どうしてカメラが趣味なんですか?

どうしてカメラが趣味なんですか?

どうしてそんな滅茶苦茶アホみたいに高いカメラを持っているんですか?

おおよそ、アマチュアでカメラを趣味にしている人ならほぼ、確実に言われることではないでしょうか?もはや、スマートフォンのカメラが全盛期の時代にわざわざ数十万円するカメラを持って写真を撮っている人たちは傍から見ると若干おかしい人にしか思わないかと思います。今使っているカメラがSonyのα7R3とSonyのG lensです。定価であれば、50万円くらいするのではないかと思います(私自身は、d pointの大型キャンペーンの時に買ったのでもう少し安く買っていますが)。ただ、プロでもないのに、50万円のカメラを持っているのは普通の人からみたら、確実に変人です。実際、このカメラの金額いくらなと聞かれた際に答えたら、この頭おかしいじゃないっていう感じのことを言われたことがあります(笑)。では、どうして、そこまでしてまで、カメラが趣味なんですかっていうのをあくまで私なりに、でも何か多くの人にとって意味があることではないかと思うので、答えていきたいと思います。


1.生きる意味。生きがいのある人生

いきなり、生きる意味かよwと思うかもしれないですが、ここに触れたいとと思っています。これは、岡本太郎の著書である今日の芸術の一文に、1日を仕事を終えた後、プロ野球の結果で一喜一憂して生きていくことに本当に生きる意味を見出していますか、というような一文があります。何せ、今から66年前の本のためピンと来ない方も多くいると思いますが、もし、今の時代ひなんした、岡本太郎が生きていたとしたらこういっていると思います。「芸能人のSNSに貼りついてクソリプ飛ばしていて生きていると感じますか?芸能人のニュースに一喜一憂していて生きていると感じていますか?」

別に、芸能人のSNSや芸能人のニュースに批判や賛同している人を非難するつもりはありません。近年には、酷い中傷をした人たちは裁判によって多額の賠償金を支払っています。それよりも、そういう人たちは、そもそも自分の人生を生きていないのではないかと思っています。結局、芸能人だったり、有名人、何か他の人が引き起こしたことに対して能動的にしか生きていないのです。それでは、人生寂しすぎます。他者によって、人生を支配されるよりも自分の心あるままに生きるほうが人生は有意義ではないかと思います。

2.一生仕事だけに生きていることへの限界

仕事だけで生きていく時代ではなくなったと思っています。いやいや、政府は70歳まで働けって言っているし、仕事に関するスキルを身に着け仕事に活かすほうが人生有意義だろという意見もありますし、私自身それを否定するつもりはありません(実際、私もUSCPA(米国公認会計士)の継続教育の単位に苦しめられています)。しかし、人は、中々永久に仕事はできないと思っています。私の祖母は、80歳以上まで仕事をしていました。しかし、仕事をやめた途端、あっという間にアルツハイマー型認知症に掛ってしまい、その後亡くなりました。実は、本当は琴を習いたかったそうですが、今さら初めてもと思い、家でずっとテレビばっかり見ていたらそうなってしまいました。実際、サラリーマンの方で、退職した後に何をしていいかわからないという方は多いと聞きます。また、たとえ、死ぬまで仕事をしていたとしても、ずっと仕事をしていて、まったくスランプや失敗、挫折がなく生きていくことはないと思っています。私自身も、なぜカメラが趣味にしているかの一つの理由が、仕事のスランプや挫折があったからです。私、自身、今現在外資系の企業に働いていますが、最初の1年から2年に掛けて中々今までの日系企業との違いやスピード感、クオリティのレベルなどからかなりスランプを感じていました。その時は、自分はUSCPAの資格を取って、この先、外資系の経理でずっとやっていこうと思っていたところで躓いたので、かなり辛かったのを覚えております。もし、この時写真を本格的に始めていなかったら、自分には英文会計しかない、でも自分の英文会計がダメなら生きている意味はと思っていたかもしれないです。何か、辛い時にでも、自分にはこれができるとか、自分はこれ以外にこういうことが好きだなって思うことは非常に大切だと思っています。大したことは言っていませんが、自殺者が毎年30,000人いる、日本では、仕事ができない自分はもう生きる価値がないと思って自殺してしまう人も少なくないのではないかと思います。

3.私たちは、何かを表現したいと思う人種 

私たち、カメラマンは結果として何かを表現したい人種だと思っています。私自身、昔はギターを弾いていましたが、様々な理由で辞めてしまいました。今もゲームをすることが好きですし、趣味ではありますが、心のどこかでいつも「これって、楽しいけど、何か形に残らないよね」と思う時があります。結局、カメラマンにしても、音楽家にしても、画家にしても、ライターにしても何か形を残したい、自分を表現したい、そういう気持ちが強いのではないかと思います。こればかりは、そうである人とそうでない人の差は顕著にあるのではないかと思います。

4.父親の教えと絆

実をいうと、この記事を書こうと思ったきっかけです。2020年8月18日、本日、施設から連絡があり父親が危篤に近いという連絡がありました。幸いながら、まだ亡くなっていません。父親のことを思い出してみると、父親の大学の専攻は、カメラ学部でした。といっても、あまりにもカメラの現像が嫌になったため、映画学科に転科したというオチがありますが(笑)、50代後半から、私が持っていたCanon X5を使って時折、花などを撮りに行っていたのを見るとやはり写真が好きなんだろうと思っています。その父が、まだ私が高校生ぐらいの時に、「家に帰るときに、月が美しい、道端で花が美しい、街ですれ違う女性が美しい。そういう気持ちを大切にしなさい。そして、感謝をする気持ちを大切にしなさいそういわれたのを強く思っています。なんとなく、岡本太郎の言葉と似ていますよね。もしかしたら、父親もこの本を授業か何かで聞いたのかもしれませんが、結構心の奥深くに残っています。誰かとの絆や普遍的な思い、思い出は大切にしたいと思っています。

(追記)

実は、この後8月19日に父親が亡くなりました。深夜3時半ごろでした。前日には、顔を見ることができましたが、元々病状が進んでいたため喋ることや指を動かすこともできなかった状態でした。コロナ禍や猛暑のため、施設に泊まり込んでの看取ることはできませんでした。ただ、最後には鎮静剤の効果もあり穏やかに眠っていたかと思います。葬儀は、諸事情によりまだですが、葬儀後、父が、天国で祖父と祖母と共に幸せに暮らしている事を祈ります。

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