日本はなぜ自殺者が少ないのか?

日本は自殺大国であると言われる。

しかし、一人当たりGDPに自殺率は比例するというデータがある。一人当たりGDPが高いほど、国内での格差が大きい、貧困がより悲惨に感じられる。というのがその理由である。
だとすれば日本は、一人当たりGDPの高さの割には、他の国に比べ、むしろ自殺率が低いのではないか? と、逆転の発想に至ったのである。

この仮説が正しいとして、その理由はどこにあるのか考えた。

①格差が少なく、あっても見えず、最底辺でも底が知れる

一億総中流のスローガンの元、日本人の多くは中流階級として生きて産まれて育った。今なおその社会文化は残っている。
しかし、その時代においてさえ、一部大地主や特権的な階級を持つ異次元のお金持ちは、少なからず存在していた。
けれども、彼らは文字通り雲の上の存在として、そもそも嫉妬の対象にさえならない。あるいは彼ら自身、目立つことを嫌うか、それこそ金持ちたる所以のごとく、質素な生活を営んでいる。
そういった事情があるから、ホリエモンや前澤友作など、手の届きそうで目立つ金持ちが叩かれるのである。
そして、日本には生活保護制度があるため、一応制度上では、誰もが健康で文化的な最低限度、どころか、いわゆる底辺職やブラック企業で働く人々よりも、遥かに豊かな暮らしができる可能性さえある。
その日暮らしどころか生命さえままならない治安の国に生まれて、スマホを開けば若くてイケメンなホリエモンがTikTokでダンスしているような動画が無限に流れてくる絶望感に比べれば、日本は恵まれているだろう。

②縁と同調圧力

自殺を思いとどまらせる、あるいは、逃げ道を与えるのは基本親しい人である。
日本では、そういった血縁や地域の縁が強いと思われる。
もっとも、そのような人間関係がまさに自殺の原因にもなりうるというのは皮肉という他ないが、結局、最大のストレスは孤独であり、人は死ぬ時孤独である。

③日本教
戦時下において一億総玉砕のために植え付けた「国家神道」「日本国民」という強固なアイデンティティーが、その規模の大きさにも関わらず、世界でも類を見ない結束力を持った、ある種宗教のように機能しているのだと思う。
その結果、宗教的な戒律や身分的な区別、血縁的な差別に対しては寛容になった。故に、自殺の理由にはならなくなった。
その一方で、村八分や差別など、②で提示したような、人間関係による自殺要因は増しているのだが。


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