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「公開質問状へのご回答」の感想と問題点の解説②



6.「全てA氏個人のものという認識」という平良氏の大噓

【1】当該委員への聞き取り
(1)ロゴとキャッチコピーの紹介を受けたことについて

当該委員はA氏にロゴとキャッチコピーなどが載っているサイトの紹介を受け、「平和の想いを持つ人間ならだれでも自由にダウンロードしていい」と伝えられました。当該委員は「素敵なロゴとキャッチコピー」と感じ、2月の集会チラシに載せることを提案しました。この時、A氏が当該委員に紹介したサイトは「天和泉」のホームページとは別の「平和の心」というホームページでした。ここには“天和泉”の文言はなく、同様のロゴとキャッチコピーが掲載されていました。またA氏から当該委員にこのロゴとキャッチコピーが「天和泉」のものであることの説明はありませんでした。ただ「自由に使っていい」と当該委員に伝えたのみになっています。その結果、当該委員はそのロゴとキャッチコピーも、そして紹介してもらったサイトも、全てA氏個人のものという認識で運営委員会議に提案しました。

この説明全体が、胡散臭く感じる。この説明を読んで、納得する人はいないだろう。
まず、平良氏はA氏に「平和の想いを持つ人間ならだれでも自由にダウンロードしていい」と伝えられたというが、平良氏がロゴをダウンロードした「平和の心」のホームページには以下のような記載があった。

「画像のダウンロードは個人使用の範囲内で自由です
以下の内容はお控えください
〇商用利用などでのご使用
〇画像の編集、部分的使用 ※個人使用も含みます」

普通はこれを見て、だれでも自由にダウンロードしていいとは書いていないな、と気付くはずだ。そして本当に集会のチラシに載せても問題ないか、相手に確認するはずだ。
もしこのホームページがA氏個人のものだったとしたら、平良氏が確認した時に、「これは自分が作ったものだから、使っていいですよ」と伝えるだろう。でも、そのような会話はなされずに、「自由に使っていい」と言われただけで、平良氏は一方的に「全てA氏個人のもの」と認識したという。なぜ、相手が自分個人のものと伝えてもいないのに、そう思うのだろうか。

また、この「平和の心」というホームページを実際に見てみても、個人が作成したようなつくりになっていない。
こちらは、「平和の心」のホームページのアーカイブだ。

https://web.archive.org/web/20210603125239/https://wa-world-peace.amebaownd.com/

主語は「私たち」となっているし、「世界中の宗教や思想 そして民族をこえて 沢山の方々に奉納 寄贈がなされています」とあり、世界的な組織の活動であることがわかる。誰が見ても分かることなのに、「全てA氏個人のものという認識だった」という平良氏の嘘を、なぜ運営委員会は信じるのだろうか。「聞き取り」というのは、相手の言い分を聞いて全て鵜呑みにすることではない。

7.証拠となる2つのホームページは消えた

公開質問状には、「天和泉」と「平和の心」両方のホームページを見てもらうために、リンクを載せた。公開質問状を提出したのが11月29日。翌日30日には、「天和泉」と「平和の心」のホームページどちらもがメンテナンス中に切り替わり、中身が見られなくなった。現在はどちらのホームページも削除されている。なぜ、2つのホームページは消えたのだろうか。「天和泉」の思想を普及するための団体であるなら、県民の会の中で問題となろうと、自分たちの活動をやめる理由にはならない。公開質問状が出た翌日にメンテナンス中に切り替えることができるということは、県民の会との深い繋がりがあるのだろうか。消された理由は分からない。

また、これらのホームページは、巧妙に二段階のつくりになっていると思う。ダウンロードのためのホームページ「平和の心」だけを見た人には、「天和泉」の存在は分からない。宗教団体であることを巧妙に隠しながら、キャッチコピーやロゴを広めていくための手法だったのだと思う。県民平和大集会で、多くの人がこのTシャツを着ていれば、「天和泉」は大喜びだっただろう。
消されたホームページは、どちらもAmeba Owndという無料のホームページ作成ツールで作られている。作成者は同じだったのではないかと思う。

