので、ここまでハマるとは思わなかったが適度にこれからも楽しんでいこうと思っています。「楽しむ!」という事を決めていなければTwitterも始めていなかったので、本当に人生って面白いですね。

※インスタは手術当日の病院のある「土浦」の空。手術の無事を願って母親と一緒に眺めた空。不安だったなぁ。

11月(November)
複業開始!楽しむ事の次のステージへ!

家族の事が一段落して、思いきって複業を始める事にしました。
一つは人が繋がるスナック(バー)創り。
もう一つはキャリア相談「そうだんドットミー」アドバイザー。
後者はこれからにですが、スナック創りは進行中。クラウドファンディングも利用して多くの方々からご支援いただくことも出来て本当に感動しました。そこには昔からの仲間だけではなく、Twitterで繋がった方々、地元の方々、様々な方がいらっしゃり、期待に添える店作りをしたいと心から思っています。

なぜスナックかというと、自分が人との「出会い」に支えられて今まで生きてこられた原体験を活かし、そんな場所を作れたら、という思いで仲間たちと手作りで進めています。人は、誰かと繋がっている事で安心や自分の居場所を感じる事ができると思うんです。もちろん一人でいることだって悪いことではありません。ただ、自分の人生を振り返った時に誰かの存在に支えられていたからこそ、ここまで生きてこれたという実感が強くこういった場所で一つでも多くのつながりを創る事ができたらなと思っています。ご期待下さい。

12月(December)
新たな出発。2019年へ向けて。

今の自分には、大切な家族がいて、大切な人がいて、多くの仲間たちがいる。ただ、一番のベースは「健康」でいる事。そして日々を「楽しむ」事だという価値観は変わりません。今年育まれ今後の自分の人生を支えてくれる大切な考え方だと思っています。そして、好きなものを好きと言える、好きな人に好きと言える、「これでいい、じゃなく、これが良い」全部大切な人たちから教えてもらった価値観です。今日、こうして家族と年を越せること、年明けからまた仲間たちと仕事に邁進出来る事。複業でも好きな事にチャレンジ出来る事がとても幸せです。

今年出会った皆さん、助けてくれた皆さん、優しくしてくれた皆さん、厳しく叱咤下さった皆さん、本当にありがとうございました!

まとめ
・「健康」でいる事以上に大切な事はない
・好きな事を楽しみ、自分らしく生きていく事が健康に繋がる
・辛い時は誰かに助けを求めて良い、その代わり、逆の時には全力で助ける
・オンライン、オフライン、共に素敵な方はたくさんいる
・自分を偽らず、ありのままでいるには勇気が大切(勇気を出そう)
・今の自分は自分史上一番幸せで、関わる全員に感謝の気持ちでいっぱい!

来年も自分らしく、「健康」で「楽しく」頑張っていこうと思いますので、引き続きよろしくお願いします!

shun



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