【自分向け】もしも鬱になった時への対処法

もしも鬱になった時、恐らく自分の精神ほど役に立たないものは無いだろう。
壊れた機械で壊れた機械は直せないように、壊れた脳で壊れた脳を治すことは不可能である。

そのため、鬱への対処法は、必然的に、自分の脳に頼らない方法を取ることになる。
とは言え、本当に鬱になった時、今、健全な脳で考えるようなことはまるで役に立たない可能性が高い。
したがって、大前提として鬱にならないこと。予防が一番の対処法である。

鬱の予防のためには、肉体的な健康と精神的な健康が効果的である。
肉体的な健康のためには、朝型の生活リズムと十分な睡眠が必要である。なぜなら、日光が幸福ホルモンであるセロトニンの分泌を促すからである。
睡眠不足は心身ともに疲労を蓄積される。その、ただ単なる疲労が、鬱の芽となり実を結ぶのである。
ついでに、適度な運動もしておきたい。散歩レベルで十分である。下手に過度な運動をこなすと、ちょっとの不調で本来の能力が発揮できなくなった時、必要以上に落ち込み、なし崩し的に体調を崩す危険性がある。
散歩は良い。日中であれば日光を浴びられるし、全身を使った適度なリズム運動は、心拍数の増加をもたらし、心身を健康に保つ。

次に精神的な健康である。まずは読書である。SNSなどは強い刺激が連続し、中毒と禁断症状をもたらす。また、コンテンツの内容についても、過剰なポルノか悲観的な政治論が蔓延るため、落ち込む危険性が高い。かと言って、前向きな明るい内容でもあっても、むしろ、落ち込んでいる時には猛毒である。
その点読書は良い。もちろん、読む内容にも依るだろうが、基本的に、現実世界に関係ないのが良い。世界を広げ、目の前の現実を矮小化する。相対的に、今抱える問題が小さく見えるのである。
ただ、読書ばかりしていてもいけない。相当の域に達しないと、それのみで精神的な健康を保つのは不可能だろう。
結局、人と会って話すのが良い。誰でも良いが、なるべくなら旧知の仲が良い。変に気を使わなくて済むため、ローストレスのローコストである。
話す内容も、やはり、無難なものが良い。特に、過ぎた過去の話など良いだろう。何を好き勝手言っても構わないのだから、無意味で無益で無駄だから安全で心地よい。
下手に現状や将来の話などしては、余計な不満や不安を想起させる可能性がある。お互いに危険である。

ということで、鬱への対処法として、下記に二点を考えた。
①肉体的健康を保つための、規則正しい生活と適度な運動。
②精神的健康を保つための読書と知り合いとの会話。

しかし、この二つはひょっとすると、ある程度健康な状態でないと出来ないかもしれない。換言すれば、鬱のどん底にいる状態では難しいのではないかと思い至る。
そこで、あくまでも延命措置としての、対症療法を別に考えた。
遺書を書くことである。
まず、行動へのハードルが極めて低い。考えるだけでも良いし、スマホで打っても良い。もうちょっと元気なら、適当な紙に適当に書けば良い。
ただ書くというだけで、軽い脳と体のストレッチになる上、思考を言語化することで、外部化、つまり、自分とは切り離して客観視できるようになる。
その手軽さにも関わらず、効果は大きいと思う。まず、死を前提として考えることで、視野が広がる。あらゆることが、死と比較される。そうすれば仕事や人間関係など、いかに取るに足らないことか気づくだろう。
また、過去の棚卸しになる。思い出に思いを巡らせることで、良い出来事を思い出すかもしれないし、親しい人の顔を思い出すかもしれない、それが結果的に、自殺を思いとどまらせる糧になるかもしれない。
それとは逆に、将来のことを考えるきっかになる。一度、「死」という選択肢を想定することで、相対的に、まだマシな未来を選ぶ手助けになるかもしれない。
何よりも、仮にこのまま死んだとしても、ちゃんと役に立つのである。

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