8.平良氏の碑を磨く行為が既に宗教的行為である

(2)「平和の碑」を磨いたことについて

「平和の碑」をA氏に紹介された際、南城市在住ではないA氏(遠方の市外在住)が碑の管理に苦労していると知りました。当時、仕事の関係で、碑の近くに行く機会があり、時間の許す限り碑の掃除をすることをA氏に提案し、A氏は快くその提案を受け入れました。その後、当該委員は時間があれば平和の碑の場所に出向き、磨いていました。その様子を自身のSNSに“磨く”という表現で掲載しています。「平和の碑」という大事なものなので“掃除する”という表現より“磨く”という表現が適しているのかなと思ったと話しています。

ここに書かれた平良氏の行為や発言は、かなり宗教的な行為であると思う。
「時間の許す限り碑の掃除をすることをA氏に提案」「時間があれば平和の碑の場所に出向き、磨いていました」「『平和の碑』という大事なものなので“掃除する”という表現より“磨く”という表現が適しているのかなと思った」
あとで出てくるA氏が宗教活動をしているかどうかや、天和泉が宗教団体かどうか、また平良氏が「天和泉」の存在を知っていたかどうかを議論せずとも、平良氏の行為だけで既に宗教的であると言える。
ちなみにここで私は、宗教的な行為自体を批判しているわけではない。平良氏にとって「平和の碑」は信仰の対象であり、自身の信仰の対象を、沖縄の平和運動に持ち込んだことを批判している。

平良氏がInstagramに「平和の碑を磨かせて頂いています」と投稿したのは2023年1月31日。集会の1か月ほど前である。タグには集会のスローガンである「#争うよりも愛しなさい」があり、集会と平和の碑を磨く行為が結び付いていることが分かる。
公開質問状に書いたことだが、その投稿には運営委員で南城市議の瑞慶覧⾧風氏も「いいね!」している。少なくとも長風氏は、平良氏の宗教的行為について知っていたことになる。
そして、その証拠となる平良氏のInstagramアカウントも、公開質問状提出後の12月2日には消されたことを確認している。

平良氏は、天和泉のキャッチコピーを自身のアカウントのアイコンにも使用していた。
平良氏のアカウントを消すことができるのは、平良氏本人だけである。
公開質問状に対して誠実に回答しようという誠意は感じられず、証拠が次々に消える事態となった。

9.知人A氏の説明を垂れ流す必要があるのか

【2】知人A氏への聞き取り

A氏からは以下のような趣旨の説明がありました。

“宗教活動はしておりません。どこにも所属せず、世界が平和になることを願い、個人でその活動をしています。「平和の碑」も自費で、2022年に設置しまし た。そのきっかけは、平和活動をする過程でその土地の存在を知り、雑草の生い茂る土地を目にして、もったいない、誰もきれいにしないのなら私がやると決意し、平和の想いを伝える場所にできたらという思いでした。”

A氏は土地の所有者が「天和泉」であることを知りました。「天和泉」のホームページ上のメールでのやり取りで、土地の使用許可ならびに平和の碑の設置許可、そしてロゴマーク「和」とキャッチコピー「Love for the Homeland is Love for the World」の使用許可を「天和泉」から得ました。A氏の建てた「平和の碑」にはそれらのロゴとキャッチコピーが刻まれています。A氏は「天和泉」が宗教団体でも思想団体でもないと強く主張し、宗教性も思想性もなく、あるのは世界の平和を願う心であり、その思いを自身のような個人個人がそれぞれで活動をしていると繰り返し説明しておりました。なお、当該委員がロゴとキャッチコピーの使用を提案したことについて、A氏は「私があの時にきちんと説明しておけばこんなことにはならなかった。皆さんに迷惑をかけたのは私の責任です」と悔やんでいました。 

このような矛盾に満ちたA氏の説明を、公開質問状の回答で無批判に垂れ流す理由はなんだろう。天和泉のロゴとキャッチコピーを刻んだ碑を自費で建設した人を、宗教活動をしていないと県民の会は認めるのだろうか。それとも、県民の会は「天和泉」を宗教団体とは捉えないということだろうか。この回答書では、県民の会が「天和泉」をどのように認識しているかが明記されていない。
もし知人A氏の言うように、「宗教団体でも思想団体でもない」のであれば、Tシャツやステッカーの販売をやめる必要はなかったはずだ。問題があったから販売中止にしたのだろう。
ではその問題とはなにか。それをきちんと言語化して反省しなければ、同じことを繰り返すだろう。
必要なのは、A氏の言い分を代弁することではなく、それを聞いて県民の会がどう判断したかであろう。「皆さんに迷惑をかけたのは私の責任です」というA氏の言葉を引用し、責任をA氏に押し付けようとしても、A氏は県民の会の関係者ではないので、県民の会において何の責任もない。引用する必要のない言葉をわざわざ引用して、本来責任を取るべき人達の責任を軽く見せようとする意図が透けて見える。

