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ごあいさつ

はじめまして。
ゆるふプロジェクト代表 山崎亮子です。

「ゆるふプロジェクト」をはじめた経緯は、私自身の人生と大きく関わっています。長文となりますことをお許し下さい。

幼少期より若干の脳性麻痺があるも、健常者として就職、結婚。憧れの田舎暮らしを実現し幸せな生活を送っていた2010年、私は趣味の山歩きで急斜面を上がれないことに気がつきました。

 病院は何ヵ所も回りました。最初は整形外科へ。軽度のヘルニアだと言われ、コルセットを巻くなど対処しても軽快せず徐々に進行…。脳外科、神経内科とさまざまな診療科を回るも診断は難しく、2012年には外出時に車椅子を使うまでになりました。

 当時は、どこから見ても「障害者」でありながら、身体障害者手帳もなく、福祉の支援も受けられませんでした。心に原因があるのでは?と精神科の受診をすすめられ、藁をもつかむ心地で受診するも異常無し。
 私は、身体の病気でも心の病気でも、どちらでも構わないと思っていました。ただただ自分の状態を正しく理解し、適切なケアを受けたいと願っていました。しかしそれすら難しいまま何年もの年月が流れていきました。

 病院から「異常無し」と告げられていた当時、家族は私を何ともないと考え、健康なときと変わらない姿を要求しました。安心して弱音を吐ける場所もありませんでした。

 2017年の診断書には「転換性障害の疑い」と「スティッフパーソン症候群の疑い」の2つが記されています。
 進行性の自己免疫疾患のスティッフパーソン症候群は、当時は診断に必要な指標となる診断基準さえ整っていなかった、推定で100万人に1~2人という超稀少疾患です。文献も少なく、医師でさえ実際の患者に会ったことは無い場合がほとんど。一方の転換性障害は心の状態が身体の症状に転換される心の病気です。
 私は自分が心の病気か身体の病気か分からず混乱しましたが、診断書を見た地元の内科医に「けっきょく分からない病気なんだね」と言ってもらえて、腑に落ちた事を思い出します。診断書はそれ以降使われることもないまま次第に無効となっていきました。

 私のように長い期間にわたって診断が付かない状況を「終わりのない旅」と呼びます。診断と治療を求めてわずかな情報を頼りに全国の医療機関を回る状況を指すようですが、私は自分が体験した「果たして神経疾患として良いのか?」堂々巡りの見解が続く状況も「終わりのない旅」と言えるように感じています。

 現在の私は、未だに病名が無いものの、信頼できる先生と出会い、脳神経内科で身体の異常を示すデータを得て、何らかの神経筋疾患であることだけは確かとなりました。
 歩行困難だけではなく手も体幹も…と動かしにくい場所は増え、呼吸がしにくい、排尿できない、ものが二重に見えるなど、症状も増えてしまいましたが、身体障害者手帳の交付を受け、医療と福祉制度の両方の側面から支えられ、自宅で生活を送っています。心から感謝する日々です。

 その一方で未だに病名が確定していないゆえの不安定さは終わっていません。先月も脳神経内科の入院中、一時的に「幼少期に虐待が原因では?」との疑いが浮上したばかり。結局は神経筋疾患という見解に落ち着きましたが、いったいこの堂々巡りはいつ終わるのかと、やるせない気持ちになりました。

 現代の医学でも分からない事はまだまだあります。私が体験は医学の限界に直面した結果なのだと思います。仕方ない事とはいえ、「名前の付かない病」というつかみどころのない状態では、医師も折々で判断に困り、結果として患者は安心して安定した医療を受ける事が困難になりがちであることを実感したばかりです。

未診断疾患の患者は推定3万7千人。決して少ない数ではありません。けれども一般的にはほとんど知られていません。病状や重症度は様々ですが、それぞれに症状と診断が難しいゆえの困難の両方を抱えていると考えられます。病名不明では同じ病気の仲間と支えあう事も出来ず、孤独になりがちです。

 未診断疾患の当事者や支援者で支え合い、現状を社会に訴えていかなければ何も変わらない。そう考えて「ゆるふプロジェクト」を立ち上げました。

 2022年の七夕に、願いよ叶えと始めた活動は、一年半で新聞各社をはじめとした多数のメディアで報じて頂くなど、多くのご支援を頂き、大きく前進して参りました。

 どうか皆さまのますますのご支援ご指導をお寄せ下さいますようお願い申し上げます。

2024年2月

山崎亮子


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