A氏は「私があの時にきちんと説明しておけばこんなことにはならなかった。」と言っている。説明されなかったその内容とはなんだろうか。
「天和泉」が宗教団体でも思想団体でもないということではないはずだ。A氏が知っていることがあるはずだ。

また、A氏の聞き取り部分の文体は、妙にA氏に感情移入しているように読める。「強く主張し」「繰り返し説明して」「悔やんでいました」など。
「悔やんでいました」と判断しているのはA氏から聞き取りをした県民の会事務局である。こう書くことによって、本人も反省しているというニュアンスを加えている。聞き取りの内容の事実だけを記述するべきであり、A氏の感情を伝える必要はない。こういった表現によって、全体的に客観性を欠いた回答書だという印象が否めない。

10.知人A氏の説明の不可解な点

「平和活動をする過程でその土地の存在を知り」とはどういうことだろうか。
土地の存在を知るには、その前に誰の土地なのかを知らなければ、雑草の生い茂る土地を目にしただけで、その土地に碑を建てようとは思わない。
また、A氏がどうやって土地の所有者が「天和泉」であることを知ったのかも書いていない。また、所有者が「天和泉」と言うならば法人になるのだろうが、そのような法人が本当にあるのか、個人所有なのかも不明だ。
しかも、その土地に碑を建てるという「土地の使用許可ならびに平和の碑の設置許可」という重大な取り決めをする時に、直接会わずにホームページ上でのメールのやり取りだけというのも信じ難い。下手をすれば裁判になるような話だ。

11.なぜ知人A氏がロゴ・キャッチコピーの使用許可を出せるのか

そして、今回の問題に関わる重大なことは、A氏は、ロゴマーク「和」とキャッチコピー「Love for the Homeland is Love forthe World」の使用許可を「天和泉」から得たという。つまり、A氏は許可を出す側ではなく、許可をもらって使っていた側だ。そのA氏が平良氏に、使用許可を出した。A氏にはそのような権限はなかったのだ。
A氏の証言通りであるなら、平良氏はA氏に騙されたとも言える。またそれは、きちんと確認すれば騙されなくて済んだ類のことである。県民の会が、人を騙すようなA氏の言葉を真に受けて垂れ流していることも罪深い。

もうひとつ、知人A氏の証言の中で矛盾を感じることがある。
「平和活動をする過程でその土地の存在を知り、雑草の生い茂る土地を目にして、もったいない、誰もきれいにしないのなら私がやると決意」したのに、碑の管理に苦労していたという。A氏は、熱しやすく冷めやすい人間だったのだろうか…。A氏の「世界の平和を願う心」は如何ほどだったのだろう。

12.知人A氏は天和泉の組織の関係者ではないか

この証言をひと通り読んで、一番おかしなことは、時系列だ。
A氏は、平和活動をする過程でその土地の存在を知った。雑草の生い茂る土地を目にして、平和の想いを伝える場所にしようと決意した。そのあとに、土地の所有者が「天和泉」であることを知った。そして、土地の使用許可ならびに平和の碑の設置許可、ロゴとキャッチコピーの使用許可を「天和泉」から得た。最後が、おかしい。
何かしらの平和の想いを伝える場所にしたいと思ったのが先で、その土地の所有者をあとで知ったのに、平和の碑にその所有者である「天和泉」の思想を刻むというのは、おかしい。土地の使用許可を得て、自分なりの平和のメッセージを書くならまだ分かるのだが。
最初から、「天和泉」の碑を建てるのが前提だった話だと思う。
なのでおそらく、このA氏の証言は全部嘘であろう。
A氏は、天和泉の組織の関係者なのではないだろうか。


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